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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 考え事をしたくない時には、体を動かすに限る。無心にボールを追い、パスを受け、ドリブルをし、シュートをする。まるで決められた動きをするロボットみたいだ。

 ただし、正確さには欠けるらしい。シュートは思ったようには入らなかった。


「なんか今日、荒れてねぇ?」


 俊雄って意外と細やかなやつだよな……。おれに限らず、何だかんだで部員全体のことをよく見ている気がする。誰かが怪我をすれば、真っ先に気付くタイプだ、と最近になって気付いた。


「そんなことねぇよ」


 だからと言って素直に気遣いに応えられる自分でもなかった。


「そうか?」


「そうだよ」


 パスからシュートまでの連携の練習を一通りこなしたおれは、コートから離れる。入れ替わるように次のペアがコートに立つのを横目に見ながら、端の方へ移動する。メニューはまだ全てこなせていない。


「どうしたの? 調子悪い?」


 瑠美がタオルを差し出してくる。今更ながらに首筋の汗がすごいことに気付く。そんなに動き回った訳でもないのに。


「そんなことはないけど」


「そう? 集中できていない感じに見えたよ」


「そうかな」


 荒れている上に集中できていないのか。自分では分からない。


「本当だよ。疲れてんのか?」


 いつの間にか俊雄がすぐ後ろにいた。口調はいつものように軽いけど、表情には真剣さが見え隠れしている。


「疲れている……のかな」


 言葉にすると、そんな気もしてくる。少しの練習で大量の汗が流れ、肩で息をしている。改めて自分の状態を確認するとひどかった。熱とかはないはずなんだけどな。


「少し休む?」


 瑠美の提案に頷いた。自分では気付いていないだけで疲れが溜まっているのなら、下手に無理すれば周りに迷惑がかかる。本当に倒れでもしたらシャレにならないし。座りこむと、体育館の床が妙に冷たく気持ちよく感じられた。


「本当にしんどそうだな」


 俊雄が心配そうな声を出す。普段ならからかって笑い飛ばしている所なのに。何だか申し訳ない気持ちになった。


「わりぃ」


 口からこぼれた言葉は素直さとは程遠かったけど、小さく笑むのが見えた。


「まぁ、無理せず休んどけ」


 軽快に言うと、俊雄は練習に戻っていった。ぼんやりと背中を見送っていると、スクイズボトルが目の前に差し出された。


「とりあえず水分補給したら?」


「サンキュ」


 瑠美からスクイズボトルを受け取ると、ぐいっと喉に流し込む。その間に瑠美はコーチの元へおれの休憩を告げに行ったかと思うと、さっさと戻ってきた。


「どう? 落ち着いた?」


「そうだな。ちょっとすっきりしたかも」


「佐野先輩と何かあったの?」


 あまりに唐突な問いに、むせてしまった。なんでいきなり綿実なんだ? 瑠美と綿実に何か接点ってあるのか?


「ごめん、大丈夫?」


 背中をさする瑠美の手つきは優しかった。けど、少し気まずい。


「いや、急に聞いてきたから驚いただけ」


「何となくね。こないだデートしていたし?」


「別にデートじゃねぇよ」


「カレカノじゃないの?」


「わた……佐野先輩とはただの幼馴染みだよ」


 瑠美は明るく笑みをこぼした。くすくすと響く声が、いかにも楽しげだ。


「別に言い直さなくていいのに。普段はワタちゃんとか呼んでいるの?」


「そんな訳ねぇだろ。呼び捨てだよ」


 小さい頃はワタちゃんと呼んでいたということは、すんでの所で喉の奥にしまった。だのに、瑠美はどこか面白くないような顔をした。おれのささやかな羞恥心と引き換えに、期待に応えるべきだったのだろうか……。


「まぁ、いいけどね」


 不意に瑠美の手がおれの頬に触れた。突然のことで、どう反応したら良いのか分からず固まる。


「うん、血色も良くなってきたね。でも、もう少し休んでなよ?」


「……分かった」


 おれが頷くのと同時に瑠美は立ち上がり、体育館の外へと出ていった。何だったんだ? まぁマネージャー業務も何かと忙しいだろうし、おれにばかり構っている訳にもいかないもんな……。

 視線を体育館のコートに戻す。いつの間にか紅白戦が始まっていた。練習風景を眺めていると、急に現実味がなくなる。あの輪の中で部活に取り組んでいる自分が、どこか嘘っぽく思える。遠い、まるで物語の世界の出来事みたいだ。視界にもやがかかって、人影が揺れる。

 そもそも何でバスケをやろうと思ったんだっけ。他のスポーツより、ちょっと得意だからとか、そんな理由だったはずだ。特別な理由がある訳じゃなかった。それでも今まで部活を頑張ってこられたのは……。

 ふと綿実の顔が思い浮かぶ。

 試合に出られたら応援に来てくれた。そのことが嬉しかった。だから必死に練習をして、その結果、スタメンに選ばれるくらいには上達したし、バスケ自体ももっと好きになっていた。

 考えてみればダサい理由かもしれない。好きな子にかっこいい所を見せたい。つまりはそういうことなのか。渇いた笑いが漏れる。

 スクイズボトルに残っていたスポーツドリンクを飲み干すと、喉が潤い、視界も明瞭になった。おれは立ちあがり、再び練習に合流する。俊雄は安心したような顔をしていたけど、何も言ってこなかった。おれも何も言わなかった。

 明日、綿実は遠くに行く。

 もう気軽に会うことはできない。

 試合に出たからと言って、応援に来てくれることもなくなる。

 それでも、おれはこれからもバスケを続けていくのだろう。体育館に響く、ボールとシューズの音が心地良かった。


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