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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 腕時計を見ると、まだ待ち合わせの時刻まで30分近くあった。

 見上げれば快晴とは言い難いが、雨が降りそうな気配はない青空がある。陽射しからはだいぶん冬の気配が抜けてきている。もうマフラーもいらないほどだ。

 雨は降らなかった。だけど、落ち着かなかった。

 柄にもなく風が吹くたびに髪型を気にしたり、1分おきに腕時計を確認したりしている。こんな姿、とても知り合いには見せられない。特に綿実には。

 しかし、落ち着かない。

 考えてみれば、こんなふうに綿実と待ち合わせをするのも初めてなのだ。同じ団地に住んでいるのだから、一緒に出ても良かったし、今までならそうしていたはずだ。だけど、京都旅行の日取りも近付いた今、綿実と出かける姿を母さんに目撃されるリスクはできるだけ下げたかった。だから、おれから駅での待ち合わせを提案した。それだけのことだ。他意なんてありはしない。


――デートみたいだね!


 と楽しそうに言った綿実の言葉は、心臓に悪かった。

 自嘲するように溜め息が転がり出る。たかが綿実と水族館に行くだけじゃないか。……2人きりだけど。

 辺りは人影もまばらだ。平日の朝か日曜でもなければ、駅と言えども閑散とする。地方都市にあたるのだろうけど、都会とは言えない。どこかのんびりとした空気がある。犬の散歩をするおじいちゃんもいれば、自転車にエコバックを載せたおばちゃんもいる。目の前の景色はゆっくり流れていく。

 この雰囲気に毒されたのか、あくびがこぼれた。そういや昨日は寝るのが遅かったな。まだ時間はあるし、ベンチにでも座ってちょっと休もうかな?


「デートの前にあくびするなんて、随分じゃない?」


 タイミングを見計らったかのように涼しげな声が届いた。


「別にデートってわけじゃないだろ」


 反射的に答えながら視線を前に向けると、やはり綿実がいた。でも、それ以上、言葉が続かなかった。

 綿実はワンピースにスプリングコートを組み合わせていて、すっかり春の装いだった。足を出した格好は視線のやり場に困る。ついこないだまで制服を着ていたんだし、足くらいどうってことない。とも思うけど、鼓動は勝手に速くなる。まだその格好は寒くね? なんて茶化すこともできない。


「どうかした?」


「べ、別に」


 きちんと化粧もしている。そのことに気付いたら、ますます困る。かわいいね、なんて気の利いたことを言える訳ない。だって、それじゃ本当にデートみたいじゃん。思わず視線を逸らしてしまう。


「待たせたの怒ってる?」


「怒ってない。待ち合わせまで、まだ時間あるし」


 綿実の方を見ずに答えるおれを、不審げに見ている様子が伝わってくる。


「そう? もう電車に乗る?」


「そうだな」


「切符、もう買ってる?」


「いや、まだ、これから」


「ねぇ、ナツ」


 不意に声のトーンが落ちたかと思うと、おれの足の辺りを指差してきた。


「社会の窓開いてるよ?」


 え、まじ? そんな格好で駅前に立っていたのか? 慌てて自分の股間に目をやる。開いてない。ちゃんとチャック閉まっているぞ。


「おい!」


 怒声を飛ばす勢いで顔を綿実の方に向けると、にっこりと微笑まれた。嬉しそうな表情にお腹の辺りにむず痒さが走る。


「やっとこっち見た。ねぇ、何か言うことない?」


 綿実は言いながら、わざとらしく1回転する。ふわりとスプリングコートの裾が揺れる。綿実の顔は何かを期待している。いつもより唇が艶やかに見える。


「まぁ……春らしくていいんじゃない」


「そう? 少し大人っぽいかなって思ったんだけど、大丈夫かな?」


「そういうこと気にしている時点で子供だろ」


 思わず切り返してしまったら、綿実が見慣れた笑顔をした。化粧をしても、綿実は綿実だ。


「だよねぇ。高校を卒業したからって、途端に何か変わる訳ないよね」


「当たり前だろ」


 軽口をたたきながら、ちくりとした。綿実はこれからおれの知らない土地で、どんどん変わっていくのだ。大人の階段を、おれよりも何歩も速く上っていくのだろう。次に会った時には、もう綿実だと分からないかもしれない。


「たまには可愛いって言ってくれるかなって思ったんだけどな」


「鏡を見てから言え」


「ひっどいなぁ」


 言えるはずがないだろう。そんな本当のこと。意識すると、また言葉に詰まってしまいそうだ。


「ほら、さっさと切符を買おう」


「うん、そうだね」


 並んで構内の券売機へと向かう。隣を歩く綿実から、懐かしい香りがした気がした。生まれた時からずっと隣にあった温もり。だけど、触れることは叶わない。ちゃんと理解している。

 綿実にとっておれは幼馴染みで弟のような存在なのだから。

 そこから抜け出す方法は、18年近く側にいて、未だに分からない。あるいは側にい過ぎたから分からないのかな。境界線がちゃんと見分けられない。下手に踏み越えようとすれば、綿実の笑顔を手放してしまう気もしている。だから、結局、足踏みするしかないのだろうか。


「水族館、楽しみだね」


 無邪気に言う綿実に、そうだな、と頷きながら切符を購入した。これが2人の逃避行のための切符だったら良かったのに、なんてそんな馬鹿なことを一瞬思った。


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