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カロンコロンと軽快なドアベルが響き、高校生くらいのカップルが入ってきた。純喫茶な雰囲気のせいか、10代のお客さんは珍しい。高校生の頃だと、ファーストフードの方が手軽な印象があるからかな。いや、私服なのですごい童顔だけど20代の人なのかもしれない。そんな失礼なことを考えながらも、アイスティーとクリームソーダの注文を受けた。カウンターに戻る頃には、伝える前に注文の品が用意されていた。さすが、小さな店。密談をするには向かない店だろうと思う。
「お待たせしました」
踵を返すような速さでも、笑顔とともに告げる。受け取るカップルからは、やはり高校生の雰囲気が漂っていた。そういえば3年生なら、もう卒業している頃なのだ。平日の日中に私服でもおかしいことはない。
ふと胸の辺りをキュッと掴まれたような、微かな痛みを覚えた。
「綿実ちゃん、どうかした?」
不意にマスターに声を掛けられる。
「え、いえ、どうもしてませんよ?」
「そうかい? 気分悪そうに見えたけど……」
「大丈夫ですよ!」
意識して笑顔を強く作る。マスターは曖昧にだけど頷いてくれる。
「体調悪くなったら、すぐに言ってね」
私はもう1度、大丈夫ですよ、と言っていた。何に対してなのかは、上手く言葉に出来なかった。
高校生と思しきカップルは、楽しそうな笑顔を浮かべていた。
お店は今日も程よく繁盛している。閑古鳥が鳴く時はないけど、満席になることもない。それはランチタイムやお三時でも変わることはなく、不思議な安定感がある。商売としては少し心配になる所もあるけど……。マスターからは切迫した様子は感じられない。
休憩時間にはまかないだって出してくれる。
今日のオムライスも半熟ふわとろで美味しい……。
軽食も美味しいから、常連さんを獲得できているんだろう。だから、きっと大丈夫なんだろう、と経営のけの字も分からない私は単純に思ってしまう。
オムライスに舌鼓を打っていると、休憩室のドアが開いた。マスターかな、と思ったら違った。
「おはようございます」
180センチを軽く超える長身から響く静かな声は、ちょっと威圧感がある。初めてのことではないのに、未だに慣れない。唯一のバイトの同期、斎藤晃くんだった。
「おはようございます」
食事を一旦止めて私も挨拶をする。斎藤くんは軽く会釈をすると、そのままロッカーの方へと行く。四畳半にロッカーと長机、書類用の棚が置かれた休憩室は、斎藤くんの体躯だと窮屈そうに見えた。でも、斎藤くんは物にぶつかるようなこともなく、慣れた手つきでエプロンを身につける。
「何?」
突然声を掛けられて、返す言葉が出てこなかった。
「いや、なんかずっと見られてる気がしたから」
「あ、ごめん。斎藤くんと同じ時間帯に入るの珍しくて、つい」
「子供が熱って言われて、代わりに入ってるから」
元々入ってない日だったけど、電話で交代を頼まれたってことかな……。
「そうなんだ、今日はよろしくね!」
斎藤くんは小さく頷いた。1年近く働いているけど、いまいち距離を掴めないままだった。それは一緒にほとんど入らないせいだけなのかな。同期なのに未だに連絡先を知らない私って……。だからと言って、このタイミングで聞くのも不自然だし、絶対知りたい訳でもない。結局、会話が続くこともなく、斎藤くんは休憩室を後にしていた。
人間関係を構築するのは難しいと、しみじみ思ってしまう。
溜め息を1つこぼして、仕事に集中しよう、と頭を切り替える。美味しいオムライスは味わうこともなく、胃の中に消えた。
後半戦はマスター、私、斎藤くんの3人。あまりない組み合わせだから、やっぱりちょっと緊張する。
一方、店の雰囲気はいつもと変わらない。常連さんと社会人と思しき人達が入れ替わり立ち替わり訪れ、静かに時は進む。高校生くらいの子は、さすがにもう訪れないみたいだ。
退店されたテーブルを拭き、カップを片付けると、ふと手持無沙汰になった。それは斎藤くんも同じみたいで、レジカウンターからぼんやりと窓の外に目をやっている。
「お客様、落ち着いたね」
「そうだな」
声をかけてみたものの、会話は続かなかった。勤務中だし仕方ないか、と思い直して、カウンター席から店内を見渡す。窓際のテーブル席が2つ埋まっている。空気はまだまだ肌寒いのに、日差しは柔らかですっかり春めいている。猫なら日向ぼっこしたくなるのかもしれない。
「昨日、大学にいた?」
不意に思わぬことを聞かれて首を傾げる。
「サークル棟で、似た人を見かけたから」
すっかり忘れていたけど、斎藤くんも同じ大学だった。この辺りでバイトしている大学生なら通う大学も大体同じ、という意識は持っているのだけど1度も構内で会わないからな……。
「新歓の打ち合わせで行ってたよ。斎藤くんもサークル入ってるの?」
「うん、軽音」
意外だ。一言で意外だと思えるくらいに、サークル内容が分かりやすいサークル名が羨ましくもある。
「えっと、ギターとか弾くの?」
「俺はベース」
「ベース……」
楽器としては勿論知っているけど、どんな楽器かと言われると的確に言えない。
「ギターと似た感じので、リズムを刻みながらメロディも奏でる感じの楽器だよ」
斎藤くんが丁寧に補足してくれる。なるほど、と思いながらもギターとベースを見分けられる自信はあまりない。
「同じ文科系のサークルなのに、何で今まで会わなかったんだろうね」
バンドや音楽のことは詳しく話せないので、少し話を逸らしてしまった。けれど、斎藤くんは特に気にしたふうもなく、視線は窓の外のまま、会話を続けてくれる。
「俺、先月は実家に帰っていたから」
私はこの1年程の間のことを指していたのだけど……と思いつつ、深く気にしないことにした。
「そうなんだ、実家に帰っていたんだ」
「うん、佐野さんはずっとこっち?」
「そう。バイト頑張ろうかな、と思って」
優子にもした、同じ言い訳。
「俺はできればもっと実家にいたかったけどね」
じゃあもっといれば良かったんじゃない? と言いかけて思い直した。春休みの間、まるっとバイトしなかったら4月の生活が大変だもんね。
「私は今は実家にいたいと思えないな……」
代わりにこぼれ出た言葉に、私自身が冷やりとした。
でも、斎藤くんが口を開く前に、ドアベルが鳴って私達の会話は終了した。そうして、もうお互いのことを話すことなくバイトの時間は流れていった。
胸の奥にくすぶる熱からは視線をそらし、目の前の日常に費やす努力をする。私の選択が正しかったのかどうかは、今もまだ分からない。




