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夕暮れの薫り。後ろを振り向くと、体育館のギャラリーに面した窓はすっかり朱色に染まっていた。その内、藍色に染め変えられ、自分自身の存在など簡単に飲み込まれそうだ。
「なーに、黄昏てんだ?」
不意に声がして、前に向き直ると、俊雄がいた。高校1年の頃から同じバスケ部としての付き合いはあるが、いまいち読み切れない部分がある奴だ。能天気そうな顔でバスケットボールを頭の上にのせている。
「別に黄昏てねぇよ」
「そっかぁ?」
にやりとした瞳が疎ましい気配を感じさせる。
「何だよ? 何か含みあんな」
俊雄の頭から転げ落ちたバスケットボールを右手で受け取る。そのまま人差し指の上でくるくると回転させてみる。意外とよく回る、と思っていたら、飛び込んできた言葉にぐらついた。
「いや、俺はまた佐野先輩のことでも考えてんのかと思ってよ」
バスケットボールはコロコロと体育館の床を転げだす。ゴールのあてもないまま。
「あ、図星?」
「んな訳ないだろ。ようやく部活が終わったなぁ、って思っていただけだよ」
「本当かねぇ」
疑わしい目を向ける俊雄を無視するように歩き出す。コートの端で先生が、早く後片付けしろ、と叫んでいる。言われるまでもなく、土曜日にいつまでも学校にいたいとも思わない。
「あーあ、佐野先輩、今頃何しているのかなぁ」
一体、何を気にしてんだ。と内心呆れながらも、さっさと片付けようぜ、と声をかける。
佐野、先輩、か。
その言葉の響きはねっとりと重い。1度指に絡まると、なかなか綺麗に取れない。爪の間に付着したままになっていて、ふと物を掴もうとした時に気付いて、焦る。だから聞きたくない。
だのに、俊雄はことあるごとに連呼する。何かのネタになっていると思っているのか。おれの心がからかいやすいくらいに明け透けなのか。
佐野先輩、佐野センパイ、佐野せんぱい。
隣で片付けをしながら、まだぶつくさ言っている俊雄に、うるせぇ、と言ってヘッドロックをかます。すぐに俊雄は情けない声を出した。
「鴨井、樋口、何やってんだ! さっさと片付けろ!」
先生のでかい声が飛んできた。おれと俊雄は慌てて他のメンバーに混じって後片付けを再開した。
だけど、綿実は本当に今頃何しているんだろう。きっと引っ越しのために部屋の整理をしているに違いない。そう思う一方で、想像する綿実は後ろ姿ばかりが鮮明で、顔の表情は上手く思い描けなかった。手を伸ばしても届きそうで届かない。
その距離が歯がゆい。
「鴨井、ぼーっとしている暇があったら動け!」
再び先生に怒鳴られて我に返る。いつの間にか立ち止まっていたようだ。感傷に浸るような趣味はないはずなんだけどな……。
にやつく俊雄の顔を視界の端に捉えて、思わず舌打ちをする。
夕暮れの気配はどんどん濃くなる。いっそ全てが夜の色に染まれば、何も見えなくなって楽なのかもしれない。
そんな馬鹿げた考えに苦笑しながら、転がるバスケットボールを1つ手に取った。