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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 チャイムが体育館に鳴り響いた。しかし生活指導の先生は、まだ呑気に注意事項を述べている。紋切り型の、いつも通りの内容なのに。何を真剣に話しているのか。いや、大切なことなんだろうけどさ。勉強をしっかりと。分かっていますよ?

 場内がすっかり白けだした頃になって、ようやく解散となった。終業式の終わりだ。立ち上がると、思わずこぼれそうになった欠伸を噛み殺す。

 明日から春休み。ちょっと解放感がある。部活はあるし、受験の重みも増すし、必ずしも明るいことは多くない。それでも、ふわふわとした空気を感じる。

 体育館の出入り口に来て、ふと、随分とスムーズに出られたな、と思う。いつもならもっと混雑しているのに。ちらりと体育館の方を振り向いて、その広さに気付かされる。

 そうだ、もう3年生が卒業したんだった。その事実が少しやるせなくさせる。彼女の後ろ姿はもうない。

 春休みは短い。2週間もしない内に4月になる。4月が、やって、くる。


「夏衣くん?」


 声がした方を向くと瑠美がいた。怪訝そうに眉をひそめながらも、笑顔をつくろうとしたのか口角は上がっている。


「何ぼんやりしてるの? 後ろ、つまってるよ」


 おれは体育館の出入り口に突っ立っていたようだ。冷たい視線にひやりとして、慌てて歩き出す。当然のように瑠美が隣に並ぶ。春の風にのって、香水の匂いがした。鼻を少しむず痒くさせる。


「ねぇ、今日の帰り、付き合ってくんない?」


「何か買い物?」


「そう。部活の買い出し」


 終業式の日は部活がないが、明日からは毎日ある。日曜日と、年度をまたぐ3月31日から4月2日を除いて。それだけ練習をしても成果はいまいち芳しくないので、微妙なところだ。


「部活のものかぁ。じゃあ手伝わないわけにもいかないか」


 言い訳っぽい口調になりながらも了承すると、瑠美は笑った。


「良かった。助かるよ」


「そう? 他にも誰か声かけとこうか?」


「ありがとう。でも、いいや。人数多すぎても邪魔だし」


「邪魔って……」


 ばっさりと言い捨てる瑠美に、思わず笑ってしまう。瑠美はきまりが悪い様子で、そっぽを向く。


「だってさ、俊雄とか誘ったら、絶対部活に関係ないもんとか買うもん」


 俊雄……。残念ながら擁護してやることができなかった。


「じゃあ、ホームルーム終わったら夏衣くんのクラス行くから、逃げないでね」


「りょーかい」


 軽い調子で頷いて瑠美の教室の前で別れる。

 しかし、俊雄も同じクラスなのだが、大丈夫か? 首を傾げたものの何を心配しているのか、よく分からなかった。俊雄をまくようで辛いのか、誰かと2人でいることが心苦しいのか。焦点は定まらない。

 教室は喧騒で溢れている。ホームルームもあってないようなものだった。4月にはもう毎日顔を合わせることはなくなるのかもしれない。別れの季節、か。

 挨拶もほどほどに教室を退散することにした。クラスが別々になったからといって、親しいやつは親しいままのはずだ。


「あ、夏衣くん。逃げないで、って言ったのにー」


 教室を出ると廊下にちょうど瑠美がいた。非難がましい目をしている。どうやら約束をすっぽかそうとしたと思われているようだ。


「別に逃げてないって。瑠美のクラスに行こうと思っただけ」


「本当かなぁ?」


 怪しみながらも笑顔で歩き出している。おれも足を動かす。ああ、そうか、あの教室にはもう行くことはないのか、と昇降口にたどり着く頃になって思った。忘れ物はなかったっけ、と考えたが分からなかった。


「成績どうだった?」


 靴を履き終えた瑠美は軽い調子で尋ねてくる。おれもつま先を蹴って靴を履いた。


「まぁ進級はできるだろうって感じかな。赤点とかもなかったし」


「ふぅん。文系? 理系?」


 聞いてくるわりにはあまり興味はなさそうな雰囲気だった。


「文系。瑠美は?」


「私も文系。3年はクラス一緒になるかもね」


「うわ、大変そう」


「どういう意味よ?」


「こういう意味?」


 両手を広げ、今買い物につき合わせられている現状を訴える。瑠美は心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。

 軽口を叩ける関係に既視感を覚える。しかし隣にいるのは、おかっぱと言っていいほど短く切りそろえ、色も明るい髪の瑠美だ。顔も全然違う。それでも意識すると調子を崩しそうだった。おれは心の中で舌打ちする。


「ところで今日どこに買いに行くんだ?」


 話を振ると、瑠美は何かに気づいた様子もなく、よく行くスポーツ用品店名を告げた。何のことはない。今までにも部活の合間に、荷物運びと称して引っ張ってこさせられたことのある店だ。足は素直にそちらを向く。

 あっ、と気づいたのは目的地にたどり着く1歩手前だった。


「……鴨井くん」


 綿実がいた。名字で呼ばれた。学校の中みたいに。ちらりと横目で瑠美を見ると、佐野先輩? と口の中で囁くのが聞こえた。


「佐野先輩、買い物?」


 釣られておれも先輩なんて言っている。もう卒業したのに。綿実は頷く。少し間があったように思うのは気のせいだろうか。


「引っ越しの荷造りの紐が足りなくなってね。買い足し」


 言いながら視線は瑠美の方へ向いていく。そして、さらりと会釈していた。


「こんにちは」と妙に笑顔で。


「……こんにちは」


 瑠美も挨拶している。俯いているようにも見える横顔。気まずい雰囲気を感じる。というか2人は初対面か。紹介した方がいいのかな。そんな戸惑いを見透かすように綿実は微笑んだ。


「じゃあ、鴨井くん、またね」


 不明瞭な声で、ああ、とか、うん、と頷くしかなかった。すぐ横を通り過ぎる綿実から、なつかしい香りがした。淡く薄れていく、今にも消えそうな香り。思わず振り向きそうになったけど、視線は隣の瑠美で止まっていた。瑠美は視線を下げていたかと思うと、急に笑みを見せる。


「佐野先輩って意外と他人行儀な感じなんだね」


 その台詞にも何と答えていいのか分からず、また曖昧に頷くしかなかった。

 何も焦りを覚える必要はないと思い当たったのは、スポーツ用品店に入ってからだった。そして、瑠美が綿実のことを知っているふうな様子であることに気づいたのは、それから更に5分後のことだった。

 しかし、瑠美に問うのは何だかためらわれた。サポーターや冷却スプレーなんかを真剣に見ている瑠美の横顔は、普段と変わりなかったから。

 一先ず、綿実が変な誤解をしていないことを願うばかりだ。


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