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21 きみに伝えたいことがある

 このところ、レナートは急に忙しくなっていた。秋も深まるこの季節は、翌年の王国財務計画の策定が本格化する時期である。

 それでも少し前までは、レナートは無理をしてでも朝食をセラフィーナとともにとり、夜遅くに戻ってくる生活を続けていた。しかし、それもいつしか限界を迎えたのか、彼は王宮に寝泊まりするようになり、サハロフ邸に姿を見せなくなってしまった。


 セラフィーナは、王宮にいるレナートからの手紙を受け取っていた。


『しばらく戻れない。きみとの約束を守れなくてすまない。落ち着いたら、きみに伝えたいことがある』


 その筆跡は、かすかに乱れていた。彼の疲労がにじんでいるように思えた。



 ◇ ◇ ◇



 そして、その手紙から約一週間後。レナートはようやく帰ってきた。

 出迎えたセラフィーナの目に映ったのは、以前よりも顔色を悪くしたレナートの姿。彼が消耗しているのは明らかだった。


「おかえりなさいませ、レナート様」

「すまなかった。遅くなった」


 低く疲れた声でそう応じた彼に、セラフィーナはきっぱりと告げる。


「いいえ。とにかく、お休みになってください。顔色が、とても悪いです」

「きみに話が――」

「だめです。それは後回しにしましょう。まずは休んで、食事をとってください。わたくしは、いつまでも待っていますから」


 彼女の言葉に、レナートの瞳が一瞬揺れる。かすかな笑みが、その疲れ切った顔に浮かんだ。


「……ありがとう」



 ◇ ◇ ◇



 再び言葉を交わせたのは、その翌日の午後だった。


 使用人によれば、レナートはまるで意識を失ったかのように深く眠り続けていたという。目覚めてから遅い朝食を済ませ、ようやく彼女の前に姿を見せたとき、その顔には血色が戻っていた。セラフィーナはほっと胸をなでおろす。


 セラフィーナとレナートは、ともに図書室へと向かう。建設中の温室がよく見えるその部屋は、昼の陽光がふんだんに差し込み、外の冷気を忘れさせる柔らかな暖かさに満ちていた。


「お忙しいのに、わざわざお手紙をありがとうございました」


 セラフィーナがにこりとほほえむと、レナートは小さくうなずく。

 それからレナートは何かを決意した様子で、セラフィーナをまっすぐに見つめた。


「きみに伝えたいことがある」

「……改まって、どうしたのですか?」


 彼の声音に、セラフィーナは不思議そうに首をかしげた。レナートはひとつ深く息を吐き、静かに続けた。


「以前の申し出を撤回させてくれないか」


 その言葉に、セラフィーナはきょとんとした。彼の言葉の意味が、すぐには理解できなかったのだ。何のことを言っているのか、自分の記憶と彼の言葉が結びつかない。


「……撤回?」


 不思議そうな表情のセラフィーナに、レナートは小さくうなずいてから答える。彼の声は、わずかに震えているようだった。


「きみを愛することはできないと言ったこと」


 セラフィーナはあの日と同じように、瞳を大きく瞬きさせた。あの時の彼の言葉が、脳裏によみがえる。レナートは少し思いつめた様子で続けた。


「――誕生日の夜、きみは私のことを、兄がもう一人増えたようで心強いと言った」


 セラフィーナは記憶をたどる。たしかにアニエロとロランにあいさつをしたときに、自然とそう言葉にしていた。


「はい。レナート様のことを、信頼していますから」


 その返答に、レナートはわずかに唇を結び、やや苦しげに目を伏せた。


「……正直に言うと、あの言葉には、ショックを受けた」

「…………」


 セラフィーナは目を小さく見開いた。レナートの思いもよらぬ答えに、わずかに動揺する。


「ご不快でしたか……?」


 それがなぜかは分からず困惑するセラフィーナに、レナートはすぐに首を振った。


「違う。そうではない。ただ、きみに……男として見られていないということが、つらかった」

「…………」


 今度こそ驚いて言葉を失うセラフィーナに、レナートは再び深く息を吐いて、真剣なまなざしを向けた。アイスブルーの瞳には、もう迷いはなかった。まっすぐな情熱と、決意が宿っている。


 そして、彼ははっきりと想いを告げた。


「――きみが好きだ」


 静かな、しかし揺るぎない言葉に、セラフィーナの思考が止まる。

 レナートは、そんな彼女から瞳を逸らさず、懸命に訴え続けた。


「だが、そもそもきみにあんな宣言をしておいて、今更何を言えるのかという葛藤もあった。あの時の言葉が、きっときみを傷つけただろうと、何度も後悔した」


 彼の苦しげな真心が切々と伝わって、セラフィーナの胸を打った。彼の声は懇願するように、そして、彼女の心を震わせるように響いていた。


「もっと早くに伝えるべきだったのに、頭が整理できず、それから時間も取れなくなって……すまなかった」

「そんなこと……」


 セラフィーナはうまく返答ができなかった。日頃から自分はよく話す性格だと自覚していたのだが、今はなぜだか言葉が出てこない。


(――レナート様が、好き? わたくしを……?)


 信じられない。頭の中が真っ白なままだ。


「セラフィーナ。どうかあの時の非礼を、許してほしい」


 言葉が出なくて沈黙していたセラフィーナに、レナートはひたむきなまなざしを向けてくる。

 思考は追いつかない。だが、彼の気持ちだけは痛いほどに理解できた。


「……許します」


 セラフィーナがようやく言えたのは、それだけだった。


 するとレナートは小さく目を見開き、それから泣き笑いのような表情になった。彼の顔に浮かんだ喜びと安堵の表情が、セラフィーナの胸をぎゅっと締め付ける。


「ありがとう」


 レナートのその一言には、万感の思いが込められていた。彼の声が、セラフィーナの心に深く刻み込まれていく。


「これからは、きみに愛される男になれるように、努力する」


 そう言ってレナートは一歩、セラフィーナへ近づいた。そして、彼女の手をそっと取ると、身をかがめて手の甲に唇を落とした。それは熱く激しいものではなく、ただひたすらに誠実で、丁寧で、心からの愛情と敬意が込められた仕草だった。


 顔を上げたレナートのアイスブルーの瞳は、情熱的に彩られていた。迷いのないまっすぐな想いを向けられて、頬が熱を持ったのが自分でも分かった。


(……どうしよう。胸が、苦しい)


 こんな風に全身を揺さぶるような感情が、自分の中にあったなんて――レナートの言葉が、想いが、眠っていたセラフィーナの心を優しく、けれど力強く目覚めさせていた。

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