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窓の外からは暖かな日差しが差し込んでいる。お昼を過ぎて、穏やかさを取り戻した店内を柔らかな雰囲気にしてくれている。先ほどまではお客さんが多かったこともあって、思わず一息つく。バイト中でなければ、春の空気にまどろんでいたかもしれない。
まぶたに力を入れて開き、仕事に集中しようと試みる。店内にいるお客さんは2組4人。それぞれ歓談しつつ食事を楽しんでいるようだ。うん、今することはなさそうだ。
でも、ぼーっと立っているだけでは、眠気に誘われてしまう。視線をさまよわせて仕事を探していると、隣から訝しげに問う目を投げかけられた。
「……何しているんだ?」
頭上から響く低めの声は、ずっしりと脳に響く。何故だか背筋が伸びる思いがした。
「いや、手が空いたから何かすることないかな、と思って」
そっと目を細める斎藤くん。だけど怒ってはいないらしい。
「真面目だな」
「うーん。手持無沙汰だと眠くなりそうで」
正直に答えると、苦笑された。でも、表情は割と穏やかで、春の日差しに似ている気がした。そんな雰囲気に流されるように、私は続けて口を開いていた。
「斎藤くんは眠くならない? この時間帯に入るの珍しい気もするけど」
先日は急遽のヘルプで同じ時間帯に入ってくれていたけど、普段は私と同じく夕方以降がメインだ。私は、今は春休みだから入る時間帯は固定されていない。
「別に普段夜更かししているわけじゃないから」
「そう?」
「うん、それに先月実家帰っていたから、今月は多めに入らないと」
斎藤くんも同じ大学生なのだから、当然入る時間帯は自由にできるわけだ。当たり前のことを聞いていたな、とちょっと自分に笑う。
そんな私を見て首を傾げる斎藤くん。
斎藤くんのことを笑ったと思われてる? 誤解は早めに解かないと、と思ったタイミングで入り口のドアベルが響く。
「いらっしゃいませ」
反射的に出た声は2人揃っていた。店内の雰囲気を壊さない程度のボリュームで。
だけど、お客さんの顔を見た瞬間、私の動きは止まった。
「綿実先輩、こんにちは!」
「瑠美ちゃん?」
「バイト先が見てみたくて来ちゃいました」
朗らかに言う。だけど、先日会った時に、バイト先の話などしていただろうか? 腑に落ちない顔になっていたのか、瑠美ちゃんは慌てて言葉を足す。
「あ、ストーカーじゃないですよ? 昨日優子先輩に会った時に、そんな話になったんですよ」
どうやら優子と瑠美ちゃんは気が合うらしく、会っていたようだ。私は誘われてないぞ、と思ったことは気づかないふりする。
「そうなんだ。びっくりした」
「サプライズっぽくなっちゃいました?」
「うん」
頷く傍らで、隣の視線が気になる。もう首を傾げる様子もなく、斎藤くんは空気に徹しようとしてくれているみたいだけど、目はきちんと私たちを見ているのだ。
「高校の後輩の坂口瑠美ちゃん」
「どうも。佐野さんと同じ大学に通う斎藤晃だ」
とりあえず紹介してみたものの、どうも言葉が固い気もする。
「そうなんですね、綿実先輩の彼氏ですか?」
さらりと言葉の爆弾をぶん投げられた。
「違います!」
「違う」
私と斎藤くんの声はシンクロしていた。お互い、今までそんな話したことないし。というか、まともに話せるようになったのもつい最近だ。
「そうなんですか? 窓の外から見えた時は良い雰囲気だったので、つい」
良い雰囲気? 私たちは顔を見合わせて、互いに首を傾げた。よく分からなかった。でも、いつまでも立ち話をしているわけにもいかない。
「とりあえず席に案内するね。今日は優子と待ち合わせ?」
「いいえ、1人です」
「じゃあ、カウンター席の方がいいかな?」
「はい、大丈夫です」
元気に頷くと、瑠美ちゃんは案内されるまでもなく、私たちが立っている場所からすぐ近くの席に座っていた。そしてメニュー表にざっと視線を巡らす。
「紅茶を……アールグレイでお願いします」
「かしこまりました」
私が頷くと同時に、奥にいた店長がさっさと準備に入っている。相変わらずオーダーの意味をなさない店内の広さではある。それでも一応店長にアールグレイを1つ、伝えた。
「綿実先輩って、ほぼ毎日バイトしてるんですか?」
瑠美ちゃんの声は潜めていても、よく通る。奥の席に座るお客さんに気を配りつつ、私は頷く。
「春休みの間は大体入っているかな」
まるで暇人です、と宣言しているみたいで、ちょっと哀しい。けれど事実なのだから仕方ない。
「優子先輩の言っていた通りなんですね。帰省はしなかったんですね」
「うん、そうだね」
これまた事実なので、特に考えることもなく頷いたのだけど、瑠美ちゃんの瞳が一瞬思案げに揺れた気がした。何か変だった?
「どうぞ」
確認してみようと思った所で、斎藤くんがアールグレイを瑠美ちゃんの前に置いていた。ふわりと柑橘系の匂いが漂う。
「ありがとうございます」
「ごゆっくり」
満面の笑顔の瑠美ちゃんに対して、斎藤くんは控えめな笑みを返す。落ち着いた雰囲気があって、ベースを弾いている時とは異なる柔らかい雰囲気だ。背が高いこともあって威圧感を覚えることも多かったけど、こうして見ると喫茶店にも馴染んでいる。一緒の時間帯に入るからこそ気付けたことだ。
「……美味しい」
アールグレイを一口飲んだ瑠美ちゃんが、そっと息をつく。穏やかな表情で、もう思案するような様子もない。気のせいだったのかもしれない。
それから紅茶の味が良かったからなのか、追加でパンケーキも注文してくれて、気付けば1時間近く経っていた。その間、お客さんの出入りは勿論あったけれど、特段忙しくなることもなかった。おかげで仕事の合間に瑠美ちゃんと話す余裕もあった。大学の講義やサークルの様子など、取り留めない話だ。斎藤くんとも何度か話しているみたいだったし、退屈する様子もなく過ごしてくれたようだ。
「今日は突然来たのにありがとうございました」
お会計の時も、朗らかな様子だった。
「ううん、常連さんになってくれたら嬉しいからまた来てね」
セールストークというだけでなく、本心で言っていた。不意に驚かされることも多いけど、不快感を覚えることはなく、人懐っこさを感じる。瑠美ちゃんの人柄が大きいのだろう。
だけど、ドキリとした。
「先輩、たまには帰省してあげてくださいね」
店を出る直前に言われた言葉に。
ぽかんとして何も返せなかった。颯爽と歩きだす背中は、春先の荒い風にかき消されるようにして、見えなくなった。




