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考え事をしたくない時には、体を動かすに限る。無心にボールを追い、パスを受け、ドリブルをし、シュートをする。まるで決められた動きをするロボットみたいだ。
ただし、正確さには欠けるらしい。シュートは思ったようには入らなかった。
「なんか今日、荒れてねぇ?」
俊雄って意外と細やかなやつだよな……。おれに限らず、何だかんだで部員全体のことをよく見ている気がする。誰かが怪我をすれば、真っ先に気付くタイプだ、と最近になって気付いた。
「そんなことねぇよ」
だからと言って素直に気遣いに応えられる自分でもなかった。
「そうか?」
「そうだよ」
パスからシュートまでの連携の練習を一通りこなしたおれは、コートから離れる。入れ替わるように次のペアがコートに立つのを横目に見ながら、端の方へ移動する。メニューはまだ全てこなせていない。
「どうしたの? 調子悪い?」
瑠美がタオルを差し出してくる。今更ながらに首筋の汗がすごいことに気付く。そんなに動き回った訳でもないのに。
「そんなことはないけど」
「そう? 集中できていない感じに見えたよ」
「そうかな」
荒れている上に集中できていないのか。自分では分からない。
「本当だよ。疲れてんのか?」
いつの間にか俊雄がすぐ後ろにいた。口調はいつものように軽いけど、表情には真剣さが見え隠れしている。
「疲れている……のかな」
言葉にすると、そんな気もしてくる。少しの練習で大量の汗が流れ、肩で息をしている。改めて自分の状態を確認するとひどかった。熱とかはないはずなんだけどな。
「少し休む?」
瑠美の提案に頷いた。自分では気付いていないだけで疲れが溜まっているのなら、下手に無理すれば周りに迷惑がかかる。本当に倒れでもしたらシャレにならないし。座りこむと、体育館の床が妙に冷たく気持ちよく感じられた。
「本当にしんどそうだな」
俊雄が心配そうな声を出す。普段ならからかって笑い飛ばしている所なのに。何だか申し訳ない気持ちになった。
「わりぃ」
口からこぼれた言葉は素直さとは程遠かったけど、小さく笑むのが見えた。
「まぁ、無理せず休んどけ」
軽快に言うと、俊雄は練習に戻っていった。ぼんやりと背中を見送っていると、スクイズボトルが目の前に差し出された。
「とりあえず水分補給したら?」
「サンキュ」
瑠美からスクイズボトルを受け取ると、ぐいっと喉に流し込む。その間に瑠美はコーチの元へおれの休憩を告げに行ったかと思うと、さっさと戻ってきた。
「どう? 落ち着いた?」
「そうだな。ちょっとすっきりしたかも」
「佐野先輩と何かあったの?」
あまりに唐突な問いに、むせてしまった。なんでいきなり綿実なんだ? 瑠美と綿実に何か接点ってあるのか?
「ごめん、大丈夫?」
背中をさする瑠美の手つきは優しかった。けど、少し気まずい。
「いや、急に聞いてきたから驚いただけ」
「何となくね。こないだデートしていたし?」
「別にデートじゃねぇよ」
「カレカノじゃないの?」
「わた……佐野先輩とはただの幼馴染みだよ」
瑠美は明るく笑みをこぼした。くすくすと響く声が、いかにも楽しげだ。
「別に言い直さなくていいのに。普段はワタちゃんとか呼んでいるの?」
「そんな訳ねぇだろ。呼び捨てだよ」
小さい頃はワタちゃんと呼んでいたということは、すんでの所で喉の奥にしまった。だのに、瑠美はどこか面白くないような顔をした。おれのささやかな羞恥心と引き換えに、期待に応えるべきだったのだろうか……。
「まぁ、いいけどね」
不意に瑠美の手がおれの頬に触れた。突然のことで、どう反応したら良いのか分からず固まる。
「うん、血色も良くなってきたね。でも、もう少し休んでなよ?」
「……分かった」
おれが頷くのと同時に瑠美は立ち上がり、体育館の外へと出ていった。何だったんだ? まぁマネージャー業務も何かと忙しいだろうし、おれにばかり構っている訳にもいかないもんな……。
視線を体育館のコートに戻す。いつの間にか紅白戦が始まっていた。練習風景を眺めていると、急に現実味がなくなる。あの輪の中で部活に取り組んでいる自分が、どこか嘘っぽく思える。遠い、まるで物語の世界の出来事みたいだ。視界にもやがかかって、人影が揺れる。
そもそも何でバスケをやろうと思ったんだっけ。他のスポーツより、ちょっと得意だからとか、そんな理由だったはずだ。特別な理由がある訳じゃなかった。それでも今まで部活を頑張ってこられたのは……。
ふと綿実の顔が思い浮かぶ。
試合に出られたら応援に来てくれた。そのことが嬉しかった。だから必死に練習をして、その結果、スタメンに選ばれるくらいには上達したし、バスケ自体ももっと好きになっていた。
考えてみればダサい理由かもしれない。好きな子にかっこいい所を見せたい。つまりはそういうことなのか。渇いた笑いが漏れる。
スクイズボトルに残っていたスポーツドリンクを飲み干すと、喉が潤い、視界も明瞭になった。おれは立ちあがり、再び練習に合流する。俊雄は安心したような顔をしていたけど、何も言ってこなかった。おれも何も言わなかった。
明日、綿実は遠くに行く。
もう気軽に会うことはできない。
試合に出たからと言って、応援に来てくれることもなくなる。
それでも、おれはこれからもバスケを続けていくのだろう。体育館に響く、ボールとシューズの音が心地良かった。




