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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 数年ぶりに見る水族館の建物は、記憶にあるものよりくすんでいた。もっと華やかで賑わっていた印象があったのだが……。休日と平日の違いだろうか。

 首をかしげるおれをよそに、綿実は元気よく入口へと向かう。水族館自体に嫌な想いは抱いていないらしい。誘っておいて今更だが、ちょっとほっとした。揺れる黒髪を見ながら、おれも後に続いた。

 館内は外観とは裏腹に、人の入りもそこそこにある様子だった。春休みらしく、同い年くらいの学生と思しき人が多い。男女の組み合わせは……やっぱデートなのかな。おれ達も他人から見たら彼氏彼女みたいに見えるんだろうか……。

 いやいや、何考えてんだ。おれ達は幼馴染み。それ以上でもそれ以下でもない。


「前に来た時より種類増えてる感じだね」


 綿実はパンフレットを見ながら、にこやかに声を掛けてくる。


「そうなんだ? てか前どんなのがいたのか覚えてねぇよ」


「ナツは記憶力ないなぁ」


「だから、ナツって呼ぶなよ」


「いいじゃん。2人なんだから」


 うん、その笑顔と言葉はまずい。実際、ナツって呼ばれてもう悪い気はしていない。他に呼ぶ奴はいないからな。ちょっと特別みたいじゃん? でも、それはおれの中だけのことであって……なのに綿実の口からも、そんなことを言われると困る。


「どうかした?」


「いや……」


 顔が熱くなっていることに気付かれないことを祈りながら、そっぽを向く。視線の先にはペンギンの水槽があった。


「ほら、ペンギンでも見てみようぜ」


「あ、うん、そうだね」


 おれ達はペンギンみたいに1列に並んで移動した。

 ペンギンに続いて白クマ、アザラシ、オットセイといった動物を見ていく。人間の視線など素知らぬ様子で、のんびりと移動したり泳いだりしている姿には和むものがあった。同時に何も気にしない姿は、自由にも思えた。海に比べれば圧倒的に狭い場所での生活を余儀なくされているというのに。


「うわぁ、綺麗!」


 綿実が感嘆の声を上げたのは、壁面全てが水槽のゾーンに移動した時だった。トンネルのようになった通路は、上も右も左も鮮やかな魚の群れで溢れていて、まるで海の底にいるみたいだった。


「あれ、なんて魚だろうね」


「さぁ、分かんねぇよ」


 一応、魚の案内板みたいのはあったが、どの魚がどれなのか瞬時に見分けられそうになかった。ゆったり泳いでいるようで、案外速い。綿実も魚の動きを追いかけて、あちらこちらに視線を動かしている。

 足元をおろそかにして転ばないか心配だ。手を繋いでおいた方がいいのかな。

 ……ん? いや、いやいや別に手を握りたいわけじゃねぇから!

 でも、幼馴染みで手を繋いでも変じゃないよな。転んだりして怪我でもされたら後味悪いし。せっかく初めて2人で出かけたんだから、最後まで楽しんでほしい。

 綿実の手はいつにも増して華奢に見えて、触れたら壊れてしまう気がした。ぐっと手を伸ばしてみたけど、後5センチが縮められない。


「大丈夫?」


 不意に綿実に声をかけられる。おれは気付かれないように自分の腰に手を当てていた。さり気なく動かしたつもりだったが、不自然だったかな。


「何が?」


「いや、思いつめたような顔していたから気分悪いのかなって」


「大丈夫だよ」


 意識して笑顔を浮かべる。


「そう? ならいいけど」


 綿実が頷いた所で通路を抜けた。この水族館のメインとも言える開けた場所に出た。中央に鎮座するバカでかい水槽は、海を切り抜いてそのまま持ってきたみたいだった。ちょうどエイが雄大に目の前を通り過ぎて行った。


「なんか圧倒されちゃうね」


「ああ」


 ほの暗い海の底は、案外静かだった。周囲にいる人の会話も遠くなる。2人で海に放り出されたような錯覚を覚える。

 だけど、水槽に触れる綿実の左手に右手を重ねる勇気は、出なかった。

 ぼんやりと海の生物たちを眺めていると、間もなくイルカショーが始まるというアナウンスが流れて、現実が戻ってきた。


「行ってみるか?」


「せっかくだし、行ってみようよ」


 イルカショーは扇形の半屋外になっている場所で行われるようだ。日の光に一瞬、目が眩んだ。平日でも春休みのお陰か、それなりに席は埋まっているようだ。やっぱり学生くらいの人が大半だが、家族連れもそれなりにいる。

 やがて元気な声のお姉さんが登場して、イルカ達による曲芸が始まった。

 フラフープの輪を器用にくぐり抜けていく姿を見ていると、練習中にはフラフープに激突することもあったんだろうか、などと思ったりしてしまう。これも努力の賜物か。イルカは賢いらしいので、案外最初からすんなり出来てしまうのかもしれないが。


「イルカ、しゅごい! しゅごい!」


 どこからか舌足らずな声が聞こえてくる。賑やかな中にあって、一際響く甲高い声だった。辺りを見回してみると、少し前の席で見ている家族連れが発生源だった。女の子が楽しそうに手を叩いている。その隣には弟らしき男の子もいるが、どこか不機嫌そうだ。


「ナツのミニチュア版みたいだね」


 同じ家族連れを見ていたらしい綿実が、何やら失礼なことを言ってくる。


「どういう意味だよ」


「昔はそうでもなかったんだけどさ、最近、ちょっと不機嫌なこと多いよね」


「そんなことねぇよ」


「ほらね」


 これは不機嫌なのだろうか……。綿実と離れ離れになることが淋しいとか、そんな八つ当たりじゃない、はずだ。


「前に水族館に来た頃は、もっと素直だったと思うよ?」


「そりゃ、どうも」


 そんなことを急に言われても、どう答えたら良いのか分からなかった。綿実は家族連れに視線をやりながらも、どこか違う場所を見ているみたいだった。


「ナツがずっと傍にいてくれたから、私は平気だったんだろうね」


「いきなり何の話?」


「お母さんとお父さんとナツで水族館に行った時、もうこの4人で出かけることは一生ないんだろうなって分かっていたの。口に出して言われた訳じゃないけど、2人が離婚するって気付いていたから」


 大学生になりたいと言った綿実の父親と、家族としては応援できないと答えた綿実の母親。そんな事情を水族館に誘われた時に知っていたら、何か出来たのだろうか。

 やっぱり何も出来ないんだろうな。中学生なんて、大人の事情の前じゃ無力だ。

 だけど、それでも、綿実の心の支えになれていたと言うのなら、これほど嬉しいことはない。ないはずなんだけど……。


「楽しそうにしているナツを見ていたら、家族が離れ離れになっても、多分大丈夫って思えたんだよ。ナツはきっと傍にいてくれるって思えたから」


 じゃあ、どうして今更父親のいる土地に行くんだよ、とは言えなかった。

 綿実の笑顔は温かかった。

 単純な取捨選択の話ではないのだ。分かってはいるけど、淋しい。遠く離れてしまうことを、どこかでまだ認められない自分がいるんだ。今更覆らないのに。

 右手をぐっと握って拳をつくる。今、手を繋ぐことはできない。


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