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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥
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1

 大学の春休みは長い。レポートと試験が2月の頭で終わると、それから4月が来るまでずっと休みだ。高校までの夏休みよりも長い。

 正直な所、3月1日を迎えた現在、休みに飽きている。

 長期の休みだからと言って宿題が大量に出される訳でもない。友達の多くは旅行に出かけたりしているけど、そんな気分にもなれなかった。結果、私はただただバイトをすることで休みを消費している。


 ……これでいいのかな。


 思わず溜め息がこぼれ落ちる。

 そんな私を嘲笑うかのように、冷たい風が吹き抜けた。身体が震える。3月になった途端に春になる訳じゃないのは、京都も一緒だ。京都は盆地だから、夏は暑く冬は寒いと聞いていたけど、確かに地元よりも寒く感じる。見上げた桜の蕾もまだ咲く素振りもない。

 もう1度冷たい風が頬に触れて、はっとする。


「いけない、いけない」


 ぼんやりしている場合じゃなかった。私は今日もバイト先へと急いだ。

 私の働く喫茶店は、どこか昭和臭を感じさせるレトロな雰囲気があって、カフェと言うよりは純喫茶と言う言葉が似合う。訪れるお客さんも、確かに観光客もいるけど地元の人の割合の方が大きい気がする。マスターとその奥さんによる家族経営で、温かさと落ち着きを感じる。


「綿実ちゃん、ギリギリやで~」


 もちろん勤務には真面目さが第一。家族経営だからって緩くはない。


「あ、すみません。すぐ用意してきます!」


「そんなに急がなくても大丈夫やで~」


 間延びしたマスターの声を聞くと、やっぱ厳しくはないかもしれないと思い直す。

 とは言え遅刻はまずい。私は黒地のシンプルなエプロンを身につけ、髪を1つに束ねると、急いで店内に戻る。


「おはようございます」


「はい、おはよう。今日もよろしくね」


「はい!」


 元気よく挨拶してみたら、店内に思いのほか響いてしまった。そっと辺りを窺うと、気に留めているお客さんはいないようだった。と言うかお客さんは3人しかいなかった。スーツを着た人が2人に、お嬢様のようなワンピースを着た女の子が1人。みんな常連さんではなかったけど、お店の雰囲気に馴染んでいた。注文は終わっているようで、ほんのりとコーヒーの香りが店内に広がっている。

 今日はあまり忙しくなさそうだな。でも、近所のおばちゃんたちの井戸端会議所に突然変わることもあるので、気は抜けない。

 ぐっと気合いを入れ直してみたけど、店はゆったりとした雰囲気のままだった。時は緩慢に流れていく。スーツの2人が退店し、お嬢様のようなワンピースの女の子が、背の高い男の子に手を引かれて店を後にすると、入れ替わるように文学青年がやってくる。端の方の席で、いつもブラックコーヒー片手に文庫本を読む常連さんだ。もしかしたら同じ大学の人かもしれないけど、構内で会ったことはなかった。それからも思い出したように入店のベルが鳴った。


「綿実ちゃん? ちょっといい?」


 新たに来店されたお客さんにアッサムティーを出した後、マスターに呼び止められた。


「はい、何でしょうか?」


「いや、そういやさ、もう3月だけど帰省の予定とか聞いてなかったと思うてさ」


「帰省……」


 何でもない世間話のようなノリだったけど、私は一瞬口ごもってしまった。でも、すぐに笑顔を浮かべる。


「春に帰省の予定はないので大丈夫ですよ」


「そう? まぁうちとしては助かるけど」


 何やら腑に落ちない様子だった。1回生の春休みに帰省しないのは、変に映るのだろうか。適当な言い訳も思いつかず、曖昧に頷くしかできない。だけどマスターは特に追及してくることもなく、仕事に戻っていった。

  その後は、結局井戸端会議所になることもなく平穏に時間が過ぎていった。パートの先輩のお姉さんが交代でやってくるまで、私は時間をつぶした。


 3月に入って日も長くなったかと思ったけど、帰宅する頃には空がオレンジから藍色に染め変わっている。


「ただいま」


 言いながら部屋の明かりをつけた。2LDKのリビングはさして広くはなく、簡単に辺りを一望できる。


「お父さん?」


 一応ドアもノックしてみたけど返事はない。玄関に靴もなかったし、まだ出掛けているのだろう。暇を持て余す娘とは対照的にお父さんは今日も忙しそうだ。

 溜め息を1つ転がしてから、夕飯の支度に取りかかる。冷蔵庫には今の季節だとちょっと高い茄子があった。味噌と合わせてみよう。

 頭の中でメニューを考えながら、淡々と準備を進めていく。包丁の音が軽快に響く。2人暮らしでは狭いと感じることもある部屋だけど、1人では広すぎる。

 キッチンに立ちこめる湯気だけが、温かだ。

 早春の1日は、今日も静かに終わりを迎えようとする。


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