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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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2

 校庭は狂気だと思う。狂喜、ではなく。

 まだ桜の蕾はかたかったけれども、写真を撮る学生で溢れ返っている。果たしてそんなに大声を上げるほど、本当に別れが惜しいのかな。抱き合い、笑い合い、涙を浮かべる学生さえもいる。

 絶対そんな親しくなかっただろ、と突っ込みたくなりつつも、実際のことは分からないよな、とも思い直してみる。彼らがどれほどの距離で付き合っていたかは知りようがない。

 どちらにせよ、周りなんて気にする意味はない。


 外は体育館の中よりも更に寒さが際立つ。まだマフラーが有難く思える。顔半分をすっぽりと柔らかい毛糸に埋めると、少し余裕が出た。

 ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、時間を見る。卒業式が終了してから、もう1時間近くたっていた。正午を少し過ぎた。西日がこれからみるみる力を増していくだろう。1日はまだ短い。風が一際強く吹いて、頬の熱をさらに奪っていく。

 帰ろうか。いや帰れない。


――ナツ。


 自問自答していると、聞きなれた声が聞こえた気がした。こんなふうに呼ぶのは1人しか知らない。おれの名前はカイなのに。最初は何かの嫌がらせかと思ったものだ。

 辺りに視線を巡らす。周囲は相変わらず学生服ばかりだ。だけど、もちろん気付いた。人混みをすり抜けてくる彼女を。


「鴨井くん」


 と確かに聞こえた声は、名字で呼んでいたけれども。


「佐野先輩」


 にやり、として応える。綿実は微かに苦笑した。


「待っていてくれたんだね」


「別に。ていうか1人?」


 辺りを見回してみても綿実は1人きりで立っている。周囲の様子からは浮いているように見える。綿実はちらりと周りを見て、口を開いた。


「さっきまでは私もあんな感じだったよ」


「抱き合って涙ぼろぼろ?」


「想像にお任せするわ」


 しれっとした態度に、綿実らしい、と思う一方で首を傾げたくもなった。


「あんまり寂しそうじゃないんだな」


 思わず言葉が零れた。一筋の風が吹いて、綿実の髪を揺らす。柔らかなマフラーの先が、ふわり、と綿実の首筋から離れる。風に抵抗するように綿実はマフラーを手で取り巻き直す。


「そう? わりと寂しいよ」


 にっこりと微笑んだ綿実は歩き出した。決意に満ちたような笑顔。少し胸がざわついた。

 校門を出て3歩進んだ足が不意に止まった。隣を見ると、綿実は校舎を正面から見上げていた。


「どうしたんだよ?」と訝しげに思い、尋ねた。


 綿実は一瞬視線をおれに合わせると、さっと4歩目の足を動かし始める。なんでもない、と囁きを低く校門に落として。おれも続くようにに歩き出した。

 前を向いて、ただ歩く。足を動かすごとに3年間通った高校が、綿実の元から離れていく。同級生たちの喧騒ももう聞こえない。脇を慌しく通る車の音さえ、懐かしい匂いを放ち始めていた。言葉はなかったが、綿実が思い出を回顧していることを感じていた。ちらりと綿実の横顔を見て、だけどすぐに正面を見据え直す。


「何か忘れ物でもした?」


「どうだろうね。ただ、もう高校にも来ないだろうし、この道も歩かないんだろうなって思ってさ」


 視線の先には、ゆるやかな坂になってはいるが、変哲のない道が続いている。並木道から漏れる早春の日差しが、柔らかい影をつくっている。綿実の黒髪を艶やかに輝かせており、まぶしかった。


「こんな道でも名残惜しいってわけか」


「そういうもんよ。もうすぐこの土地からも離れちゃうし」


 さらりと言ってのけた綿実の言葉に思わず瞳を伏せた。事実を認めようとしない頑なな顔に見えたかもしれない。急いでまた前を見る。綿実が一瞬、息を凝らしたのが分かる。けれど、すぐに口を開いていた。


「何、暗い顔してんのよ。ナツと今生の別れってわけじゃないんだよ」


「んなこと分かってるよ。つーか、ナツって呼ぶな」


「いいじゃん。寂しそうな顔しちゃってさ」


 唇を尖らせて、してねーよ、と呟いてみた。綿実がふんわりと微笑んだ。見れば一瞬で心を穏やかにしてくれる。手を伸ばせば届く距離にその笑顔はあった。当然であるかのように。

 だけど、もう綿実に触れることはないのだろう。その指先にでさえ。1年前に決めたこと。今さら覆す気はなかった。


「ねぇ、公園に寄っていかない?」


 不意の誘いに思わず眉間に皺を寄せた。だけど、いいよ、とすぐに短く応えていた。綿実に自分の中に広がる気持ちを悟られないように、さっと公園へと歩き出した。風が1つ吹いて綿実の髪の毛を乱す。


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