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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥
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19

 どう切り出すべきか。

 家族と、お父さんともっとちゃんと話そう。考えてはみたのだけど、いざ食卓を挟んで向かい合うと、言葉に詰まった。

 食事をとるスピードも緩慢になってしまう。


「どうかしたのかい?」


「え?」


「嫌いなものでもあった?」


 まるで幼い子供に問いかけるような言葉だ。私は苦笑してしまう。


「嫌いなものはないわ」


「そう? 元気がないようだけど」


 瞳はちゃんと父親をしているのに、どこか遠い。もうすぐ二十歳になる娘と接している雰囲気じゃない。

 私は1度深呼吸をして、シチューを口に運んでいたスプーンを置いた。


「ねぇ、お父さん、聞きたいことがある」


「なんだい?」


 じっとお父さんの目を見つめる。揺らぐことなく、まっすぐに私を見つめている。


「再婚、考えているの?」


 思い切って聞いた言葉に、お父さんは呆気にとられたようだ。食事をする手が完全に止まっている。やや間があって、笑みをこぼした。


「考えていないよ」


 少し前の私なら、頷いて話を終わらせていたのかもしれない。だけど、向き合うと決めたのだ。私の脳裏に雨の日の景色が過る。


「でも、喫茶店に女の人といたでしょ?」


「喫茶店?」


「うん、こないだの雨の日に、お父さんが女の人と喫茶店に入っていくのを見て」


 お父さんが笑い声をあげた。思わず私の口も止まってしまう。


「それは違うよ」


 笑いを無理やり抑えるようにしているけど、お父さんの声は震えたままだ。私は首を傾げるしかない。


「綿実、違うから」


 しばらくして、笑いが収まった所で、お父さんは改めて言った。


「違う?」


「うん、確かに先日女の人と喫茶店に行ったけどね。2人きりじゃないよ。喫茶店には教授もいたからね」


「教授も?」


 つまり大学院の集まりか何かがあって、たまたま同じ研究室の人と一緒に喫茶店に入ったということだろうか?


「20近く離れた人だからね、結婚以前に恋愛もないよ!」


 お父さんは力強く断言している。後ろ姿しか見ていなかったから、女性の年齢までは分からなかった。それに年の差婚なんて、いくらでもある。実際、お母さんは随分若い人とも付き合っていたことがある。かつての夫婦は大分価値観が違うらしい。

 そう気づいて、小さくため息がこぼれた。

 それを見咎めたかのように、お父さんは眉根を寄せる。


「綿実、お父さんは付き合っている人はいないし、再婚することも考えていないよ」


 真面目な声で、改めて言われる。確かに喫茶店のことを除けば、お父さんが恋愛しているような様子は皆無だった。

 だったら、と飛躍して考えてしまう。


「じゃあ、お父さんも一緒に帰省しない?」


 お父さんは困ったような笑みを見せる。


「帰省はしないよ」


「どうして?」


 間髪入れずに問うた言葉に、お父さんはそれこそ幼子に接するように口調を和らげた。


「お母さんと決めたことだからだよ」


 攻め込む隙が一切ない言葉だった。家族だけど、娘だけど、夫婦には踏み込めない。


「そう」


 短く呟いて、食事を再開するより他になかった。何も聞かない方が良かったのかな。家族として、距離が近くなった気がまるでしない。

 皿にあたったスプーンの音がやけに大きく響いた。

 気まずくなって、早々に食事を終えると、自室に引き上げた。そして脱力したようにベッドに倒れこんだ。

 家族って難しいんだな。

 まるで悲劇のヒロインのような感想だった。そんなことを考えたって、何も意味はないのに。


 もっと声を荒げれば良かった?

 それとも、もっと明るく軽く聞けば良かった?


 うん、家族って難しい。結局その感想に戻ってきてしまって、溜め息が落ちた。

 そのタイミングを見計らったかのように、携帯電話が音を奏でる。ベッドから立ち上がり、机の上に手を伸ばす。ディスプレイには鴨井夏衣の文字。


「もしもし」


 考えるより先に電話に出ていた。


「もしもし、今いいか?」


「うん、大丈夫」


 ナツの声は、穏やかだった。それでいて緊張をはらんでいるかのようにも感じてしまう。


「何かあった?」


 思わず尋ねると、少し間が出来た。


「……おれは何もないけど、綿実こそ何かあったか?」


 どう答えるべきか一瞬迷って、結局思ったままのことを口にしていた。


「家族って難しいね」


 だけど、響いた言葉は何だか軽やかだった。


「そうだな。でも、仕方ない」


「仕方ないって」


 真面目に、だけど、どこか投げやりに返されて、私は笑ってしまう。でも、確かに仕方ない。だって家族なんだもの。たとえ歪なところがあったとしても、私の家族という形は変わらない。笑うと、本当に仕方ない気分になる。


「あのさ、綿実って戻ってくる時間って何時頃?」


 ナツは仕切りなおすようにして、電話の本題を伝えてきた。


「時間?」


「その……迎えにいこうかと思って」


 言い淀むような声に、ナツの赤くなった頬が思い浮かぶ。それは、何だかとてもこそばゆい気分にさせる。


「別に迎えなんていいよ?」


「おれが行きたいだけだから、いいんだよ」


 きっぱりと言われてしまうと、今度は胸の辺りがじんわりと温かいような、きゅっと苦しくなるような、戸惑いが生まれる。それはお父さんとのことを包み込むようなぬくもりでもあった。


「ありがとう」


 ふと感謝の言葉がこぼれていた。電話の向こうで、ナツが照れている雰囲気がまた伝わってくる。私は心の中で、ありがとう、ともう1度呟いた。

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