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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥

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22

 高校生まで住んでいた団地は、懐かしいというほどの感慨は湧かなかった。でも、ここで生活をしていたという実感は残っている。もちろん思い出も。

 その割にしっくりとこない気がするのは、隣を歩くナツのせいかもしれない。外見の変化のせいで、記憶の中の景色とかみ合わないのだ。どこか夢心地にいるような。現実味が遠い。

 けれど、エレベーターに乗った所で、意識がくっきりとする。


「荷物、持ってくれてありがとう」


 言いながら右手を差し出す。でも、ナツは首を横に振る。


「部屋の前まで持っていくよ」


「え、悪いよ」


「大丈夫。大丈夫」


 ナツはこんなに察しが悪かっただろうか。


「でも」


 おばさんに見られたら困るでしょ? と言いかけた言葉は、ナツの笑顔で遮られた。


「大丈夫、もう気にしていないから」


「気にしていないのは、ナツ?」


「いや、母さんも、かな」


 にわかには信じがたく、言葉を返せず、首を傾げかけたところでエレベーターが止まる。扉の開いた先には、確かに高校までの日常があった場所。その中へ、ナツは何もためらうことなく歩き出す。私は戸惑いつつも、慌ててエレベーターから降りる。


「何かあったの?」


「うーん、母さんは母さんで色々と考えてくれていたってことかな」


「そう……まぁ、そうだろうけど」


「方向性はちょっとあれだったけど」


 苦笑するナツの顔は、ちょっと大人びて見える。

 いつの間にか身長が伸びてしまったように、私の知らない所でも成長していくのだ。当たり前のことなのに、何故だか寂しさを覚えてしまう。

 離れることを選んだのは私自身なのにね。自分の身勝手な感情に嘆息しそうになって、笑顔に切り替えた。


「うん、分かった。また挨拶とかするね」


「おう」


 嬉しそうに頷くナツから荷物を受け取る。


「今日は迎えありがとう」


「うん」


 後は、そのまま鍵を開けて部屋に入るだけ。でも、足が動かない。ナツも私が入るのを待っているのか、動かない。いや、せっかく迎えにきてくれたんだし、何より1年ぶりに会ったのだ。もっとゆっくりと話したい。

 部屋に上がってもらう?

 以前なら、おばさんの視線を気にしつつも、口にすることができた。引っ越しの手伝いもしてもらったくらいだ。だのに、今は言葉にできない。

 じっと視線を合わせると、そっと外される。


「明日」


 不意に言葉を落としたナツの耳が、少し赤い気がする。


「明日、出掛ける時間はある?」


 私はゆっくりとその言葉を咀嚼する。これは、多分、間違いなく2人で一緒に出掛けるように誘われているってことだよね?


「……大丈夫だよ」


「じゃあ、ちょっと一緒に付き合ってほしい」


 分かっている。行くのに付き合ってくれってことは。でも、その単語は私を落ち着かなくさせる。私まで熱くなりそうで。


「詳しいことは後で電話で話そう?」


 早口になっていた。そのことに突っ込まれることもなく、私達は忙しなく別れた。ドアの閉まる音がして、やがてナツの足音が聞こえなくなるまで、私はドアの傍から離れられなかった。

 1度大きく深呼吸をしてから靴を脱いだ。

 息を整えても顔はまだ熱い。お母さんはこの時間は仕事に行っている。だから誰かに見られることなんてないのに、顔を俯けてかつての自分の部屋に入る。

 久しぶりに足を踏み入れた部屋は、埃が積もっているということもなく、静謐だった。物が何もないから視界がうるさくないだけかもしれない。

 荷物を置いて窓に寄ると、何年も見続けた景色が広がっていた。団地に囲まれるようにして公園があり、遠くには住宅街があり、ビルなどの建物もちらほらあって、更に向こうには田んぼや山も見える。京都のような整然とした雰囲気はない。だけど、不思議と落ち着くのだ。

 故郷なのだと思う。

 でも、お父さんにとっては、もう故郷じゃないのかもしれない。

 その考えは私の心を冷やす。

 お父さんが出ていき、私が出ていったこの部屋は、冷たすぎる。


 どれくらい経ったのか、日差しに赤みが混じるようになった頃、ガチャリとドアの鍵を開ける音がする。反射的に部屋から出てドアの近くに寄っていた。

 果たしてドアを開けた主は、少し目を見開いた。


「あら、お出迎え?」


「……おかえり、お母さん」


 ただいま、と言うべきか一瞬迷って、結局出迎えの言葉を言っていた。


「はい、ただいま。綿実もおかえり」


「うん、ただいま」


 そのやり取りが、少しくすぐったい。家族の形を少しだけでも感じられるから。


「ちょっと着替えてくるわね」


 中学校の事務職員をするお母さんは、ブラウスにパンツスタイルで私服に近い恰好とはいえ、やっぱり仕事とは切り分けているらしい。そもそも今日は日曜日だから休日出勤になる訳だけど、年度の切り替えとなる時期は何かと忙しいようだ。

 そんなお母さんを見遣ってから、私はお土産を取ってくる。部屋を出ると、ラフな格好に着替えたお母さんとちょうど鉢合わせた。


「あの、これ、京都のお土産」


「まぁ、ありがとう」


 受け取り紙袋を見たお母さんは、驚きをにじませる。


「あら、これってあの生八つ橋? 綿実、知っていたの?」


 あぁ、本当に常連さんだったんだな、と一発で納得できる表情だった。


「ううん。お父さんに教えてもらったの」


「そう、お父さんから」


 嫌悪するわけでもなく、懐かしそうに、優しく微笑むお母さんの顔は、幸せそうな妻にしか見えなくて私は何も言えなくなる。


「夕飯の後のデザートにしましょ」


 生八つ橋がデザート? という野暮な突っ込みも飲み込んでしまうほどに。

 それから私達は台所に並んで夕飯の準備に取り掛かる。その距離は確かに母と娘で、私がこの家族に求めていることは何なんだろう、と自問してしまう。

 夕飯の味噌汁は、お父さんが作るものと同じ味がした。

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