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20 それが答えじゃないのか?

 その夜、サハロフ邸はひときわ明るい光に包まれていた。

 華やかな意匠の馬車が次々と門をくぐり、美しいドレスに身を包んだ貴婦人や、きらびやかな勲章をつけた紳士たちが、期待に満ちた面持ちで邸内へ向かう。

 今宵は、サハロフ公爵家の嫡男レナートの婚約者、セラフィーナの誕生日を祝う晩餐会である。招かれたのはサハロフ家と親交の深い人々で、その多くは王国内で影響力のある貴族や要人たちだった。この晩餐会は、サハロフ家との絆を確認する重要な機会でもある。


 会場の入り口で、レナートは来客を迎えていた。普段は感情をあまり表に出さない彼が、穏やかな笑みを見せている。珍しくレナートがそのような表情を見せるせいか、今夜はひときわ人目を惹いていた。

 その隣には、今日の主役であるセラフィーナが立っていた。彼女の首元には、繊細な細工の美しいエメラルドのネックレスが輝いている。レナートが贈ったものだという。

 セラフィーナには次々と賛辞が送られ、彼女はそのたびに柔らかな笑みを浮かべて応じている。


 ラトゥリ侯爵夫妻とともにサハロフ邸を訪れたロランは、二人の様子を優しいまなざしで見つめていた。妹が幸せそうに笑っている。それが何より嬉しかった。

 

 やがて、ひと通りのあいさつが終わり、レナートはセラフィーナの手を取り、ゆっくりと会場内のメインテーブルへと進み出る。ざわめきが自然と静まってゆく。


「皆様、ようこそお越しくださいました。今宵は、私の婚約者であるセラフィーナの誕生日を祝うため、心ばかりの晩餐の場を設けました。彼女が今日という日を皆様と迎えられたことを、心から嬉しく思います」


 レナートの落ち着いた声が会場に響く。その言葉は単に儀礼的なものではなく、普段の彼からは想像できないほどの優しさがこもっていた。そして彼は隣に立つセラフィーナに目を向ける。


「セラフィーナ、誕生日おめでとう」


 そのまなざしには、彼女を大切に慈しむ、敬意と愛情が込められていた。会場から、拍手が沸き起こる。


「レナート様、ありがとうございます」


 セラフィーナは美しい笑顔を見せ、祝福に満ちた会場の空気を一層あたたかなものにした。


 晩餐会は、最上級の料理と選び抜かれたワインとともに、和やかな雰囲気で進んでいく。

 セラフィーナとレナートは、それぞれが客人との会話を楽しみ、二人きりで言葉を交わす時間はほとんどない。それでも目と目が合えば、どちらからともなくほほえみを交わす。ごく自然に、呼吸を合わせるように。


 二人の姿を、ロランはしあわせな気持ちで見つめていた。

 エドワードとの一件を乗り越え、二人の絆はより強くなったのだろう。最初は不安もあったが、今ではレナートがセラフィーナを大切に想っていることは、ロランにも十分すぎるほどに伝わっていた。



 ◇ ◇ ◇



 夜も更け、多くの客人が帰路についた頃、レナートは旧知の友人であるリミニ公爵家の嫡男アニエロと、ロランとともに小サロンへと移動した。

 そこへ、セラフィーナがあいさつのために顔を出す。


「セラフィーナ嬢、本当におめでとうございます。すばらしい晩餐会でした」

「ありがとうございます、リミニ小公爵様。これからの時間も、ゆっくりとお楽しみください」


 アニエロに優雅にほほえんで、セラフィーナはロランにも視線を送る。


「お兄様も、ごゆっくり。レナート様とお兄様がすっかり親しくなったようで、嬉しいです」

「学生時代が悔やまれるよ。遠慮せずに、話しかけておけば良かった」


 ロランが苦笑すると、アニエロが朗らかに笑う。


「そうだな。レナートは近寄りがたい雰囲気だったからな。だけど今はすっかり表情も明るいし、良かったよ。セラフィーナ嬢のおかげでしょう」

「そんなこと」


 アニエロの言葉に、セラフィーナはかわいらしく笑っている。彼はいたずらっぽく問いかけた。


「最初は少し扱いづらかったでしょう?」

「そうかもしれませんね」

「アニエロ」


 とがめるような視線を送るレナートにくすりと笑ってから、セラフィーナはにっこりとほほえんだ。


「でも今はレナート様のことを、とても信頼しています。お兄様がもう一人増えたようで、本当に心強いです」


 そう言って彼女は、ふわりとドレスを揺らし、優雅に一礼した。


「それでは、わたくしはこれで。失礼いたします」

「ありがとう、セラフィーナ嬢。しばらくレナートをお借りします」


 セラフィーナが去ると、にこにことしていたアニエロは、すぐにレナートへ目を向けた。


「お兄様、と言われたぞ」

「…………」


 遠慮のないアニエロの言葉。レナートは表情をこわばらせて、動きを止めていた。

 ロランは妹の代わりに、申し訳なさそうな表情になる。


「レナート様、申し訳ありません。セラフィーナにはきちんと言っておきます。婚約者のレナート様に対して、先ほどのような――」

「いや……」


 ロランの言葉を途中で遮って、レナートは力が抜けたようにソファに腰を下ろした。そして、苦しそうな表情で、ぽつりとつぶやいた。


「自業自得だ」


 ロランとアニエロは顔を見合わせて、彼の向かいに座った。

 アニエロはテーブルに用意されていたボトルを手に取り、琥珀色の液体をロックグラスへと注いだ。氷が軽やかに音を立てる。

 レナートはアニエロからグラスを受け取ると、まずそれを口にした。自分を落ち着けているようにも見えた。

 それから、彼は二人に語った。婚約者としてセラフィーナを紹介されたその日に、彼が口にした言葉を。


「……初めて会った日に、愛することはできないと思うと、言ってしまった」

「…………」

「それを彼女は、理解すると言ってくれた」


 ロランは絶句していた。

 思いも寄らぬ告白に、言葉が見つからない。


「ロラン、大丈夫だ。言いたいことは言っていい」


 言葉を失っていたロランにアニエロがそう言うので、酒の力もあって、ロランは遠慮なくレナートに言った。厳しい口調になるのは、仕方がないことだ。


「政略結婚ですので、はじめから愛情があるとは思ってはいませんが、それでも、初対面で宣言する必要はないかと思いますが」

「もっともだな」


 アニエロも強くうなずく。ただ彼は、少し困ったような表情でレナートを擁護した。


「だが、レナートは真面目なんだ。融通がきかないともいう。察するに、マリーアンヌ妃のことが原因にある」


 アニエロはグラスを傾けながら、当時のことを思い出すように言った。ロランもそのことは知っていて、セラフィーナにはロランからその事実を教えた。後になって他から聞くよりは良いだろうと思ったのだ。


「彼女は頭の良い人だったと思う。自分の魅力をよく理解し、武器として最大限に使いこなしていた。そしてきみは真面目で、婚約者候補である彼女と、正しく、愛のある関係を築きたい――いや、築く()()だと思っていた。違うか?」

「…………」

「そして彼女は目標を変更した。きみも理解せざるをえなかった。それがきみの心の傷になった」


 レナートはずっと、琥珀色の液体を眺めている。喉に流し込んだら、アニエロが継ぎ足す。それの繰り返しだ。おそらく、味わってはいないだろう。


「だがマリーアンヌ妃に対して、きみがこんな風に心を乱されたことがあったか?」


 レナートは眉間に皺を寄せて沈黙していたが、ややしてぽつりと答えた。


「……信じようとしたものが、なかったと知った。失望はしたが、自分のほうが愚かだったと思っただけだ。だからもう、愛することはできないと思っていた。誰のことも」


 レナートはグラスを置き、片手で両目を覆って頭を下げると、深いため息をついた。

 その姿を目の当たりにして、アニエロは苦笑すると、ロランを見やる。


「ロラン、許してやってくれないか。ここまで落ち込むレナートを見るのは初めてだ」

「……私が許す、許さないではないですから」


 ロランは思わず息をついた。重要なのは、セラフィーナの気持ちだ。セラフィーナのあの様子では、特に気にはしていないのだろう。

 ロランもグラスの中身を口にすると、少し視線を落としてぽつりと漏らした。


「セラフィーナはセラフィーナで、深く傷ついた過去があります。ある意味で、期待をしていないのかもしれません。理解すると言ったのも、そういうことかと」


 その言葉に、顔を上げたレナートは呆然とロランを見つめた。


「期待をしていない――」


 ロランは慌てて付け加えた。


「すみません。レナート様に、というわけではありません。セラフィーナは、誰かを恋い慕う気持ちそのものを、遠ざけているのかもしれません。家族がいればいいと思っているのでしょう。多分、防衛本能のようなものとして」


 するとレナートに代わって、アニエロが答える。


「なるほどな」


 この場でもっとも客観的なアニエロは理解が早かった。そして彼はレナートに言った。


「レナート、仮にサハロフ公爵とラトゥリ侯爵がこの婚約を破棄したとして、きみはそれを受け入れられると思うか?」

「…………」


 レナートはしばらく沈黙して、振り絞るように答えた。


「……嫌だ」


 アニエロがグラスを傾けながら、やれやれとばかりに穏やかに笑った。


「愛することはできないと思っていたのに、愛してしまった。それが答えじゃないのか? 思うようにいかないから、恋に()()()と言うんだろうな」

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