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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
3/75

3

 公園は静かなものだった。

 3月と言ったって、季節はやはり冬に近い。雲はなく日差しがあったけど、吐く息がほんのりと白くなる。わざわざ公園でくつろぐ人もいないらしい。

 綿実とおれはブランコに腰掛けている。閑散とした公園はもちろんベンチも空いていたけど、公園に入るなり綿実はまっすぐにブランコに向かった。2人の視線の先には砂場があった。足跡がたくさん残っていて、砂の山が途中で崩れている。噴火し終えて、土石流も流れ切って、乾いた後のようだった。

 首を横に向けると、キィとブランコの鎖が軋んだ。気まずい思いになったけど、綿実の横顔は気にしている様子はなかった。砂場を検分するかのように、じっくりと見つめている。


「懐かしいね」


 ぽつりと言った。


「懐かしい?」


 問い返しながらも、分かっていた。綿実が想っていたことは。


「うん、懐かしい。覚えてる? 私、卒園式の日に大泣きしたんだよね、ここで」


「ああ、そんなこともあったかもな」


 くすり、と不意に綿実が顔を横に向けたので瞳がぶつかった。心臓がびっくりした。


「何がおかしいんだよ?」


「別に? ナツは変わってないなぁ、って思っただけ」


 言いながら綿実はブランコをこぐ。ふわりと綿実の体が浮いて、おれの瞳から一瞬姿が消えた。髪とマフラーが、早春の空気を揺らした。ブランコの鎖は耳障りな音を立てるのに、それさえも優しく感じた。


「ナツって言うなよ」


 忠告もブランコの風を裂く音にかき消されてしまうようだった。綿実は微笑んでいるみたいに見えた。

 たしかに、懐かしい、と思える。

 今の綿実が泣いている様子なんて、とても想像できない。それだけ時間がたったってことなのか? いや、実際もう12年も前のことなんだけど。


――どうしてナツとばらばらになっちゃうの?


 幼稚園の卒園式の帰り、公園のブランコで綿実は大粒の涙を幾筋も流しながら叫んでいた。

 綿実の母親は、大丈夫よ、となだめながらブランコを揺らすが、効果は見られなかった。入園の時は平気だったのにねぇ、とおれの母さんは微笑ましく目を細めている。砂場で砂の山を作っていたおれは、母さんの足元からひょっこりと顔を出していた。


――ワタちゃん、どうしたの?


 何と答えれば良いのか分からぬままに、泣きじゃくる綿実に尋ねていた。


――私、ガッコに行くことになっちゃったのぉ。ナツと別れちゃうんだ。


 まだ幼かったおれにはいまいち要領を得なかった。でも自分達にとって重大なことだと理解はした。


――大丈夫だよ!


 力強く言った。綿実が瞳をぱちくりさせる。涙がはらりと左目からまた1雫伝う。そっと頬を拭ってあげた。綿実はまた瞬きする。


――大丈夫、なの?


――うん、大丈夫。


 綿実の不安をなくすように、もう1度大きく頷いてみせる。根拠は何もなかった。でも、じっとおれの顔を見つめた綿実は、ゆっくりと笑みをつくる。


――ありがと、ナツ。


 そっと小指を綿実は差し出す。意味が分からずに、おれは首を傾げる。


――大丈夫の約束!


 合点がいくと、明るい顔で綿実と小指を絡める。温かな熱がじんわりとおれ達に広がった。想いを共有するように。

 おれと綿実はかたく指きりを交わす。

 笑顔のままに綿実の後ろにまわり、ブランコの座っている所に足を載せると立ちこぎを始めた。グイッと2人の体が揺れ、柔らかな風が頬を触れていく。こぐ度に空が近くなり、青空に手が届くのではないか、と思った。

 ブランコが大きく揺れだすと母親たちは顔が合ったが、2人の笑顔を見て取るとすぐに安堵していた。

 2人に初めてできる距離は、春の始まりを告げる暖かな風が埋めていた。


 高校生となった今ではもう遠い記憶だが、おれは未だに時折り小指を見ることがある。あの時のぬくもりが残っているような気がして……。

 綿実はどうなんだろう。

 おれが後ろに立って立ちこぎする必要など全く感じない。軽やかにブランコをこいでいる綿実。


「どうかした?」


 綿実がブランコをとめた。2つの大きな瞳がおれを捉えている。


「別に」


 そっぽを向くと、ブランコをこいでみた。空気は確かにまだ冷たい。だけど、頬に触れる風は気持ちよく思えた。

 近づいては遠ざかっていく、青空。足先には崩れかけている砂の山が映る。

 あの時と同じままだろうか。それとも何か変わっているのか。隣を見ることは、でもできなかった。


「ねぇ、今度の日曜日って暇?」


 突然の綿実の声は、妙に大きく耳に響いた。暇って? おれはブランコをこぐのをやめて、1つ息をついた。


「なんで?」


 掠れた声が出た。綿実は少し思案したように間をつくってから、答えた。


「なんでって引っ越しの準備、手伝ってもらおうかと思ってさ」


 ああ、そういうこと。思わず嘆息しそうになるが、ぐっとこらえる。しかし、声は不機嫌になった。


「引っ越しくらい1人でやればいいじゃん」


「つめたーい。だって本とか一杯あるんだもん。重いの大変でしょ?」


 なんだ、その柄にもない媚びた声は。奥歯に力を入れて、精一杯、鼻白んでみせる。


「きも」


「ひどい」


 カウンターパンチ。綿実はにんまりと笑顔を浮かべていた。


「つーか、おれまだ学生なんですけど」


「だから日曜日に誘ってるんじゃん」


「貴重な休日なのに」


「同じ団地の2階と3階でしょ? 大丈夫」


 一体、何が大丈夫なんだか。毒づいてやろうかとも思ったが、そこまで拒否する理由も思い当たらなかった。でも、聞こえよがしに溜め息はついた。


「で、引っ越していつだっけ?」


 綿実は一瞬、空を見上げた。


「えっとね、28日。ちょうど4週間後だね」


 具体的な数字が憎たらしくも思える。自分から尋ねたくせに。おれも空を見上げる。雲が1つもない空は、おそろしくなるほどに真っ青だった。


「いいよ。手伝ってやる」


 白い息がふわりと溶けた。声の震えが見えたようで、少し焦る。


「ほんと? ありがとう」


 邪気のない声を出されると、ますます焦る。ごまかすようにブランコから立ち上がる。


「つーか、もう寒いから、何かあったかいもん食べに行かね?」


 綿実は跳ねるように立ち上がっていた。後れ毛が揺れるくらいに。


「何なに? 奢ってくれるの?」


「何故そうなる」


「だって今日卒業式だよ」


「引っ越しの手伝い料、前払い希望」


 けち臭いなぁ。いいじゃん。そんな軽口を叩きながら歩き出す。穏やかな風が通り抜けていく。確かに寒い。だけど春なのだ。春一番でも吹けば、いっそう近づくだろう。

 引っ越し。

 その単語には暗い匂いがする。それでも想いは言葉にせず胸に畳む。何も変わりはしない。変えようがないじゃないか。

 公園を出る間際、ふと振り返り砂場を見る。出来損ないの砂の山はまだ形をとどめている。でも強い風の後には、さらさらと崩れ去るのだろう。


「ねぇ、お好み焼き、食べに行こうよ」


 向き直ると、綿実は朗らかに話を進めていた。

 お好み焼き。

 それがせめてもの救いに思えた。


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