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18 帰りましょう

 その後、エドワードの提出した証拠は、本物であると確認された。

 王宮の識者たちによって慎重に鑑定され、その筆跡、印影、紙質、そして内容の全てが、バルトン公国とセイモア伯爵の間で交わされた秘密協定であることに間違いがないと証明された。


 国王の厳命が下ると、王宮に緊張が走った。セイモア伯爵を捕らえる指令は、即座に王都の聖騎士団へと伝達された。


 星が瞬く夜明け前、セイモア伯爵邸は音もなく包囲された。そして、突如静寂を破るように響く命令の声。セイモア伯爵は事態を把握する間もなく拘束された。執務室からは、エドワードが提供した証拠と完全に一致する、更なる文書が多数発見された。それらはセイモア伯爵がバルトン公国と共謀し、カルドナ辺境伯領を併合しようとしていたことを明確に示しており、彼の罪は決定的なものとなった。

 セイモア伯爵の失脚は、迅速に王国中で布告された。


 そしてそのことは、エドワードの言葉通りに、共謀していたバルトン公国に甚大な影響を与えた。

 バルトン公国では、カルドナ辺境伯領を狙っていた強硬派勢力が求心力を失い、国内勢力の分裂が顕著になった。もはやグランヴェール王国への介入どころではなく、国内の安定を最優先課題とせざるを得ないだろう。長きにわたる緊張関係が、この一件によって一変したのだ。



 ◇ ◇ ◇



 騒動が落ち着いた頃、セラフィーナは港の一角に停められた馬車の中から、その光景を静かに見つめていた。


 夜明けの空は、まだほの暗い青をたたえ、東の空だけが朝焼けに染まり始めていた。遠くでカモメの鳴き声が聞こえる。潮の匂いが混じる風が、馬車の窓を揺らした。

 港には、見慣れない帆を掲げた船が停泊している。その帆には、グランヴェール王国の紋章とは異なる紋章が描かれていた。あれがエドワードを乗せ、この国から永遠に運び去る船だ。


 やがて聖騎士団の馬車が到着し、現れたエドワードは、ゆっくりと波止場に足を踏み出した。

 彼の身柄を移送する聖騎士たちは整然と並び、その鎧は鈍い光を放っている。規律正しく、一切の感情を顔に出さない彼らは、エドワードに何一つ言葉をかけることなく、淡々と船へ誘導していく。その背後には、それを見届けるために港で待っていたレナートとロランの姿がある。


 船が静かに岸壁を離れ始めた。ゆっくりと、しかし確実に、陸との間に距離が生まれていく。船を係留していた太いロープがするりと外された。


 その瞬間、エドワードは確かに、馬車の窓越しにいるセラフィーナの方へ視線を向けた。

 彼は小さく手を上げた。それはほんのわずかな仕草で、すぐにその手は下ろされたが、彼の瞳はただひたすらに、セラフィーナを見つめ続けていた。

 それが、彼からセラフィーナへの、最後の別れのあいさつだったのだろう。


 エドワードと過ごした日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

 穏やかで楽しかった時間。そして、真実を知った時の絶望。淡い初恋の思い出は、痛みを伴う記憶へと変わった。彼の存在は、セラフィーナの人生に暗い影を落とし、心を深く傷つけた。

 それでも、その全てが今の自分を形作っていることを、セラフィーナは知っていた。痛みも、後悔も、そしてその中で見いだした自分自身の強さも。この苦しみを経験したからこそ、自分はより強くなれたのだと、今はそう思えた。


 エドワードを乗せた船が沖へ向かっていくのを見届けたレナートとロランが、セラフィーナの待つ馬車へと戻ってきた。

 ロランは馬車に入ってセラフィーナの正面に腰を下ろすと、すぐにセラフィーナの顔をのぞき込んだ。


「セラフィーナ、大丈夫か? 無理にここにいる必要はなかったのに」


 いつもより更に優しく、彼女を気遣う気持ちが伝わってくる。セラフィーナはほほえんでうなずいた。


「お兄様、わたくしなら大丈夫です。ここにいて良かったと思います。これで本当に終わったのだと、そう思えました」


 セラフィーナの言葉に、ロランは安堵したようにうなずいた。

 そして、セラフィーナの隣に腰を下ろしていたレナートは、そっとセラフィーナの手に自分の手を重ねた。


「もう、何も心配いらない」


 レナートがささやくように言った。その声は、深く、そして揺るぎない決意に満ちている。彼の言葉の端々から、セラフィーナを守ろうとする強い意志が伝わってきた。

 セラフィーナは、レナートの目をまっすぐに見つめ返した。


「はい、レナート様」


 レナートは、重ねた手にわずかに力を込めた。


「きみが、この場所にいることを選んだのは、きみ自身の強さの証だと思う。過去と向き合い、それを乗り越えることは、簡単にできることじゃない。私はきみを尊敬する」


 セラフィーナは小さく目を見開く。尊敬――そんな風に認められたことが、とても嬉しかった。


「そして、これからどんなことがあっても、きみは一人じゃない」


 その言葉に同意するように、ロランが力強くうなずいた。

 レナートとロランが、心からセラフィーナを大切に思っている気持ちが痛いほど伝わってくる。二人が傍にいてくれるのだから、どんな困難も乗り越えられるような気がした。


「はい。ありがとうございます、レナート様。お兄様も」


 そうして、セラフィーナは清々しい気持ちで、二人に明るく笑って言った。


「帰りましょう。公爵様もお父様も――皆、きっと待っていますから」


 レナートとロランはセラフィーナの笑顔を見て、嬉しそうにほほえんだ。ようやく彼らの瞳にも、心からの安堵の色が浮かんでいた。


 馬車がゆっくりと動き出す。船は水平線の向こうへ消えようとしていた。もう、振り返ることはない。

 夜明けの空は、いつの間にか晴れ渡り、目の前には明るい景色が広がっていた。

第二章 完

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