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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥
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 学生が春休みとはいえ、平日の日中はお客さんの入りは休日に比べると少ない。特にランチタイムが終わり、御三時にはまだ早い。そんな時間帯は手持無沙汰になりがちだ。なんとなくテーブルやカウンターを拭いていたけど、すでにピカピカだ。

 暇だなぁ。


「暇ねぇ」


 え、声に出てた? 思わず口を右手で覆っていた。すでに言葉は放たれた後だというのに。

 そんな私に、くすくすと笑顔を向けられた。いつの間にか隣に清子さんがいた。


「ねぇ、綿実ちゃん、暇でしょう?」


 どうやら先ほどの暇発言も清子さんだったみたいだ。私は内心、胸を撫でおろしつつ笑顔を作った。


「そうですね」


 頷いたものの、これは従業員として正しい答えだったんだろうか、と疑問が掠めた。けれど清子さんは気にしていない風だった。


「ね、お客さんを呼び込むいい方法ってないかしら?」


「ビラ配りですか?」


 サークルの新歓準備が過ってそのまま答えたものの、違う気がする。


「うーん、ちょっと違うかな」


 清子さんも苦笑いだ。では、いったいどういうのがあるだろう?


「新メニュー作りますか?」


「今、この短時間では難しそうね」


「SNSで暇を訴えてみるとかですか?」


「仮に上手く拡散されたら3人じゃ捌ききれなくなるかなー」


 厨房の方には一応マスターがいる。同じく手持無沙汰な気がする。けれどマスターも清子さんも暇な状況を本当に嘆いているわけじゃないのだろう。現に清子さんは柔和な笑みを浮かべている。掴みどころがない雰囲気があるところは、お母さんに少し似ているかもしれない。

 ぐっと気合いを入れて背筋を伸ばした所で、軽快なドアベルが響いた。

 それを皮切りにして束の間の休息は終わりを迎えた。交代要員の斎藤くんが来るまで、もう暇を感じることはなかった。


 そうしてバイトを終えた私は、特に寄り道をすることもなく帰宅した。自室では、夕暮れの色合いをにじませた光が窓から差し込んでいる。最近は日も長くなったと思っていたけど、夜はすぐそこまできているようだ。

 バイトを終えた体を慰労するようにベッドに倒れこむ。程よい弾力に包まれた。

 首を横に向けると本棚が見えた。いつもと変わらない本棚。だけど、何故か水仙柄のブックカバーが目についた。

 あの日、誕生日プレゼントに夏衣がくれたもの。ブックカバーの中身は『たけくらべ』だ。

 私は立ち上がり、本棚から『たけくらべ』を取り出してページをめくる。現代文には馴染まない文章が並ぶけど、不思議と親しみを覚える。吉原の遊女を姉に持つ美登利と僧侶となる信如の人生が今後交わることは、もうなかったのだろうか。水仙の造花の贈り主が誰だったのか明確になれば違ったのだろうか。物語の中の人生に思いを馳せてみたけど、答えは出なかった。


 ……私自身はどうだろう。


 水仙柄のブックカバーをそっと撫でる。

 1年前、私はナツに誕生日プレゼントを渡せなかった。私の言葉に傷ついたであろうナツを引き留めることもできず、ましてや追いかけて陽気にプレゼントを渡すことなんてできなかった。

 本棚の横にあるチェストの右上の引き出しを開けると、まだ包装されたままの小さな袋が目に入る。

 ナツが京都に来て、渡したいものがあると告げられて、嬉しかった。お母さんのこともあって、もう何年もプレゼントのやり取りなんてしていなかったから。だから1日早くなるけど、私も渡したくてプレゼントを急いで用意した。

 旅行中だから大きいものは嵩張るだろうし、バスケ部の人や友達からもきっと色々ともらうに違いないと考えて、仮にダブっても困らないリストバンドを買った。

 結局、渡すこともできず、高校卒業後もバスケを続けるか分からない今となっては扱いに困る存在になっていた。だけど捨てることだけはできない。


『おれ、今日誕生日なんですけど? おれは祝ってやったのに、そっちは一言もないわけ?』


 あんな別れ方をした翌日に届いたナツからのメール。

 1日の間に一体どんな心境の変化があったのかは分からない。

 一言どころかプレゼントもあるよって気楽に返したら良かったのかな。そしたらこのリストバンドもチェストにしまわれることなんてなかったのかな。

 でも、平然と返すことはできなかった。


『誕生日おめでとう』


 と一言返信するだけで精一杯だった。

 それから1年、連絡のやり取りをすることはなかった。

 だから私はこの1年のナツのことを知らないし、分からない。今、どんな想いを抱えて再び連絡してくれるようになったのかなんて、分からない。

 だけど、それがナツが前進した結果だというのなら、私も立ち止まっていたくはない。

 捨てられないものを増やすより、共有できるものを増やしたい!

 私は1度深呼吸をする。そしてチェストを閉じ、本棚に『たけくらべ』を戻すと、携帯電話を手に取る。

 分からないなら知る努力をするしかない!

 まずは今年のナツの誕生日を用意しよう。去年渡せなかった思い出からやり直したい。帰省した時にもナツが地元にいるのかは分からないままだけど、その時はその時だ。

 とはいえ、誕生日プレゼントを本人に直接相談するのは味気ない気もする。そうなるとリサーチが必要になる訳だけど……。

 私はこの1年のナツのことを知っているであろう相手にメッセージを送ることにした。


『瑠美ちゃん、近々、会えないかな?』


 そう、瑠美ちゃんだ。何せ同じ部活の同級生だったのだ。情報源としてはまたとない人選だと思う。


『いいですよー。京都の美味しいもの食べたいです!』


 すぐに明るい回答が届いた。

 まずは第一段階には進めたってことなのかもしれない。そうして瞬く間に会う日時が決まった。

 帰省することを決めてからというもの、サークルとバイトだけの暇を持て余すような生活から離れていっている気がする。暇から解放されたいなら、自ら前進していくしかないのだと実感する。

 ちらりと部屋の隅に視線を向けると、昨日買ったお土産の袋が目に入る。リストバンドの二の舞にならないようにしよう。私は1人大きく頷いた。

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