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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥

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13

 実家に帰るにあたって、改めて準備することってない。着替えの用意くらいだ。帰省の前日でも十分間に合う。1人暮らしで、かつ1ヶ月くらい帰省するなら冷蔵庫の中身なども気にするのかもしれないけど、お父さんがいる上に2泊3日だからなぁ。私には実家が2つあるみたいだ。

 実家に帰るだけなんだから、特に気負うことなんてない。

 そう言い聞かせて、私は普段通りに過ごすことにする。と言ってもバイトがない日だとすることもなくて、結局大学に来ていたりする。

 3月も半ばになると、冬の厳しい冷たさはだいぶ抜けてくる。それでも吹く風はまだ頬に冷たいのだけど、春の近づく足音は確かに聞こえる。日中と夜の気温の差が、この頃大きい。

 このまま冬に戻ることなく、素直に暖かくなってくれたらいい。

 ささやかな願いをしつつ、私はサークル棟の階段を上り、いつものドアを開ける。


「おはようございます」


 バイトの時みたいな挨拶が自然と出ていた。3人の2回生の先輩たちが何か話していたみたいだけど、軽く挨拶を返してくれる。


「あら、おはよう」


 部室に入ってすぐの席に優子もいた。本を読んでいたみたいだ。


「おはよう、優子も来てたんだね?」


「うん、特にすることもなくてさー」


 考えることは同じらしい。私は隣の席に腰掛ける。


「大学って宿題とかもないしね」


「いや、宿題はいらないけど」


 苦笑をのせながらも、気分を害した様子はない。本にしおりを挟んで、会話の体制に入ってくれる。


「まぁ、嬉しいものじゃないのは確かだけど」


 なかったらなかったで無為に過ごしてしまう気もするんだよね。大学生なんだし、もっとアクティブに長期休暇を活用できたらいいのだけど、何がしたいかというと、ぱっと出てこない。海外旅行に行った友人の顔はちらほら出てくるものの、自分が行きたい国は思い浮かばないのだ。


「そういえば帰省の準備はできたの?」


 宿題などという不毛な会話は続けたくないし、広がりもしないからか、優子は早々に話題を変えてきた。


「準備ってほどのこともないから、まだ何もしてないよ」


「まぁ実家に帰るだけだしね」


 1ヶ月近く帰省していた優子は、念入りに準備していたような気もする。


「うん、持って帰るものも特にないし」


「あ、でも京都の銘菓は持って帰ると割と喜んでもらえるよ」


「そうなの?」


 帰省するのにお土産を持っていくという発想がなかった。大学に旅行に来ているわけじゃないし。


「そうそう。今までも食べたことあるだろって思うんだけど、定番みたいなものでも嬉しいみたい」


「うーん、ちょっと考えてみようかな」


 有名なお菓子だからって、常日頃から食べるものでもないだろうし、確かに喜ばれるのかもしれない。

 お母さんが好きなものはお父さんが知っているのかな……。

 後は、夏衣。

 いや、でもおばさんが嫌な顔をするかもしれない。ちょっと胃の奥が痛むような、鈍い重みを感じる。

 優子は自分が帰省する時に参考にしたグルメサイトを教えてくれている。私は、気を紛らわすようにして頷く。そうして優子と会話ができている自分に安心した。

 やがて会話が一段落したところで、優子は読書に戻った。私はそっと席を立っていた。ちょっと前にも聞いたことのあるメロディが響いてきたから。

 今日も練習棟の予約が埋まっていたのかもしれない。新歓でパフォーマンスを披露するサークルは、まだまだ準備が大変みたいだ。聞こえてくる音も、以前に比べるとだいぶまとまりが出てきていて、その成果を感じられる。

 帰省のことは直接言っておいた方がいいのかもしれない。そんな軽い気持ちで音の出所に向かったのだけど、私は目が点になった。

 軽音部の部室のすぐ前の廊下には瑠美ちゃんがいたから。今日も窓が全開で防音意識の欠片もないけれど、だからこそ廊下はバンド演奏を聴くには特等席だった。


「瑠美ちゃん?」


「あ、綿実先輩!」


 瑠美ちゃんは、私の驚きをよそに、明るい笑みを向けてくれる。


「えっと、どうしてここに?」


「あ、驚きました? 斎藤先輩にバンドの話聞いたから、聞きに来たんです」


「そうなんだ?」


 思いのほか斎藤くんと瑠美ちゃんが親しくなっているみたい。バイト先の喫茶店でも既に常連さん扱いになっているかもしれない。


「高校ではバンドしてる友達いなかったから、なんか新鮮です!」


「言われてみればうちの高校、軽音部なかったもんね」


「そうなんですよー」


 スポーツ系の部活はそれなりに力が入っている印象だったけど、文化系の部活はちょっと弱い。部活の数もそんなになかったはずだ。


「斎藤くんとも親しくなったんだね」


 何となく探りを入れるような聞き方になってしまった。


「うーん、どうですかねぇ。斎藤先輩、淡々としていますから」


 首を傾げるものの、瑠美ちゃんの表情は楽しそうだ。


「でも、本当にびっくりしたよ、入学前に構内で会うとは思わなかったから」


「思わずドッキリになっちゃいましたかね?」


 無邪気に笑う瑠美ちゃんの様子からは、この前のことを気にしているようには見えなかった。でも、瑠美ちゃんの一言に背中を押されたようなものだから、直接伝えたいとも思う。大した意味はなかったのかもしれないけど……。

 そんな僅かな逡巡をしている内に、1曲終わってしまったみたいだ。


「佐野さん?」


 いつの間にか斎藤くんが傍らに立っていた。部室の方から、修羅場―? なんて声が微かに聞こえた気もするけど、無視だ。


「練習の邪魔したみたいでごめんね」


「いや、そんなことはないけど。何かあった?」


「再来週に帰省することになったから一応直接言っておこうと思って」


「そっか」


「2泊3日だから、そこまでバイトに影響ないと思うけど」


「うん、分かった」


 特に深く聞かれることもなく、さらりと終わる。あれこれ聞かれないことに安堵を覚えていた。でも、隣の目が笑っている。


「綿実先輩、帰省するんですね!」


「う、うん、2泊3日だけどね?」


 妙に嬉しそうにされるので、ちょっと反応に困る。でも、追及されるようなことはなかった。


「うん、本当に良かったです」


 強く頷かれて、私は曖昧に笑うだけだった。


「あいつも喜ぶだろうし」


 その小さな小さな独り言は、だけどしっかりと私の耳に届いていた。心臓が大きく跳ねた。

 頬が赤くなる、気がする。

 斎藤くんが首を傾げるのが見えた瞬間、じゃあね、と早口に言って私は歩き出していた。楽しそうな笑みが背中に聞こえた。


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