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ひと夏の記憶を抱えて

作者: P4rn0s
掲載日:2026/02/15

夏の終わりを告げる風には、独特の湿り気と、

かすかな涼しさが入り混じっている。


昼間はまだ強い陽射しが残っていて、

蝉が最後の力を振り絞るように鳴き続けているのに、

夜になると急に世界は色を変え、

少しずつ秋の気配が漂い始める。


その移ろいを肌で感じるたびに、

僕はどうしようもなく君を思い出してしまう。


お盆を過ぎてから、君は夢によく現れるようになった。

最初は一度だけだった。

あまりに久しぶりだったから、

目が覚めてしばらくはその夢を夢だとは思えなかった。


君がそこにいて、当たり前のように僕の名前を呼んで、

笑ってくれていた。

声の響きも、目線の高さも、

記憶の中の君と寸分違わなかった。

忘れかけていたはずの細かな仕草まで再生されるように夢の中で蘇って、

僕はしばらくその温度を思い返していた。


二度、三度と夢で君を見かけるようになってくると、

不思議と日常の景色が変わり始めた。

道端の花がやけに鮮やかに見えたり、

夕暮れの空が胸を締めつけるように美しく映ったり。


忘れてはいけないと誰かに肩を叩かれているような、

そんな気がしてならなかった。

君が僕に

「ここにいる」

と伝えたくて夢に現れているのかもしれない。

あるいは、ただの偶然かもしれない。


でもその偶然を、

僕は偶然のまま受け流すことができなかった。


そんな折に、夜の散歩で犬に吠えられた。

犬は苦手ではなかったけれど、

こんなにも執拗に吠えられたのは初めてだった。

通り過ぎてもなお、振り返って吠え続けるその姿に、


僕はただ立ち尽くしてしまった。

飼い主が申し訳なさそうに頭を下げていたけれど、

僕はそれに気づかないふりをして歩き続けた。

耳の奥で鳴り響く吠え声はただの偶然ではなく、

まるで

「君がそばにいる」

と告げる警鐘のように感じられて仕方がなかった。


また、不思議なことに黒い蝶をよく目にするようにもなった。

昼間の明るい道でも、夕暮れ時の公園でも、

ふとした瞬間にひらひらと視界に入り込んでくる。


黒い蝶は昔から何かの象徴のように語られることが多いと聞いたことがある。

死者の魂だとか、あの世からの使者だとか。

でも僕にとってそれは恐怖を連れてくる存在ではなかった。


むしろ、優しく寄り添うような気配を感じさせるものだった。

蝶が舞い降りるたび、僕は思わず目で追いかけてしまい、

その度に君を思い出して胸が温かくなる。


こうして小さな出来事が積み重なっていくと、

僕は次第に

「君が本当にそばにいてくれているのではないか」

と思うようになった。

科学的な理由や理屈なんてどうでもよかった。


夢に現れる君、吠え続けた犬、ひらひらと舞う黒い蝶。

それらのすべてがひとつの糸で繋がっていて、

僕の暮らしのすぐ隣に君の存在を結びつけている。


そんな風に信じることで、

ようやく胸の奥に積もっていた孤独が少しだけ和らいでいくのを感じた。


もちろん、君が目の前に立って言葉をくれるわけではない。

何かに迷ったとき、

相談して答えが返ってくるわけでもない。

けれど、夢と現実の間を漂うように残された気配が、


確かに僕を支えているのだと思えた。

忘れることを恐れていたのは、

結局のところ僕自身だった。

記憶が薄れていくのを怖れていたからこそ、

夢で君に再会するたびに安堵していた。


だが実際には、

君の方が僕を忘れさせないようにしてくれているのかもしれない。


散歩の帰り道、ふと立ち止まって夜空を見上げた。

星は少しずつ数を増し、月が雲間から顔を覗かせていた。

虫の声が響き、遠くから電車の音が微かに届く。


そんなありふれた夏の終わりの夜に、

僕は確かに君を近くに感じていた。そして思った。


君はもう姿を持たないけれど、

それでも僕の生活の中に確かに存在しているのだと。

そのことに気づけたのは、

夢を通してでも君と再び出会えたからだ。


だから今夜もまた、眠りにつくのを楽しみにしている。

夢の中でどんな形でも君に会えるのなら、

それだけで十分だと思えた。


そんな夏の終わりの記憶を胸いっぱいに吸い込みながら、

僕は静かに目を閉じた。

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