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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏

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 『たけくらべ』の文庫本は、他にもいくつかの作品が収録されている短編集だった。どれも特に長い話ではないようだ。だけど、いざ読んでみるか、と思うと辟易してしまう。明治の作品という前知識はあったものの、それ以上に文章に癖があったから。現代文の授業を受けようと思ったら古典が始まった気分だ。

 ぱらぱらとページをめくっていき、本を閉じる。綿実は本当にこれを読んでいたんだろうか?

 京都旅行のついでに渡せたら渡そう、と思って鞄に忍ばせてきた文庫本。どんな話なのか興味を持ったものの、読破は無理そうだ。ふぅ、と息を落として電車の席に深く背を預ける。


「何読んでんだ?」


 隣の席に座る俊雄が訝しげな顔をしている。おれと読書が結びつかないせいかもしれない。


「いや、『たけくらべ』だけど」


「樋口一葉好きなのか?」


 俊雄からさらりと文学作品の作者名が出てくるのは変な感じだ。実は文学青年なのか。


「好きっていうか……ただの届け物かな」


 首をかしげたけど、俊雄はすぐさま二カッと笑みを見せた。


「まぁ俺は樋口一葉好きだけどね」


「まじかよ」


 やっぱ文学青年だったのか。意外すぎるぞ。


「だって野口英世5人分だぜ? 大好きに決まってんじゃん」


 そういえば五千円札の人だったな。苦笑しつつも、おれは何となく安堵していた。


「でも夏衣くんが旅行にわざわざ本持ってくるとは思わなかったよ」


 前の席に座る瑠美が、隣の席との会話を中断して突っ込んできた。ちゃっかり話を聞かれていたらしい。まぁ、大して広くない4人掛けの席だし、聞こえるか。


「持ってきた、というか預かり物みたいなもんだからな」


「預かり物?」


 瑠美は首を捻る。どう説明したものか迷う。別に隠すほどのことでもないんだけど……。妙な気恥ずかしさを感じてしまうのは何故だろう。


「誰かに借りたの?」


 重ねて問われた言葉には他意などなく、単純な疑問だと感じる。おれはそっと息を整えた。


「これ、佐野先輩の本なんだよ。先輩のお母さんに渡しといてくれって頼まれたんだ」


 答えてみれば、構えていた気持ちは消えた気がする。やましいことは何もないしな。だけど、何だろう、周りの視線が熱い。


「お母様から届け物を頼まれるなんてねぇ、家族公認?」


 俊雄がニヤニヤ笑顔で茶化してきやがる。


「ただの幼馴染みの範疇だ」


「範疇って言い方がな~。境界線、決めてんの?」


 さらりと言われた言葉にドキリとした。おれはどこまでが幼馴染みだと思っているんだろう。指きりは出来ても手は繋げられない。その距離は笑顔1つで変わる気もする。


「別に。関係ないだろ」


 かろうじて返した言葉は、投げやりに響いた。


「旅行中に佐野先輩と会うの?」


 瑠美のまっすぐな瞳が痛い。捕われそうになる。勢いで否定しそうになる喉元をぐっと押さえる。


「……分からん。約束してねぇし」


「ふぅん、そうなんだ。会えると良いね」


 抑揚のない声は、賛成か反対かも分からない。かといって興味がないようにも感じられない。心臓の奥を絡め取られたような、身動きのしづらさを覚える。でも瑠美はそれ以上、追及してくることはなかった。京都ではどこに行きたい、と無難な話題を繰り出し、俊雄達もその流れに乗っていた。

 おれは居心地の悪いままだった。友達との旅行に下心を持ちこんだ罰かもしれない。

 気を紛らわすように窓の外に視線を投げる。見慣れない景色が流れていく。おれの知らない生活がある場所。琵琶湖でも見えてきたら、安堵するのだろうか。縁もゆかりもないけど、知識として確かに知っている場所。

 電車を乗り継いで2時間ちょっと。旅行というには近場。だけど気軽に出掛けられる距離でもない。それでもこうして会いに行ける。電車とお金を使えば。

 もうあの団地の距離には戻れないのだ、と不意に実感する。手のひらの文庫本の重みが増した気がする。


「え、清水寺から飛び降りても死なないの?」


 素っ頓狂な俊雄の声がする。何だか残念そうな顔をしている。バンジージャンプをしたかったのか、自殺願望があったのかどっちだ。後者なら全力で相談に乗らなければならない。


「死なないってこともないけど……江戸時代に結構飛び降りた人いるけど生存率8割くらいあるんだってさ」


「へぇ、意外だな」


 俊雄の明るい声を聞いていると、この旅行を無事に終えられるのか心配になってくる。説明した奴も予想外の反応だったのか苦笑している。

 でも、そうだな。いっそ清水の舞台から飛び降りたら、何か変わるのだろうか。なんて願いも定まらないのに願懸けだなんて、ひどい冗談だ。

 思わず笑みがこぼれると、何笑ってんだ、と無理矢理会話の波に巻き込まれていた。今はこの輪の中にいることが心地良い。

 気付けば琵琶湖は通り過ぎてしまっていた。もうすぐ京都だ。


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