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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 佐野綿実さの わたみ


 その名前が体育館に響いた瞬間、耳たぶが熱を持った。紅くはなっていない、はずだ。けれど確かにボッと体温は上がった。目は、それでも平静を装って彼女を見る。

 すらりと立ち上がった綿実は、凛とした背中を向けている。表情は見えない。

 背中だけでもいいから、もっと綿実を見ていたい。

 ささやかな欲望は、あっさりと裏切られる。続いて呼ばれて立ち上がった生徒によって遮られてしまった。

 前方に興味を失って視線が落ちる。膝の上の手のひらが、力一杯握られていることに気づいた。ひっそりと息を漏らして、軽く目を閉じる。そして、またまっすぐに前を見た。


 高校生活のラストイベント、卒業式は厳かに静かに進行していた。退屈な空気をまといながら。クラスの代表者が壇上に上がり、校長から卒業証書を受け取っている。無駄に生真面目で誇らしげな頭部はどうでも良かったが、羨ましかった。

 代表者になることが、ではなく、綿実と一緒に席を立っていられることが。

 おれはただ座っているしかない。君が代と校歌を歌う以外に仕事はない。ただ座っている。

 代表者が元の席に戻ると、綿実のクラスが一斉に座った。一瞬だけ鮮やかな黒髪が見えた。そんなことで胸がしめつけられる自分は、やっぱり変かもしれない。

 きっと春のせいだ、ということにする。春なんてくそ食らえだ。


 卒業式は、なかなか終わりそうにない。名前を呼ばれるべき生徒はまだたくさんいる。ふと隣の席の奴を見ると、あくびを噛み殺していた。苦笑する。

 ほんと、さっさと終わってほしい。

 遠くの席に座る綿実はどう思っているのだろうか。感傷に浸っているのだろうか。おそらく違うな。


 綿実を見送るのももう4度目だ。

 幼稚園では泣きじゃくっていた。小学校では微笑んでいた。中学校では澄ましていた。そして、高校では唇を真一文字に結んで、前を見据えていると思うのだ。

 どんどん大人びていく綿実。だから、どうしたって1年の月日が埋まらないことは、もう十二分に理解している。

 それなのに前を向き続けるのには力がいる。だって1日しか違わないのに……。なじるような想いがよぎってしまう。


 4月1日生まれの佐野綿実。4月2日生まれのおれ、鴨井夏衣かもい かい

 おれたちは生まれた時からの付き合いだ。同じ団地マンションの2階におれ、3階に綿実が住んでいる。同じ時期に妊娠した鴨井家と佐野家には、産婦人科が同じだったこともあって、瞬く間に交流が生まれた。おれたちは双子のようにして育てられた。双子ではなく、姉弟のような間柄だと気づいたのは6歳を迎える頃だった。卒園式の日。


 眉間にしわが寄る気がして、卒業式が終わるまで目を閉じることにした。暖房の効かない体育館は、肌寒く、まだ冬の気配を感じる。そのことが少し心を和ませた。

 春なんてくそ食らえ、だ。


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