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京都駅は古都のイメージに反して、随分と現代的で、大都会の駅といった様子だ。正直、京都に来たな、という感慨は薄かった。何より人の多さに酔いそうだった。桜はまだ満開ではないものの、だいぶ見頃になってきているらしいし、仕方ないか。分かっていても溜め息は漏れる。くつろげる場所に行きたい。
「おいおい、着いた早々溜め息はないだろう?」
俊雄に目ざとく咎められる。
「いや、人が多すぎてさ……」
「ま、今の時期はどうしてもな」
周りから見れば、おれ達も多すぎる人の一部だろうしな。文句を言う意味はない。
「それよりさっさと移動しようぜ」
明るい表情をする俊雄からは、疲れの色は見えない。旅行を満喫してやろうという気概に溢れている。って別に俊雄に限ったことではないか。瑠美を始めとした他のメンツも同じような顔つきだ。
おれも意識的に表情を明るくしてみる。
「そうだな、まずはどこから行くんだっけ?」
「五重塔よ!」
瑠美も本当に元気いっぱいだな。てか五重塔っていくつかあると思うんだけど、結局どこなんだ?
そんな心の内にまで答えてくれる奴はおらず、みんなしっかりとした足取りで駅構内を歩いていく。また電車で移動することになるらしい。
あ、京都に着いたこと、綿実にメールしておこうか……。
いや、落ち着いてからでもいいか。実際に会う時間があるかどうかも、今の所、あやしいしな。思い直してからおれはみんなに続いて歩き出した。
そうして電車とバスを乗り継いで辿り着いたのは仁和寺だった。
二王門と呼ばれるだけあって、金剛力士像に出迎えられる仁和寺の玄関は迫力がある。何となく手を合わせたくなったが、それも違う気がしたので、さっさと門をくぐった。
拝観料を払い、御殿に入ると空気が変わった。どこか凛とした佇まいにさせられる。ぴんと背筋が伸びる。
「なんかタイムスリップしたみたいな気分だな」
俊雄は間の抜けたことを言っているが、分からないでもない。長い回廊も襖も現代の匂いがない。そして南庭の白砂が美しかった。目を奪われる。自分がこんなに引き込まれるとは思わなかった。けど、周りを見れば皆感嘆していた。
中門を抜け、しばらく歩いていくと目当ての五重塔が見えてきた。
「近くで見ると迫力が全然違うね」
瑠美が背を反らす勢いで見上げている。短めの髪がさらさらと揺れている。
「見上げ過ぎて後ろに倒れるなよ」
「大丈夫だよ! 私の体幹なめんなよ」
「それはあんま関係なくね」
「なんだとー!」
何だかいつもよりテンションが高い気がする。まぁせっかくの旅行だしな。テンションが低くても困るが。
五重塔はのぼれないらしく、ちょっと残念だった。最上階からは京都の街がよく見えたんだろうな。
さらに歩くと、やや低い木々が目につくようになった。
「お、御室桜だな」
「桜?」
嬉しそうな俊雄の声に首を傾げる。京都市内の桜は大分咲いていたはずなのだが、ここの木々の蕾はまだまだ固そうだ。そんなおれの心中を読みとったのか、俊雄はにやりとした。
「ねぶたさの春は御室の花よりぞ、ってな」
え、俊雄が俳句……? やっぱ文学青年なのか? いや違うな。おれはすぐに頭を振った。
「ガイドブックか何かの受け売り?」
「まぁな」
俊雄は悪びれる様子もなく笑顔を返してきた。
「御室桜は遅咲きで有名なんだよ。御室の花が咲く頃から眠くなるくらいにあったかくなるって詠まれるくらいに」
受け売りにしても何も見ずにすらすらと蘊蓄を語る様は、賢そうには見える。胡散臭いと思わなくもないけれども。俊雄と成績の話はあまりしたことなかったけど、どうだったろうか。
「とりあえず見頃の時期は外しているってことだよな」
「そういうこった」
俊雄はしたり顔で頷く。その横から瑠美が顔をのぞかせる。
「御室桜は花と鼻が低いことを掛けて、お多福桜とも呼ばれているんだよね」
「……それもガイドブックの受け売り?」
「まぁね!」
瑠美も清々しい笑顔だ。みんなガイドブックを読み耽る程度には、この旅行を楽しみにしていたらしい。ろくに行き先も把握していなかった自分が申し訳なくなる。
しかし、ガイドブックを読んでいても見逃す情報はあるらしい。
「霊宝館は明日からじゃないと見られないんだって」
「仁和寺は明日にしたら良かったな」
一気に皆のテンションが下がってしまった。国宝がある霊宝館は春と秋の期間限定の公開らしく、春は4月1日からだったようだ。だから思ったより人が少ないのかと腑に落ちた。
「まぁ2泊3日なんだし、また来たらいいんじゃね」
気軽に提案してみたら、瑠美に渋い顔をされた。
「明日は銀閣寺の方に行くし、1日で回るには距離があるよ」
「ま、今回は縁がなかったってことで諦めるしかないわな」
俊雄の声は意外とさっぱりしている。絶対見たいものでもなかったのかもしれない。瑠美や他の連中も、明るい声を出し始めている。旅行のテンションは簡単に回復するようだ。
1日、か。
不意に心の奥が冷える気がした。1日ずれただけで、どれほど見えるものは違ったのだろう。手にできるものも違ったのだろうか。
たとえば綿実の隣にい続けることは、もっと容易かったのか。
考えても詮無いことなのに、つい考えてしまう自分に苛立つ。気分を変えるように見上げると、旅行日和な青空だった。
「夏衣、そろそろ行くぞ?」
俊雄の声に頷きながら、考える。明日、綿実に会おう。そのためにも早く連絡を取ろう。その一方で躊躇いを覚える自分もいた。何も気にする必要なんてないはずなのに。笑顔を曇らせてしまう不安がつきまとう。
でも、1日の違いを理由に縁がなかったと諦めることはできない。
おれは躊躇いを振り切るように歩き出した。




