第80話 自分の在処
放課後。
普段とは勝手が違う、神凪翔として通う学校に戸惑いながらもなんとか無事に一日を終えて、家路に着こうと翔が下駄箱で靴を履き替えていたときだった。
「神凪。ちょっといい?」
聞き慣れた声に、翔は振り返りながら返事をする。
「なんか用事か? 翼」
「うん。ちょい綾奈のことで相談が……って。汐も衣緒も一緒に帰るところだったの?」
こちらへと駆け寄ってきたときに、翔の背後にいた二人にも気がついたのだろう。翼は目を丸くした。
「はい。そんなに珍しいことですか?」
「え? あ、うん。最近は仲良くなったって感じだけど、前は一線引いてるって感じがしてたから」
飄々と答える汐に、少し驚きながらも翼は笑顔だ。自分の友達同士、仲が良いのが嬉しいらしい。
だが、住んでいる家が同じとはいえ、実際に翔と汐が一緒に帰ることは滅多に無いのだから、翼が疑問に感じるのは当然だ。
汐からすれば、翔は警戒すべき相手だと考えていたから一緒に帰ったりして必要以上に仲良くなることは避けていたが、以前の正体不明の神凪翔ではない以上、警戒のしようが無い。
「都合が合いましたから」
「そうなんだ」
だから、同じ方向に、同じ時刻に帰るなら一緒に帰る。とても単純明快な考え方だ。
ただ、事情を知らない翼からすれば、突然の仲良くなったように見えるのだろうが。
「ところで。綾奈がどうかしたの?」
このままでは話が進まないと感じて、衣緒が口を挟む。
「うん。ちょっと、今日の綾奈荒れてたからさ」
ごめんね、と翼がバツの悪そうに眉を下げる。
明らかにいつもと違った綾奈の姿を思い出して、翔は苦笑いを浮かべる。
「あれはやっぱり昨日のことが原因、なんだろうな……」
「ま、まあそれは否定できない、かな」
げんなりした表情の翔に、翼も苦笑気味だ。
「早退したのも、それが原因か?」
「優を悲しませた神凪に対しての怒りと憎しみでってやつ?」
「…………それ、本気で言ってるのか?」
「冗談だよ。冗談」
快活に笑う翼に、翔は半分呆れたようにぼやく。
「昼間の綾奈の態度見てたら、冗談に聞こえないって……」
「けど、早退するために鞄を取りに来た綾奈の顔見てるんだから、違うってわかってるよな?」
「それは……まあな」
五限目の授業途中で、体調不良を理由に早退していった綾奈の姿を思い浮かべる。
昼休みの説明の後からずっと落ち込んだ様子だったが、気分が落ち込みすぎて体調まで崩してしまったようで、その顔は真っ青だった。
「けど、どうしてそこまで綾奈が落ち込んだのさ? 昨日、なにがあったの?」
衣緒が再び会話に割って入る。
「衣緒、お前めちゃくちゃ興味本位で聞いてるだろ」
「失礼な!知的探究心だよ」
誇らしげに無い胸を張る衣緒を見て、翔は開いた口が塞がらない。
(それを興味本位だと言っているのだが……)
声に出すとまたうるさそうなので、心の中でツッコミを入れる。
しかし、そんな心の中のツッコミに、更にツッコミを入れる者がいた。
七瀬汐だ。
「神凪翔が、優お姉様の唇を無理やり奪ったことぐらいは承知していますよ」
「なんで知ってるんだよ!」
わざとらしく、お姉様と呼ぶあたりに悪意を感じずにはいられない。
そもそも、あの場にいなかったはずの汐が、なぜそんなことを知っているのだろうか。
「少しスコープの具合を見ようかと思って、的になるものを探していたらちょうど良いものが映ったので。標準を合わせていたら偶然見えただけです。他意はありません」
「ちょうどいいものって……。標準合わせていたらって……お前」
どうやら知らないところで、神凪翔は命の危機に晒されていたらしい。
覗く気は無かったのかも知れないが、殺意は若干あったように思える。
「ってことは、優がいなくなった後ってことかな?」
「そうですね。それでお願いします」
「あれ? どうしてそんなに何事もなかったかのように会話が進められてるんだ?」
翔の呟きもなんのその。
まるでそれが当たり前のように、話はサクサクと進むようである。
「でも、その後って言ってもなぁ。詰め寄った綾奈に、神凪が一言二言答えて帰っちゃったからなぁ」
何かを伺うような視線をこちらに向けつつ、翼は頬をかく。
普段から、なんでもはっきりと言う翼には珍しい物言いに、衣緒が小首を傾げる。
「その返答が、綾奈さんの怒りの原因というわけですか」
渋る翼に、催促するかのように汐が口を開く。
「怒りというよりも―」
「動揺の表れですよ」
言葉を選んでいるように、翼が言い淀んでいるところに薫が口を挟む。その口調は、やけにはっきりとしたものだ。
「自分の深い部分を無造作に触れられたら、誰だって動揺してしまうものですよ」
薫が目を細めて、射抜くように翔を見る。
それはつまり。
神凪翔が、菜乃綾奈の深い部分を無造作に触れる発言をしたということなのだろうか。
「どうして貴方が。綾奈と父親のことを知っているのですか?」
それは薫の純粋な疑問だったのだろう。
しかし、翔にしてみれば昨日の出来事について言及されたところで答えようがないのが現状だ。ましてや、それが優として過ごすようになってから仲良くなった綾奈の、それ以前の過去について知っているのかと問われたところで答えは否に決まっている。
「綾奈の父親……。確かすでに亡くなっていたよな」
それでもなんとか薫の疑問点との接点を思い返してみた結果出た言葉に、薫は少し驚いたような表情を見せる。
正解を探るかのような疑問を含んだ言い草が、薫にしてみれば意外だったらしい。
「……そう、ですよね。綾奈と貴方は特別仲が良いというわけでもないですし、それぐらいの認知でしかないはずです」
しかし、薫も本来神凪翔という人物が知るはずのない情報であることは理解していたのだろう。
「あのときの言葉はまるで知っているかのような口ぶりだったのですが……考えすぎだったようですね」
薫は納得したかのように、頷いてみせた。
「親父さんとのことは、綾奈にとっては鬼門というか。思い出したくない過去ってやつだから」
そう告げる翼の表情はどこか寂しそうだ。
「思い出したくない過去、か。嫌ってたとか?」
「その真逆」
翼が首を横に振る。
「大好きだった。だからこそ、ってやつじゃないかな」
困ったように、そしてなにより寂しげに翼は微笑んだ。
そんな翼を言及することに罪悪感もあるが、その態度から昨日の一件で綾奈は思い出したくない過去を思い出してしまい、結果として体調まで崩すこととなったのは事実なのだろう。
「それが俺への態度とどう関係してるんだ?」
だからこそ、聞きたいと思った。
綾奈が、優を友人として大切に想っていることは分かっているつもりだ。だから優を傷つけた神凪翔のことを怒っているということも理解できる。
しかし、それ以上に今綾奈が苦しんでいるのは、その過去の出来事にあるのだと思えたから。
「それは神凪が―」
「翼」
「か、薫?」
翼の言葉を遮るように口を挟んだ薫は、自分の靴箱から下履きを取り出して履き替えている。
「すいません。これ以上は、了承を得た上で本人の口からお聞き下さい」
やんわりと断りを入れる薫と、勝手に喋ってしまったことを笑って誤魔化す翼。
「本人から、か。話してもらえるかな?」
少なからず、今の綾奈が神凪翔として在る自分に対して嫌悪感を抱いているのは間違いないだろう。
なにより、そんな深い部分を今の自分が聞いていいものか、翔にしてみれば判断に迷うところだ。
しかし、そう考えていた翔に、薫は意外な意見を述べた。
「貴方だから話す可能性がある、と言えば納得しますか?」
「それはどうして?」
言葉遊びのような会話に、翔は顔を顰める。
「貴方に対しては理不尽な怒りを向けてしまった。今頃、冷静になって貴方に酷いことをしてしまったと頭を悩ませているところでしょう」
「……なるほど」
弱みをつけこんだ方法ではあるが、綾奈の性格からして十分ありそうだ。納得いったと言わんばかりに、翔が苦笑いを浮かべながら頷く。
「で。お見舞いに一緒に行くってことか」
「お。神凪、今日はやけに話が分かるね。彼女の影響?」
さっきまでとは打って変わって、反撃と言わんばかりに翼がニヤニヤと笑いながら、肘で翔の脇をつついてきた。
彼女。
翔は、自分の周りでそれに該当しそうな人物を思い浮かべてみる。
該当者はたったの一名。
(……優のことかよ)
頭を抱える。
なにやら、いらぬところでいらぬ誤解を生んでしまっている気はするが、今更むきになって否定するだけ無駄だと判断して、翔は愛想笑いで誤魔化す。
「その愛想笑いで誤魔化す癖も、優の影響ですか?」
「か、薫?」
薫の言葉に翔は顔が強張る。
「え、影響ってわけじゃない……デスヨ」
「口調も普段と違いますね」
「…………」
翔は口を噤む。
多少違っていても意外に気づかれないものだと思っていたのに。
心配した学校での一日も無事終えて、安堵していた翔にとっては寝耳に水とはまさにこのことだ。
「いえ。残念ながら、皆、気づいていました。全力で気づかれていないと思って幸せそうだったので誰も言えなかっただけです」
それはつまり。
いわゆる、裸の王様的な状態ではなかろうか。
「知らなければよかった……」
自分が如何に滑稽であったかを思い知らされて、翔はその場に突っ伏す。
「そもそも、キミ隠す気あったんだ。あれで」
「そのことに驚きですね」
そんな翔に、衣緒と汐が非情にも追い討ちをかける。
今朝方、フォローすると約束してくれた気がするのだが、どうやらその約束は果たすつもりは毛頭無さそうだ。
「あははは。好きなだけ笑えばいいさ」
反論も諦めて、翔は歩き出す。
そんな翔の背中を追うように、全員が歩幅を合わせながら歩く。
勿論、目的地は分かっている。喫茶店『Re:Symphony(リ:シンフォニ)』だ。
「ぷっ」
「衣緒、それムカつく。その笑い方なんかムカつく」
「ごめんなさい」
「薫、真顔で謝らないでくれ。凄く悲しくなるから」
「笑えない冗談です」
「え。何が? なんか一番心に突き刺さるんですけど。汐、それはわざと?」
「気にすんなって。面白かったし」
「なぜだろう。フォローになってないのに、なぜか一番安心感があるよ。翼」
眉を顰めながらも、翔は妙な安心感と不安を抱いていた。
ここに、自分が翔としても居られるのだという安心感と。
優としての自分がいない不安。
いつの間にか優である事に慣れて、こうして男に戻った今に違和感を抱いている。
翔としての自分。
優としての自分。
どちらにもある居場所。
だが、どちらも異なっている在り方。
どんどん曖昧になっていく二つの境界線に戸惑う。
「心配事ですか」
「え?」
ふいに足を止めてしまっていた翔に、声をかけたのは薫だった。
「今の貴方は遊園地の帰り道で見た姿と重なって見えます」
いつか、消えてしまいそうな。
その言葉に、胸が締め付けられるような気持ちになる。
それは、自分ではないはずの神凪翔。
なら。なぜ、今、自分は彼と同じ目をしているのだろうか。
動揺する翔に、薫は深く溜息をついてから、まるで目を背けるように歩を進める。
「類は友を呼ぶ、ということでしょうか」
そんな呟きを残して。
ふははは!次の更新も間が空くだろうと思われているだろうが、ここは素早く更新してみるっ!
いぁ、あまり余裕が無くてブログの方は放置し気味で申し訳ないですorz
コメントへの返信も後日必ずさせていただきます!
やっとこさ、ある程度現状の環境に慣れ始めたので執筆できる余裕が出てきました。
更に余裕があれば、挿絵的なイラストを『みてみん』に投稿して賛否を問おうかと思ってみたり。
勿論、小説の執筆に支障をきたさない程度に、ではございますが。それで更新遅れました、はシャレになりませんしね(苦笑)
このキャラを描いてみて!というのがあればご意見ください。まだキャラも固まってないのですよorz
シリアス回が続きますが、どうぞお付き合いくださいませ〜。