勇者だの聖女だの、そういうの他所でやって貰って良いですか? 〜静かに夫を待ってるだけなのに、騒がしい来訪者ばかりで困ってます〜
王都の外れ。
喧騒から少し離れた街道沿いに、私の店はある。
この辺りでは珍しい、小上がりスタイルの小さな喫茶店。
古い木材が微かに香る板張りの床は、特別なものは何もないけれど、私にとっては世界の何よりも価値がある、静かで穏やかな城だ。
今日もまた、この大切な場所で、いつもと変わらない午後が終わる――はずだった。
ガシャァァァンッ!
入り口の扉が、けたたましい音を立てて吹き飛ぶまでは。
「……はぁ、はぁっ……! 結界への侵入、成功しました……っ!」
「助かったよ、聖女……。ここなら、奴らの目も誤魔化せるはずだ……」
土煙と共に転がり込んできたのは、ひどく泥にまみれた若い男女だった。
光を失いかけた豪奢な剣を杖代わりにする青年と、ボロボロの純白の法衣を纏った少女。
絵に描いたような悲惨さだが、私の視線は彼らの怪我ではなく、小上がりの床を無惨に踏み躙る泥だらけのブーツと、蝶番からへし折られた哀れな扉に向けられていた。
「あの」
私が布巾を手に声をかけると、青年は弾かれたように顔を上げ、すがるような目で私を見た。
「店主さんですね! 突然押し入ってすみません。ですが、俺たちにはどうしても休息が必要なんです!」
聞いてもいないのに、青年は悲痛な面持ちで語り出した。
「数千年も続いた『姿無き魔王』の時代は終わりました……! ついに、世界を滅ぼす魔王が現れたんです! 俺たちは、それを討つ使命を帯びた今代の勇者と聖女。どうか、この強固な結界の中に、少しの間で良いので匿ってください!」
「…………」
私は、手にしていた布巾を静かにカウンターに置いた。
数千年も前の昔話。
それを、さも今起きている世界の危機かのように語られても困る。
質の悪い寸劇か、あるいは新手の強盗だろうか。そんな考えが頭を過る。どちらにせよ、平穏な私の店に持ち込まれていい話ではない。
「……一応、客って事で良いんですよね?」
「……え?」
私は彼らの熱弁を完全に無視して、冷めた紅茶を二つのカップに注いだ。
自然に冷え切っただけのそれを、泥だらけの二人の前にコトリと置く。
「勇者だの聖女だの、そういうの他所でやって貰って良いですか」
「……は?」
勇者が間抜けな声を漏らし、聖女が目を丸くする。
彼らが背負わされた使命の重さも、突然語られた世界の危機も、私にとっては本当にどうでもいいことだ。
「うちは喫茶店です。頼んでもいない自分語りを聞かされるのも迷惑ですし、何より」
私は、無惨に壊れた入り口と、土足のまま小上がりに上がっている彼らの足元を冷ややかに見下ろした。
「見て分かりませんか? ウチ、土足厳禁なんですけど」
「「……すいません……」」
結局、彼らは床を磨く羽目になった。
世界を救うはずの勇者と聖女が並んで四つん這いになり、泣きそうな顔で雑巾がけをしている。
私はカウンターの中でグラスを拭きながら、その様子を淡々と見下ろしていた。
「……本当に、申し訳ありませんでした」
「土足厳禁とは気付かず……その、結界を通るのに必死で……っ」
一通り泥汚れが落ち、床が元の艶を取り戻したところで、私は二人分の温かいハーブティーを淹れ直してやった。
汚れた鎧や上着、それと靴を脱いで小上がりに上がり、テーブルに縮こまるように座った彼らは、カップの湯気を顔に浴びてほっとしたように息を吐く。
「……それにしても、驚きました」
一口飲んで落ち着いたのか、勇者が店内をぐるりと見渡して口を開いた。
「魔王軍の追撃から逃れるため、無我夢中で飛び込みましたが……まさか王都の外れに、これほど強固な結界が張られている場所があるとは。一体、誰がこんな高度な魔法を?」
純粋な感嘆と、これほどの術者が野に下っていることへの疑問。
まっすぐな視線を向けられた私は、布巾で銅製のポットを磨きながら、視線も上げずに答えた。
「私ですが」
「……え?」
「多少、魔法が使えるので。……ただの防犯対策ですよ」
一応王都とはいえ、ここは外れも外れである。ともすれば、街道沿いでは変な輩に絡まれることもある。
店の備品を壊されたり、面倒事に巻き込まれたりしないための、ささやかな自衛手段だ。
「た、多少のレベルでは無かったような……しかも、あの強度の結界では、普通の人は入れないのでは?」
「逆ですよ。『普通の人』しか入れない結界にしてます。お茶のお代は結構ですから、飲み終わったら早く帰ってくださいね。明日は早いので」
食い下がる勇者の言葉を遮り、私はさっさと話を切り上げた。
明日は新作の茶葉の仕入れがあるし、何より、あの無惨に吹き飛んだドアの修理も依頼しなくちゃいけない。
彼らの相手をしている暇など、私にはないのだ。
◇ ◇ ◇
あの騒動から、数ヶ月が経った。
吹き飛んだドアは新しいものに直り、修理代もきっちり彼らから回収した。
それですっかり縁が切れるかと思いきや、なぜか勇者と聖女は、事あるごとに私の店へ入り浸るようになっていた。
「……で、今日は何なんですか」
「いや、王宮の連中が『魔王軍幹部の首を早く獲ってこい』とうるさくて……。少しだけ、休ませてもらおうかと……」
小上がりのテーブルに突っ伏して愚痴をこぼす勇者。
その向かいでは、聖女が申し訳なさそうに肩を縮めながら、私の淹れたカモミールティーを両手で包み込むように持っている。
世界を救うはずの英雄たちが、平日の昼間から小さな喫茶店でサボっている。
まったく嘆かわしい話だが、彼らにとっても、自分たちを『英雄』として持ち上げず、ただの『客』としてあしらうこの場所が、唯一息を抜けるシェルターになっているらしかった。
「店主さん、いつもすみません。……その、お茶、とても美味しいです」
「それはどうも」
私が布巾でカウンターを拭いていると、聖女がふと、店内のアンティークランプや古い柱時計を見上げて口を開いた。
「このお店、とても素敵ですよね。古いけれど、すごく丁寧に手入れされていて……。店主さんは、ずっとお一人でこのお店を?」
何気ない、他愛のない世間話。
私は拭く手を止めず、窓際の小さな花瓶に視線を向けた。
「いえ。……この店は、元々私の夫のものです」
「あ……旦那様は今、どちらに……?」
「遠い昔に、遠くまで旅に出たんですけどね。……今もまだ、戻ってこないんです」
淡々と告げた言葉に、聖女が「あっ」と息を呑み、勇者が気まずそうに顔を上げた。
「す、すみません……! 私、無神経なことを……!」
「構いませんよ。本当に、随分と昔の話ですから……でも、この店が大切なのは、彼が帰ってくる場所だからです」
慌てて頭を下げる聖女に、私は小さく息を吐いてみせた。
彼はもう、ここにはいない。
私はただ、彼が遺したこの場所を守っているだけだ。
彼が旅立つ間際、私たちが交わした最後の言葉。
『行ってくるよ』
『いってらっしゃい、アナタ。気を付けてね』
泣きそうな顔で笑った彼との、約束。
いつか彼がこの店に辿り着いた時、迷わないように。彼が愛したこの場所を、当時のまま残しておくこと。
「そう……とても大切な場所」
私が静かにそう告げると、聖女の大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「旦那様を、愛してらっしゃるんですね……」
「ええ。世界中の誰よりも、何よりも」
「……おい泣くなよ。俺まで泣けてくるだろうが……っ」
なぜか二人揃ってボロボロと泣き始めた若者たちを見て、私は深くため息をついた。
「……泣くのは勝手ですが、鼻をかんだティッシュはちゃんとゴミ箱に捨ててくださいね。テーブルの上に置きっぱなしにしたら、次から出入り禁止にしますよ」
「「はいぃ……っ」」
涙声で返事をする英雄たちに冷たいおしぼりを投げてやり、私は面倒な空気を断ち切るために話題を変えることにした。
「それで」
私はグラスを磨く手を休めず、ふと思い出したように尋ねた。
「魔王とやらは、倒せそうなんですか?」
その問いに、勇者は真っ赤になった鼻をすすりながらも、スッと真剣な顔つきに戻った。
「……正直に言えば、厳しい戦いになりそうです。久しく魔王が現れなかったおかげで、情報が何もないんですよ……。ですが、その力が強大な事だけは分かります。奴が動くだけで、周囲の魔物たちが異常に活性化するほどですから」
「聖女である私の祈りでも、魔王の瘴気を完全に浄化しきれるかどうか……。今から想像するだけでも、恐ろしくて……」
沈痛な面持ちで語る二人の言葉に、私は適当に頷きを返す。
数千年ぶりの魔王とやらが、随分と大層なことだ。
どこの誰がそんなものを引っ張り出してきたのかは知らないが、世界を救う役回りの人間も本当に大変らしい。
「へえ、それは大変ですね」
「ええ。ですが、俺たちがやらなければ世界が……」
「頑張ってくださいね。絶対に、ウチの店まで被害が来ない範囲で」
「……店主さんは、本当にブレないですね」
「フフ……でも、そのおかげで少し気が楽になりました」
呆れたように肩をすくめる勇者と、少しだけ笑顔を取り戻した聖女。
私は彼らの言葉を適当に聞き流しながら、再びグラスを磨き始めた。
彼らがどこの誰と戦おうが、勝とうが負けようが、私には関係のないことだ。
私はただ、彼が帰ってくるこの場所で、明日も変わらず待ち続けるだけなのだから。
◇ ◇ ◇
平穏な午後。
私がカウンターで、仕入れたばかりの新作茶葉を選別していた時のことだ。
カラン、と力なくドアベルが鳴り、二人の男女が転がり込んできた。
「はぁっ、はぁっ……! なんとか、撒いたか……っ」
「勇者様、酷い出血です……! すぐに回復魔法を……っ」
いつぞやと同じようなシチュエーションだが、二人は満身創痍で、以前にも増して酷く泥と血にまみれていた。
「……あのですね」
私は大きなため息をつき、布巾を手に取った。
「すみません、店主さん……。魔王軍の幹部が、まさか街中で……しかも、複数で襲ってくるとは」
「なんとか撃退したのですけど、追撃されたら戦うだけの力が残ってなくて、ここに逃げ込んだんです……本当にすみません」
「ウチは野戦病院じゃないんですよ。血は汚れが落ちにくいんですから……」
私が注意をしようとした、まさにその矢先だった。
突如として、外の空気が泥のように重くなった。
昼間だというのに太陽の光が翳り、世界がどす黒い瘴気と魔力の嵐に飲み込まれていく。
「ま、まさか……っ」
勇者が傷ついた身体を震わせ、窓の外を見上げた。
「アレが……魔王……!」
聖女が絶望に顔を覆う。
ズン、と地鳴りが響き、空を覆うほどの巨大な魔力の塊が、王都の外れに顕現した。
人の形を模した、破壊と絶望を振り撒くためだけに生み出されたであろう巨大な存在。
『我ハ魔王……。世界ヲ絶望ニ沈メル者ナリ。逃ゲ惑ウ愚カナル光ノ眷属共ヨ、ソノ無意味ナ足掻キモココデ終ワリダ』
世界を震わせるような、それでいて、ひどく記号的な宣言。
だが、その圧倒的な力を前にして、勇者たちは完全に心が折れたように膝をついた。
「もう、終わりだ……。幹部を倒すだけで精一杯だった俺たちに、あんなバケモノ、どうやって……」
魔王の虚ろな目が、ふと私の店へと向けられた。
勇者と聖女という『獲物』の気配を察知したのだろう。
『小賢シイ結界ダ。ソノ薄皮ゴト、塵ト化スガ良イ』
魔王が巨大な腕を振り上げ、私の店に向かって無造作に魔力の塊を放った。
世界を滅ぼす一撃。誰もが死を覚悟しただろう。
だが。
ガシャァァァンッ!!
私の防犯結界に阻まれ、建物自体は完全に無傷だ。だが、間接的に発生した凄まじい衝撃波に耐えきれず、店の大きな窓ガラスが粉々に吹き飛んだ。
暴風が吹き荒れ、カウンターの上の小物が床に叩きつけられる。
私が今しがた仕入れたばかりの最高級の茶葉が、無惨にも宙を舞い、泥だらけの床に散乱した。
「あ……ああ……っ」
勇者が絶望の呻きを漏らす。
万事休す。世界が終わる。彼らはそう思ったに違いない。
だが、私にとっては。
「……はぁ」
深い、深いため息が零れた。
私は手にしていた茶葉の空き缶をカウンターに置き、散らかった床と、割れたガラスの破片を静かに見下ろした。
「数千年ぶりに痛い目を見ないと、分からないようですね」
「……え? 店主、さん……?」
呆然とこちらを見る勇者をよそに、私はゆっくりと首を鳴らした。
私の中で何かが、音もなく底冷えしていくのを感じる。
「誰の許可を得て、私の……あの人の店を荒らしているんですか」
私が一歩、店の外に出た瞬間。
魔王の巨拳が、私ごと店の結界を押し潰そうと猛烈な勢いで振り下ろされた。
私は小さくため息をつき、無造作にその拳を片手で受け止める。そして、ふわりと宙に舞い上がると、逆にその顔面へと拳を叩き込んだ。
ドンッ、という鈍い音。
たったの一撃。
それだけで、世界を滅ぼすはずだった魔王の巨体は、一瞬にして霧散し、跡形もなく消し飛んだ。
「何が『魔王』ですか、くだらない。……どうせ下手人は『アイツ』でしょう」
「…………へ?」
背後で、勇者の間の抜けた声が響く。
――しかし、私の用事はまだ終わっていない。
私は、店から少し離れた場所に立ち、遥か高くに広がる空を見上げた。
「運命だの役割だの、そんなくだらない理由で日常を壊したこと……きっちり後悔させてやりますよ」
私は右手を天へとかざし、虚空を鷲掴みにした。
世界そのものを掴み、無理矢理に引き下ろすような、暴力的な引力。
刹那。
空が、割れた。
凄まじい轟音と共に雲が裂け、空を覆う黒がガラスのように砕け散る。
そして、遥か天上から『ソレ』は、私の足元に向かって無様に引きずり落とされてきた。
ドゴォォォンッ!
店の前の街道に巨大なクレーターが穿たれ、遥か天上から引きずり落とされた『元凶』が土煙の中で咳き込んでいた。
「ゲホッ……き、貴様ァ! 創造主たる我を地上へ引きずり下ろすなど、万死に値する――」
――ソレは、神々しい純白の法衣を纏い、年齢も性別も不詳の完璧な美貌を持っているはずの『存在』。だが、今は泥と埃にまみれ、ひどく滑稽な姿を晒していた。
「反省の色は、無いみたいですね」
初めこそ傲慢な怒りを露わにしていた『神』だったが、私がクレーターの縁に立ち、数千年ぶりの圧倒的な殺気を叩きつけた瞬間。
その言葉は、ピタリと止まった。
「ひっ……な、なぜ……っ」
私を見上げた神の顔から、一瞬にして血の気が引いていく。
威厳に満ちていたはずの姿がガタガタと無様に震え始め、その瞳には明確な『恐怖』が浮かび上がっていた。
「何故、お前が、こんな所にいるのだ……『姿無き魔王』っ!?」
「こんな所も何も、私はずっとここで喫茶店を営んでいますが」
私はクレーターの底へと降り立ち、岩の破片を踏み躙りながら冷たく見下ろした。
「あなたが勝手に、私の日常をぶち壊したんでしょう」
「ひぃっ! わ、我は知らなかったのだ! ここがお前の住処だと……悪かった! だが我も、世界の理を保つために――」
言い訳を並べ立てる神の胸ぐらを掴み上げ、私は無造作に右の拳を振り上げた。
「ま、待て、我は世界の――」
ドゴォッ!
「まずは、割れた窓ガラスの分です」
「ぐあぁっ!? き、貴様、創造主たる我に向かって――」
バキィッ!
「次に、床に散らばった最高級の茶葉の分」
「あがっ!? や、やめ――」
ゴガンッ! メキィッ! ドゴォッ!
「そして、数千年越しに私の平和な営みを邪魔する、営業妨害の慰謝料です」
かつて世界を創ったとされる至高の存在を、私はただの迷惑な客を黙らせるように、淡々と、しかし一切の容赦なく殴り続けた。
神の威厳などとうの昔に消し飛び、王都の外れには、神の無様な悲鳴と、私の拳が顔面にめり込む鈍い音だけが響き渡る。
勇者と聖女は、空いた口が塞がらないといった様子で、創造主が殴り倒される光景をただ呆然と眺めていた。
「ひぃっ、待て! 待ってくれ、話を聞け……! 私を殺すと、世界が崩壊するぞ!」
顔面を原型がなくなるほど腫らし、地面に這いつくばった神が必死に叫んだ。
数千年に及ぶトラウマが完全に刻み込まれたのだろう。その声は威厳など欠片もなく、ひどく怯えていた。
「話してみなさい」
「あ、ああ。勇者と、魔王と、聖女……! その三者が相争うことで大きなエネルギーが生まれ、それに伴い世界が乱れる事で生者と死者の循環も活性化される! それを、私が上手く分配する事で、この世が維持出来ている。つまり、世界の維持には私の存在が不可欠なのだ!」
「生者と、死者の、循環?」
「そうだ! 死者が生者に、生者が死者に、一つの流れになるから世界の均衡を保って……」
「……なるほど。『彼』がいつまでも帰って来ない理由が、ようやく分かりましたよ」
私は拳の血を布巾で拭いながら冷めた声で返し、深くため息をついた。
「そうか、理解してくれたか……?」
「ええ、貴方が口先だけの詐欺師だってことをね」
「な、何を言うっ!?」
「死者と生者が循環するなら、別に自然のサイクルで殆ど事足りるはずです。僅かに発生するロス程度なら、貴方がほんの少しエネルギーを足せばいい。なのに、三者の争いを促してまで、余剰なエネルギーを生み出そうとしたのは……どうせ自分の力が惜しいとか、面倒臭いとか、そんな理由でしょう」
「……」
「しかも、この五千年で、人口は半減しています。そちらの理屈では、死者の分だけ生者も増えるはずなのに。……貴方、ボロボロになった自分を再生する為に、死者の魂をエネルギーに使ってましたね?」
「それは、一時的に、借りただけで……」
「もう、良いです。まずは、死者の魂を解放しなさい」
「な、なにを……」
私は、神の頭をぐしゃりと掴み、規格外の魔力を流し込んだ。
「あ……ぁ、ああああああああっ!?」
神の絶叫が響き渡る。
その身体が光の粒子となって分解され、神の体を構築していたエネルギー……死者の魂が解放されていく。
「か、身体がっ! ……私のから……だ、が……ぁ……」
「さて、要は魂が循環する時のロスを補う、『繋ぎ』があれば良いんでしょう」
私は死者の魂と分離した神の肉体を光に変えて捏ね回し、新たな理の形――システムに直結する『循環の輪』へと強制的に変容させた。
自我を完全に剥奪し、ただ永久に世界を維持するエネルギーを生み出し続けるだけの、都合の良い発生装置。
それを空の彼方、誰も触れられない次元の狭間へと蹴り飛ばし、システムの中枢に組み込む。
――それで、終わり。
あっけない幕切れだった。
空は再び静けさを取り戻し、世界を覆っていた威圧感は嘘のように消え去った。
「これは一体……? 店主さんが、『姿無き魔王』……!?」
信じられないものを見るような勇者の視線。ここで誤魔化すのも面倒になり、私は小さく息を吐いて事実を口にした。
「まぁ、一応そう呼ばれてました。……ただ、その『魔王』という役割が嫌で何もしないでいたら、奴がしつこく絡んできたので、消滅寸前まで痛めつけてやったんですが……反省してませんでしたね」
「…………」
私の身も蓋もない説明に、勇者は完全に言葉を失っていた。
「…………あ、あの」
沈黙を破ったのは、呆然と事の顛末を見届けていた聖女だった。
震える声で、彼女は恐る恐る私に問いかける。
「その……神様がいなくても、この世界は大丈夫なんでしょうか……?」
あんなのでも、世界を創った存在だ。それがいなくなったとすれば、彼女が不安に思うのも無理はない。
だが、私は散らかった店内を見回しながら、心底どうでもよさそうに吐き捨てた。
「別に、あんなのいなくても人も魔物も魔族も平気でしょ。適当に仲良くやってください」
誰かに押し付けられた役割などなくても、生き物は勝手に生きていく。
世界を救う茶番は終わった。
今はそれよりも、この惨状を片付ける方が先だ。
「そんな事より……床、掃除してもらいますよ」
「「……はい」」
◇ ◇ ◇
あの日、王都の外れで世界を揺るがすような騒動が起きてから、およそ二十年の月日が流れた。
旗印を失った魔族たちは大人しく身を潜め、魔力による活性化が解けた魔物たちも、本来の生息域へと帰っていったという。
だが、平和になったからといって、すべてが丸く収まるわけではない。
「……で? またウチに逃げ込んできたんですか」
俗世と隔絶された平穏な店内で、私は呆れたようにため息をついた。
カウンター席に突っ伏した、立派な無精髭を蓄えた男が情けない声を上げる。
「勘弁してほしいですよ、店主さん……。国王の奴、俺たちの力をいまだに隣国との牽制に使おうとしやがるんです。こっちはもう四十だっていうのに、腰が痛くて敵わんですよ」
「人間の欲望って、本当に果てがないですよね……。私も最近、お肌の曲がり角どころじゃなくて大変なのに」
目尻に少し皺の増えた女性——かつての聖女もまた、ハーブティーをすすりながら愚痴をこぼしている。
すっかり中年の風格が出た元勇者と、年相応の落ち着きと疲れを見せる元聖女。
魔王という共通の敵がいなくなれば、今度は人間同士で争いを始める。
数千年前から全く成長していない愚かさに呆れ果てるが、それもまた、押し付けられた運命ではない、彼ら自身の選択だ。
私は適当に相槌を打ちながら、カップを丁寧に磨き続けた。
いつもの、変わらない日常。
彼らはすっかり歳をとったが、私はあの日のまま、何一つ変わっていない。
ふと、店内に飾られた古い時計へ視線を向ける。
魔法によって朽ちる事が無くなった代わりに、役割を果たすこと無く、時を縫い付けられた時計。
――この時計を見ると、あの日の記憶が瞼の裏に浮かんでくる。
◆ ◆ ◆
『そろそろ、みたいだ。……少し、旅に出るよ』
『はい。……私はまだ、行けそうに無いです』
『ふふ。君は、長生きだから、ね。……もし、僕が生まれ変わったら……また、結婚してくれるかい?』
『はい。何年でも、何百年でも、何千年でも待ちますから、プロポーズして下さい』
『……ありがとう。……じゃあ、一つ、お願いがあるんだ……』
『……なんですか?』
『もし、生まれ変わって……自分の足で……この店に辿り着いたなら……記憶を呼び戻せるように、魔法を掛けて欲しいんだ……出来る、かな?』
『出来ますけど……この店に、辿り着いたら、ですか?』
『うん。……生まれ変わった【僕】は……【僕】じゃないかもしれない。……魂が同じだけの他人。もし、そうなら、僕の我が儘で……その人の未来を……潰してしまうことになる……』
『それは……』
『だから……記憶のない、僕が……それでも、この店に辿り……着いたなら……それは、きっと……必然だと、思うんだ……だか……ら……』
『……分かりました』
『あぁ……よかっ……た……。じゃあ……いって……くるよ……』
『……いってらっしゃい、アナタ。気を付けてね』
◆ ◆ ◆
それが、旅立つ彼と交わした、最期の言葉。
(プロポーズ、ね。……本当は、私の方が一目惚れだったって言ったら、アナタはどんな顔するのかしら)
――カラン。
不意に、新しくなった入り口のドアベルが、静かに鳴った。
「すいません、今は立て込んで……」
そう言いかけて、勇者の方へ向けていた視線を扉へ移す。
そこに立っていたのは、見知らぬ青年だった。
旅の途中なのか、少し日に焼けた顔で、何かを確かめるように店内を見渡している。
そして、彼が一歩、店の敷居を跨いだ瞬間。
ふわりと、数千年の時を経て、私が編み込んだ魔法が淡く光を放ち、弾けた。
青年の足が止まる。
その瞳に、驚きと、戸惑いと、やがて深い安堵の色が広がっていくのが見えた。
「……えっと」
勇者が不思議そうに振り返る中、青年はゆっくりとカウンターに近づき、私を真っ直ぐに見つめた。
その優しい眼差しは、数千年前のあの日と何も変わっていなかった。
「……本当は、私の方が一目惚れだったんですよ?」
「うん……知ってたよ。随分と、待たせたね」
震える声でそう笑う彼に、私は持っていたクロスを静かに置き、ただ一言、深く息を吸い込んで微笑んだ。
「おかえりなさい」
私の頬を涙が一粒だけ伝い落ちる。
外では、柔らかな木漏れ日が、静かな日常を照らしていた。
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