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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 左腕の傷は、翌日になるとしっかりとかさぶたが出来ていた。それでも傷が開くといけないからと母さんに包帯をまた巻かれてしまい、妙に大袈裟な感じになってしまった。反省と謝罪の表れかもしれないと思うと、無碍にもしにくい。

 まぁ、こういう傷跡って結構かゆくなるしな。目から見えなくしておいた方が良いのかもしれない。

 でも、包帯のせいで部活仲間からは、やたら心配されてしまった。

 大丈夫、と言っても聞き入れてもらえず、基礎トレーニング以外は見学状態だった。明日から3日間は、年度の切り替えのために部活が休みになるので、もう少し体を動かしておきたかった。

 仕方ないかな。とは思うけど。目の前で走り回る連中を見ていると、うずうずしてくる。


「ねぇ、ボールの手入れ、手伝って」


 瑠美が布とクリーナーを手渡してくる。思わず受け取ってから、じっと見つめる。


「おれ、マネージャーになった覚えはないんだけど」


「いいでしょ。結構いい手の運動になるかもよ」


「なんだよ、それ」


 突っ込みながらも、瑠美のそばに置かれたボール整理カゴから、バスケットボールを1つ取り出す。改めて見ると、割と汚れている。毎日触っているのに、案外気付かないものだ。いや、いつもは瑠美が気付かない内に綺麗にしてくれているのか。

 クリーナーをつけると、思ったよりも汚れは簡単に取れる。ただボール整理カゴの中を見ると……数をこなすことを考えたら大変そうだ。


「ありがとな」


「突然、どうしたの」


「いや、いつもこういうことしてくれていたんだよな、と思って」


「まぁ、マネージャーだからね」


 当たり前のことのように瑠美は答える。でも、微かに唇の口角が上がっているようにも見えた。


「それより、腕の方は本当に大丈夫なの?」


 ちらりと包帯に目をやる。見た目こそ仰々しいが、痛みとかはないし、数日の内には治るだろう。


「うん、大丈夫」


「ならいいけど。旅行中は重いもの持たないようにしてね」


「重い物ねぇ」


 京都に観光に行って、重い物を持つ場面ってどんな時だろう。2泊3日なので、手荷物も大した量にはならない。


「特に問題ないだろ」


「枕投げ、全力でしないでね」


 一体、どんな旅行を想像しているんだ。深くは気にしないことにした。バスケットボールの手入れに集中することにする。

 拭いて、汚れ取って、拭いて、ボール取って、拭いて、汚れ取って、拭いて、ボール取って……。

 機械的な作業は嫌いじゃないらしい。綺麗になる、という目に見える成果があるのも良い。

 拭いて、汚れ取って、拭いて、ボール取って、拭いて、汚れ取って、拭いて、ボール取って……。


「ねぇ。聞いていい?」


 隣に目をやると、瑠美が真剣な目をしていた。


「……何?」


 バスケットシューズとボールの音が遠くなる。息を吸う音が聞こえる。


「腕の怪我、原因は何なの?」


「それは、ちょっとしたうっかりというか」


「縦長に切れる傷なんて、なかなかできないと思うけど」


「そう、かな」


 母さんが包丁を振り回したからなんだ。とは言えずに苦笑しかできない。まっすぐな瑠美の視線が痛い。どれぐらい見つめ合ったのか、分からない。1分か、3分か、5分か、10分か。ただ何分待ったとしても、適切な言葉は出てこない気がした。

 不意に瑠美が視線を外す。ボールの手入れを再開する。空気が緩和したのが分かった。


「まぁ、無理に聞こうとは思わないけどね」


 内心、安堵する。だけど、瑠美は追及の手を緩めた訳ではなかった。


「その怪我、佐野先輩は知っているの?」


「は? なんで、そこで綿実?」


 声が少し裏返ったかもしれない。てか、瑠美相手に綿実って言ってしまっている。それは、今更だろうか。


「何、分かりやすく慌てているのよ」


「別に、そんなことは、ない」


「口調、硬いよ?」


「も、元からだろ」


「その様子だと、佐野先輩にも話してなさそうね」


 瑠美は勝手に納得してしまった。実際、話してはいないから当たっているけど。おれの母親が綿実の母親をどう思っていたかなんて、伝えたって誰も得はしない。今後も伝えるつもりはない。

 あ。でも、もし京都旅行の際に会っちゃったら、傷のこと聞かれるよな……? 長袖で隠せば大丈夫、かな。


「おら! 何いちゃついてんだよ!」


 突然、背中に強い衝撃が走る。パン! と威勢の良い音が体育館に響いた。


「いってぇな、何すんだ!」


 振り向かなくても誰か分かる。こんなことをしてくる奴は俊雄しかいない。


「わりぃ、わりぃ。そんなに痛かったか?」


「不意打ちだったからな」


 身構えていない時に叩かれるのは、一瞬状況を掴めない動揺と相まって、2割増しくらいで痛い気がする。突然の強襲は勘弁してもらいたい。注意した所で、俊雄はまたやってくるんだろうが。


「全く、少しは落ち着きなさいよね」


 呆れたふうに言いながらも、瑠美の口調はどこか明るいように聞こえた。目にも気迫よりゆとりの方が垣間見えるような気がした。

 ふと騒がしさに辺りを見ると、皆、思い思いにくつろいでいた。いつの間にか休憩になっていたらしい。


「で、ボールは綺麗になったのか?」


 特に気に留めた様子もなく、俊雄はそんなことを聞いてくる。


「まだ半分くらいある」


 ボール整理カゴを横目に見ながら、答える。地味に大変だ。俊雄は、うんうんと頷く。


「いつもは瑠美が1人でやってるんだよなぁ。感謝しろよ」


「俊雄もな」


「あら、夏衣くんはさっき感謝してくれたよ」


 瑠美の声は、やっぱり上機嫌だと思う。何かあったのだろうか。……あ、そうか。


「明日からの旅行、楽しみ?」


 思いついたことを、何となくそのまま聞いてみた。唐突な問いに瑠美はもちろん、俊雄も大きく頷いた。


「京都、晴れているといいよな」


「満開の桜も見たいわ」


 地元の桜は、まだ蕾が固そうだからな。一足先にお花見ができるかもしれない。青空と桜のコントラスト。想像すると、楽しみだ、という実感が湧いてくる。

 明日、本当に晴れると良いな、と願った。


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