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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 薄ら寒い視線を背中に感じる。ねっとりとした、それでいてキラキラとした熱いものが後方にある。窓の外から洩れ聞こえてくる雨の音も霞ませるような、じりじりとした気配。

 ぐっとこらえていた。だけど、いい加減、無視し続けるのもつらい。というか邪魔くさい。意を決して振り返った。


「綿実、言いたいことがあるなら言ったらどうだ?」


 古文書めいた読解不可能の分厚い本を置きながら、溜め息まじりに問う。なのに綿実はとぼけた顔をする。


「言いたいこと? 別にないよ?」


「本気で言ってんの?」


「本気も何も、ねぇ」


 曖昧に首を傾げながら、綿実はせっせとダンボール箱の中に物を詰めていく。その手際の良さに、雨の中、わざわざ引越し手伝う必要あるのか? 先日粗方、片付いたのに? と一瞬考えてしまう。だが、その思いはぎゅっと押し込める。


「じゃあ、なんでおれの方、じっと見たりしてんの?」


 綿実は小さく唸る。そうねぇ、といやに低く耳に残る声だった。まっすぐに顔を見るのは憚れて、手元にそっと視線を落とす。本を持つ指に思いのほか力が入っていることに気づく。綿実に悟られないように、小さく息を吐いて力を抜く。

 2、3度、まばたきをしたようだった。わずかな振動が空気を伝って頬に触れる。物の少なくなった部屋はよく響く。おれはまだ指先を見ている。


「じゃあ、こないだ一緒にいた女の子って、付き合っているの?」


 唐突に響いた声は、仕方なくといった風情だった。言葉を少し探した。でも何を言っても言い訳のように聞こえる気がする。


「ちげーよ」


 結局、不貞腐れたような言葉しか出なかった。


「瑠美は……坂口はサッカー部のマネージャーだよ。それで部の買い物に付き合っていただけ」


 やっぱり言い訳みたいだと思う。綿実とだって、ただの幼なじみに過ぎないのに。気まずい思いのまま綿実の表情を窺う。口元まで視線を上げたところで止まった。笑みがある。


「名前、言い直さなくていいのに。普段、呼んでいる通りでいいよ」


「……やっぱ何か勘違いしてない?」


 声は訝しく響いた。けれど、綿実は笑って取り合わなかった。てきぱきと引っ越し作業を進めている。

 釈然としなかった。

 けれども、その原因を突き止めることはできない。ただ背後にのっそりと重い影がつきまとっているように感じる。どんなに離れたくても離れられないような。

 機械的に手に取った本からはみ出ているものがあった。厚手の紙……写真か? 何気なく挟まっている頁を開く。湿気を帯びた、古びた匂いが微かに鼻についた。写真は裏返しになっている。手に取ろうとすると、パリッと剥がれる音がした。随分と放置されていたのだろう。

 中の写真は、でも鮮明だった。褪せることのない歴史をさんさんと輝かせている。家族写真か、と思ったら、違った。さっと頬に朱がさすような熱さを瞬間的に感じた。


「何見ているの?」


 不意に綿実が覗き込んでくる。慌てて隠そうとしたが、1歩遅かった。

 それはおれと綿実が、車の後部座席で頭を並べて眠っている写真だ。肩が触れ合う距離。幼稚園とか小学校低学年の頃じゃない。中学1年と2年の頃のものだ。お互い、今の顔の造形を色濃く出している。ガキの頃、と言うには難しい。無論、大人というには幼すぎる。だけど恥ずかしさがこぼれ出す。一体、いつ撮られたんだ? 中学1年と言えば綿実の両親が離婚する頃のはずだ。


「これって水族館に行った帰り?」


 心を見透かしたように綿実が指摘するので、どきりと心臓が跳ねた。そのことに気取られないように、平静な声を努める。


「水族館って行ったことあったっけ?」


「覚えてないの? うちが離婚する前に行ったじゃない」


「ああ、うん。そうだったな」


 本当は覚えている。思い出した。綿実の両親に連れられて行った。おれの親は一緒じゃなかった。綿実の家族の中にどうしておれが混じることになったのか。いくら親しい家の付き合いがあったとしても、不自然だった。その日、おれは綿実とほとんど2人で過ごすことになった。

 水族館で、綿実の両親は最後の話し合いをした。

 もちろん当時のおれはそんなことを知る由もなかった。ただ綿実と過ごせることが嬉しかった。綿実は薄々と察していたのか、少し元気がなかったな、と今更に思い出させる。それが恥ずかしさを募らせる。

 写真はその帰りの車の中で撮られたものなのか。写真があるなんて不意打ちだ。


「なんか懐かしいな。もうここにもずっと行ってないから」


 言葉を洩らした綿実の顔は、やさしかった。

 すっと写真に視線を落とす。馬鹿馬鹿しいくらいに無邪気で安心しきっている自分の寝顔。その隣の綿実は泣いているように見えた。今なら手を差し出せるだろうか。それも傲慢か。


「じゃあ、一緒に行く?」


 気づくと言っていた。


 綿実は一瞬、目を見開いた。次の瞬間には困った顔をした。


「でも部活あるでしょ?」


 端的にもっともらしい理由を出してくる。今日も雨がなければ夕暮れまで部活があったはずだ。ランニングがない分、早めに切り上げられたのだ。引越しの手伝いをするのは、春休みに入ってから初めてだった。


「大丈夫。休むから」


「悪いよ。それはさすがに」


「いいんだ。綿実とどっかに出かけることも、もうそうないだろ」


 さらりと口から出た言葉は、言った後で寂しさと恥ずかしさをたぎらせた。そっぽを向いてしまう。


「……そうだね」


 充分に間を空けてから綿実は頷いた。思わず細く息をついていた。


「確かにもう一緒に出かけることもないかもね。っていうか、2人だけで一緒に出かけるのも初めてじゃない?」


「そうだっけ?」


「うん、いつも家族ぐるみで出かけるって感じだったから」


 言われてみると、そうだった。同じ団地に住んでいる間柄上、一緒に登下校したり、近くのコンビニとかに行ったりすることはあった。だけど、何か計画を立ててどこかに行ったりすることはなかったのだ。ただの1度も。

 だって、そんなの、デート、みたいだし……。

 大胆なことを言ってのけたのだと自覚する。頬が熱くなるような。胸の動悸が痛くなるような。


「ねぇ、いつ行くことにする?」


 綿実は無邪気な顔を見せる。おれはますます直視することなどできずに、ダンボールに本を詰めていく。そうだなぁ、と思案しながら。耳にしとしとと雨の音が響く。

 当日は、今日みたいな雨じゃなければいい。澄み渡る青い空の下で一緒にいられるといい。


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