ありがちなおとぎ話の片隅で
そこでは華美な世界が繰り広げられていた。そして、その場にふさわしい可憐な容姿をした少女と少し化粧の濃い妖艶な女がいた。
「ウェンディ。あなたは可愛いのだからびくびくしないの」
扇を口元にあて、教師が生徒を注意するがごとく鋭い視線を投げかけた。
ウェンディは小動物のような落ち着きのない可愛さが魅力だけれども、今日は少し興奮しすぎだ。他人の目がなければいいけれども、今日は場にそぐわない。
「だって、こんなところに来るのは初めてだもの。リリィは慣れてるかもしれないけど、こんな身分違いの場に訪れてるんだからびくびくしちゃうの」
ウェンディは、森で走るリスが人間の集まる場に出て様子をうかがっているように、周りの様子を一挙一動反応している。そして、その愛らしいしぐさで周りの男たちの視線を集めている。いつもよりか男の視線がチラチラと投げ掛けられ煩わしいくらいだ。
「まぁ、いいわ。私が我儘を言って、あなたを連れてきたんだから、少しの挙動不審さぐらい許してあげる」
「ねぇ。王子様はどちらにいらっしゃるの。さぞかし美しいのでしょう。片田舎の領地まで噂は届いているのよ。ぜひ、拝見したいわ」
きらきらと目を輝かせ、興奮のためかほほを紅潮させている。ご機嫌なウェンディの様子に反して、冷ややかな視線を投げかけてしまう。
ウェンディが王子に憧れるのは意外だった。一緒にこのきらびやかだけど、退屈な夜会を一歩引いたところで、皮肉と揶揄をスパイスにして、楽しいひとときに仕上げようと思っていたのに。
しかし、その憧れも領地経営第一主義のウェンディにかかれば、普通の少女らしい憧憬の念ではなく、腹に一物も二物も抱え込んだような将来へのステップアップへの変化球のような憧れの気がする。
しかし、そう考えると、それはそれで面白い。もっと動物的な直感だけで生きていると思っていたので、少し笑い出したくなる。
ウェンディの表面的な愛らしさにやられてしまう男は何人いるのだろうか。ウェンディの内面とのギャップに目を白黒させなければならない被害者じゃ今日は何人いるのだろうか。それを考えると自然に口の端が上がってくる。
「王子様ね。そのうち出てくるわよ。そんなことより舞踏会を楽しみましょう。せっかく、都会に来たんだから都会でしかできない遊びを楽しむべきよ」
実を言うと、私はこの国の王子たちを好きではない。王太子も、第二王子も、第三王子も、王妃の美しさを継ぎ、見目は麗しいが、いまいち覇気に欠ける。
他国を侵略する気概もなければ、貴族の悪政を放っておくほどの度胸もない。それは為政者となるためには、十分な資質だろうが、私に言わせてみれば面白みがないと一刀両断すべき性質だ。国のトップに実力ではなく、代々の血縁関係だけでなる男にウェンディが興味を示したのは少し癪だ。
今日の密かな目的ははウェンディに見目麗しく、性格も面白味があり、かつ有能。この三点を満たすような男を探すために彼女を招いたのだ。
そのためにも、この会場にいだろう男を首を少しまわして探す。
「レオ!」
彼を見つけたので、人混みの中、歩きにくかったが、人の波を縫って、レオのもとまでウェンディを先導したて、近づいた。
彼は数人の男性と話していたようだ。
そして、私が近づくまで、彼はこの場では珍しい殿方と話していたようだ。
「リリィ。珍しい子リスを連れているな」
キザなもの言いはレオの酒が入って少し陽気になっているときの傾向だ。そして、レオは軽く私の手を取り薄い手袋の上から口付けた。
「あなたこそ。珍しい殿方を連れているじゃない。ハリー様お久しぶりです」
珍しく王太子の姿があったので、失礼な態度にならないように、両手でスカートの端をもち、深々と正式な礼をした。
「あぁ。久しいな」
ハリー様は私に興味のないような態度と短い言葉で返事をした。
「こちらの令嬢はウェンディ・マクリーン。温泉の有名な領地をお持ちになってるマクリーン男爵の令嬢ですわ」
目上の彼に同伴するウェンディを紹介するしかなく、彼女を簡単に紹介する。
「私はハリーだ。よろしく」
ハリーは彼にしては珍しい優しい笑みを顔に浮かべ答えた。
「ウェンディ。私と一曲踊ってくれないか」
「えっ!」
突然の誘いにウェンディはびくりと肩を震わせ驚いた。正直に言えば、私も驚いた。彼が積極的に女を誘うような好色な人間とは思ってもいなかった。いや、好色と言うよりも女に興味があるのかというくらい、清廉と言えば聞こえがいいがいつも男に囲まれ公務を行い、女に興味を示すような人物ではなかったからだ。
「ウェンディ。行ってらっしゃい」
ウェンディはすがりつくようにこちらを見たが、全く動じず、さも当然というような顔をして、すげなく断るという選択肢を絶った。
ハリーに手を引かれ、ウェンディは広場の中央まで連れて行かれた。
「いやにかわいい子だな。どうしたんだ」
「可愛いでしょう。愛玩動物に拾ってきたの」
ウェンディと出会ったのは、療養のために行った領地の森でだった。そこで、兎のようにピョンピョン跳ねているのウェンディを気になって声をかけたことから親交が深まったことを思い出す。
聞けば、飛び跳ねていた理由は、温泉地の伝説の動物を捕まえようとしていたらしい。その男爵令嬢らしくない理由に驚き、頭の足りない子どもかと思えば、猟師も真っ青な顔をして逃げ出すような周到な罠を仕掛けていたことにまた驚いた。彼女は息苦しい貴族社会の中ではきわめて異質な存在だった。
「彼女に失礼だな」
案の定、自称良識派を掲げるレオは不満げな声を出した。
「失礼なんて思うほうが失礼よ。彼女の可愛さは彼女を形作る要因なのだから。可愛いものを愛玩動物として手元に置きたがるのは、男が女を可愛がるのと一緒でしょう」
男だから許されて、女がすると奇異なものを見るような周りがおかしいのだ。
「相変わらずだな。その思ったままに話す癖をやめて方がいいと思うぞ」
呆れたようにレオは言った。
その目には心配する優しい気遣い以上に避難の色が浮かんでいた。
「私は誰にでもこんな話をしなくてよ。きちんと場と相手を選んで言うじゃない」
「知っている。だからこそ、少しは慎めばいいと思ったんだ」
仕方ないとは全く思ってはくれていない声音だった。少し怒っているようにも聞こえる。
「ハリー様にウェンディを連れていかれて悔しいと思ってるの?」
レオはグラスを片手に少し酔っていたようだった。本音が出てくるのではとウェンディの話を振った。
「いや、そんなことは思っていない。隣に美しい女もいるしな」
嘘くさいが、表面上は取り繕った世辞がレオの口から出た。
「あら、ありがとうございます。お世辞がうまいのですね」
全く感謝をしていないことが分かるように表情を変えずに声を低くして言う。
「きっと、ウェンディはハリー様だけでなく、いろいろな男をその毒牙にかけるわよ。絶対」
希望的観測と絶対的事実に思えることをレオに教えてあげる。
「毒牙は毒牙でもお前の毒牙だろう。まるで自慢のおもちゃを見せびらかす子供みたいだな」
「えぇ、そうよ。私が見つけた可愛いお人形さんよ。愛らしいうえに、頭脳も私について来られる程度にはいいのよ。あなたにはあげなくてよ」
ウェンディは一見王子に憧れるただの娘に見えるが、彼女の考えていることは斜め上を行く。大方、王子を領地のために、一片の悪気もなく利用することしか考えていないのではないだろうか
「ハリー様にはあげるのか」
「まぁ、ハリー様はなんだかんだで次期国王様ですからね。献上してあげなくともないわ。ただし、使用権の優先は私にありますけど」
どうせウェンディは利用するだけ利用したら誰のもとにもとどまらないだろう。端々に気まぐれで人の心などを大事にしないそぶりを見せている。彼女は優しげな外見に反して、利己的な側面を持つ。周りを信用していないのが彼女らしさだ。
私のそばにも留まることはしないだろう。ましてや、王太子のそばになどいけば、大貴族の私が確固たる思想をもってしても、彼のそばにいることは不利益を産むしかない結果が待っていることを感じるくらいだ。軽々しく次期王妃になろうなど企めば、その座を狙っている貴族どもに一網打尽にされてしまうだろう。そんなことを領地の経営が優先順位の一位にあるウェンディがするとは思えない。
「そんなこと言って、寂しいだけだろう。せっかくできた友人を男に取られるのは」
からかう気満々のレオはにやりと口の片端を上げた。
「友人なのかしら。私はウェンディをおもちゃと思ってるだけかもしれないわ」
私はウェンディを友人とは思っていない。私の生活をいつもよりかは楽しくしてくれるスパイスでしかないと考えている。だからこそ、彼女に独占欲を感じれども、愛着を感じることはない。
「なら、ウェンディにそういえばいいさ」
「そんなこと言わないわよ。思ったことをすべて口に出してしまうような不躾なことを言わないくらいの良識は持ってるわ。ただ、ウェンディには女の子の幸せを叶えてほしいの」
私にはできないことをするたくましさをウェンディは兼ね備えている。だからこそ、領地経営だけのことで、頭がいっぱいになれ、幸せになれるウェンディに人を好きになってもらいたいのだ。そして、彼女のたくましさでもって、その思慕を成就させるところを見たいのだ。
「優しく自分を敬ってくれて、容姿端麗な男。そして、身分と資産を両方兼ね備えているような人よ。」
そんな男はこの世界に極僅かしかいないことは百も承知だ。そして目の前にいる男もそのめったにいない条件に当てはまる。そう思って、じっとみつめる。
自分が好いた男と、自分が見込んだ女が結ばれるということは、いい妥協点なのだ。好きだ、愛している、とも一言も言い合ったことはないが、確かに私たちの間には友情以上の感情が存在している。もしかしたら、私の勝手な勘違いかもしれないが、そこには少なくとも友情は存在しているのだ。私はそう信じている。だからこそ、レオには下らない女に引っかからずに、相思相愛の相手と永久の愛によって幸福を築きあげてほしい。私のままならい未来よりも、彼だけははるかに幸福になってほしいのだ。
「高望みしすぎだろう」
レオは苦笑して言った。
「片田舎の領主の娘なのだから、放っておいても、相応の相手が見つかるでしょうけど、私は嫌よ。私が選んだ子なのだから、一番いい相手でないと。選べる素質をウェンディはもっているのだから、当たり前でしょう」
こんなに可愛いウェンディを見てちらりとも反応しないなんて、相変わらずレオは趣味が悪い。いつか、恋仲になった女を選ぶ趣味の悪さでよく分かっていたことだが。
あのときはほんとうに迷惑をかけられた。ほんの数年前の話なのに、昔が懐かしく思える。嫁ぎ遅れまであと数歩の熟れた果実になったのだなと、時が経つ速さに感慨深くなる。いつかのレオは、彼の気質とは大きく外れて、片っ端から貴族の令嬢を食っていた。それこそ伝説の好色漢のように、誰彼かまわず相手をしていた。そのときに何を勘違いしたかレオの一時期の火遊びの相手だった未亡人に襲われ、殺傷沙汰の事件を起こされたのだ。私に何の非もないが、王城で襲われたせいで、喧嘩両成敗と、しばらくは謹慎を命じられた事件があった。もちろん私に何の非もなく、私の家とレオの家が事件をもみ消し、私には何の傷もつかなっかた。しかし、心を入れ替えたのか、レオは女遊びをやめてくれたのがせめてもの救いであった。
「まぁ。好きにするといいさ」
レオはほんとうにどうでもいいようだ。ウェンディの嫁ぎ先の最有力候補だったのにと残念に思う。レオの女を見る目が全くないことに、そもそもの問題がありそうだが、そこは目をつぶっておいてあげる。だから、私が彼に似合う、彼と添い遂げられる令嬢を見つければいいのだ。
「好きにさせてもらうわ。もうすでに一匹魚は釣れたもの。見てよ、ウェンディの可憐さを。春の妖精みたいな容姿をして、中身まで可愛い性格の上、きちんと自分をもっているのよ 」
あの可愛さは正直に羨ましいと声を大にして言える。色彩がすでに愛らしいとほめたたえたくなるものだ。
昔、父からもらった一番のお気に入りで、今でも家にあるドールの色をそのまま使ったような金と青の理想的な色を具現化させた発色だ。さらに、その色を発する顔の造作が愛らしい。人より大きめな瞳に、すっと通った鼻梁。濃すぎずに赤く色づいた唇。身長が小さすぎないていどに小柄で愛くるしい。彼女の愛らしさは言葉では表しきれない。いちいち一つ一つの仕草が可愛い。
無い物ねだりであるが、私の平凡な顔立ちと、とってかえたいみたいと思ってしまう。その代わりと言ってはなんだが、私には彼女のもっていない家柄というありがたいものをもっているので、さしたる不満はないのだが、もし私に愛らしい容姿でもあれば違う未来が開けたのではないかと言う他愛もない夢想をしたくなるのだ。
「ねぇ、レオは誰かいい相手はいないの?」
気を取り直してレオに聞く。
「いないな。リリィこそもう適齢期だが、見つけないでいいのか」
「どうせ、子どもを生むのが私の仕事なんだから、ローレンス家を没さない人をさがすだけでいいのよ。ぎりぎりまで考えたくないの」
考えるだけで、憂鬱だ。好きでもない男と交わり、子をなす。
見目だけでもよい男のほうが、うまれてくる子どもが愛らしくなる可能性が高いがだろうから望ましいが、そんな男はたいてい中身が見目に釣り合っていない卑劣な小者が多い。そんな賭けに出るくらいなら、同じような平凡な顔立ちで、あまり自己主張の強くない相手を選ぶほうが利巧というものだろう。
「いいわね、男は。孕ますだけでいいのだから。貴族としての責務も面白味のあるものだし。」
ついついすねた口調でぼやいてしまう。善き娘となるために淑女教育をされ、善き妻になり、善き母になる。男社会の手駒となるためだけに育てられる女は面倒だ。似たような考えを持っていた友人が今や結婚し、子どもを産み、「今は幸せを知った」と言っていたが、果たして子育てなんて生き甲斐になるのだろうか。
「リリィも楽しめばいいだろう」
「お茶会を?手芸を?楽器を奏でることを?生産性のないお遊戯をいったい何が楽しめるのかしら。私にできる生産性を高めることなんて子供を産んで、家の血を絶やさないだけ」
「そう卑下するな。男も同じさ。子どもを産ませても、それは自分の子どもであるかの確証は得られないうえ、領地の管理に時間をとられて遊ぶ暇もない。古くからの言葉にあるだろう中間管理職が一番大変だってね。」
そこまで言って、目を合わせてほほ笑みあう。いつもの決まり文句を言って現状に愚痴を言うことを終いにする。
「いつか私たちもしがらみにとらわれないようになりたいわね」