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ことかの章 香りのないクラスメイト⑤

「ここが香草室?思ってたよりも狭くて、香草の種類も少ないんだね。」


 香草室は温度管理がしっかりされていたが、琴弧の予想とは異なる空間だったようで、面食らった表情を浮かべていた。


「ここには特別な香草、魂香草しかないんだ。魂香草には複数の種類があるんだけど、音無さんへのプレゼントはこれ。」


 晶は一鉢の香草を手に取って琴弧に見せた。


「これは言香草って言うんだ。ちょっと香りを確かめてみて。」


 香草を右から、左から、はたまた上から顔を近づけて確かめてみた琴弧は不思議な表情を浮かべた。


「・・・特に香りを感じないけど・・・それに・・・まだ蕾?」

「そう、音無さんと一緒。魂香草は全て蕾なんだ。だけど摘むと同時に花が咲く。その花が、摘んだ人の心にある『記憶』と『伝えることができなかった想い』を、香りとして浮かび上がらせる。香りを感じた僕の頭の中に音無さんの言葉が響いてくるって寸法なんだ。」

「晶くんが私の香りを?・・・何だか凄く恥ずかしいし怖い。」

「自分の香りを知られるって意識すると複雑な心境になるよね。でも僕も言香草の香りを感じることで、音無さんがひた隠しにしてきた想いに直に触れることができる。きっと音無さんが抱えている大きな問題はこれで解決できるほど簡単なものじゃないと思うけど、これからは一人じゃない。僕がついてる。もう抑え込む必要はないんだ。」

 

 晶の言葉に背中を押された様子の琴弧は藁にもすがる思いで言香草に手を伸ばした。手は震えていた。


「この蕾を摘むんだよね・・・。」

「うん。摘むってことは奪うことじゃない、本当はね・・・決断するってこと。」

「決断・・・する・・・。」


 琴弧はそう言った後、覚悟を決めた表情で言香草に手を伸ばし、大きく息を吸い込んで摘んだ。その瞬間、蕾は発光しながら急速に成長を遂げ花開いた。優しい香りが広がったと思ったが、鼻を鋭く刺す酷く尖った香りが一瞬でそれをかき消した。

 晶と琴弧は表情を歪ませた。


私は琴弧って言うんだ。よろしくね。


何なのアイツ、なんかムカつくし汚くね?


男に媚び売ってそうじゃん


離婚して転校してきたらしいよ


なぁ、お前って先生と付き合ってるんだろ


ねぇ、琴弧が学校でイジメられてるらしいの


ふぅん、まぁでも俺の子供じゃないしなぁ・・・


隠してたの?本当のお父さんじゃないってどういうこと・・・?


また女の匂い・・・もういい加減にしてよ


離婚するって本当なの?もう二回目なんだよ・・・


これから私はどうなるんだろう・・・友達もいない・・・いっそもう・・・


竹達晶くん・・・私と違ってみんなに好かれて羨ましい・・・


確かに竹達くんは不思議な魅力がある・・・


私もあんなふうになれたらな・・・私はもう戻れないのかな・・・


 過去に琴弧に投げつけられた罵詈雑言と、今の琴弧ではどうすることもできない家庭環境のしがらみの中で、否が応でも耳に入ってくる冷たい言葉が晶の脳内にも流れ込んできた。温度管理が完璧な香草室で、あまりのおぞましさに晶の背筋は凍り手がかじかんだ。

 二人を苦しませた尖った香りがなくなった頃、優しく甘い香りが広がり晶を包み込んだ。


 尖った香りを感じたのはほんの少しの時間だった。しかし二人にはとても長い時間に感じられたのだろう、琴弧はしゃがみこんで震え、晶も耐えきれずに床に膝をついていた。


 晶も琴弧も静かに泣いた。


「はい、カモミールティー。」

「・・・ありがとう。」


 あの後二人は息を整えるまで時間がかかり、ふらふらと立ち上がった晶は琴弧を抱きかかえて何とか自室に戻ってきた。晶はあまりのストレスにやつれた顔をしていた。


「まだちょっと心が落ち着かないね。でも音無さんは何だか雰囲気が変わった。潜香も漂ってる。ほんわかしてすごく優しい香り。」


 本人にもわからない潜香の詳細を言語化され照れた琴弧は、前髪をいじりながら顔を赤くして照れた。加えて晶と一緒に一歩踏み出せたことに満足感も得ていたようだ。


「今日音無さんが勇気を出して教えてくれた想いを僕は守り切るよ。以前の音無さんに戻れるように一緒に考えていこう。」


 琴弧は晶の前向きな言葉が嬉しいようだ。


「家に帰ることが憂鬱な時もあったけれど、少し希望が持てそう。一生このまま生きていかなきゃいけないと覚悟していたけど、私の心は既に限界だったんだ。自慢できない過去を知られることは抵抗があったけど、晶くんなら受け入れてくれると思ったんだよ。抱きかかえてくれてありがとう。あの時はまだ混乱してたけど、晶くんの温かさははっきりと伝わってきてたよ。」


 琴弧の素直な言葉に、晶は顔を紅潮させて照れ笑いした。


「もう晶くんの前では簡単に隠し事ができなくなっちゃった。実は眼鏡は伊達で、前は髪も結っていなかったの。」

「そうだったの?」

「うん、自分を抑え込むために外見から変えていったの。オシャレに興味がないわけじゃなかったんだけど、勇気が出なくて。」

「じゃあこれからオシャレしようよ。オシャレもして行きたいところに行って、高校生らしいことをいっぱいしよう。」

「うん、ありがとう。いっぱいありがとう。その時は晶くんも一緒ね。」


 琴弧は可愛い笑顔を見せた。まだ琴弧の根本的な問題を解決できたわけではない。だが解決に向かうための勇気を見せた琴弧と、自分の最大限の力で解決の糸口を見つけた晶は、つい最近出会ったとは思えない程距離が縮まっていた。


 琴弧と話して安らいだ晶が口を開いた。


「突然ですが香文学部部長の僕は決めました。部の活動として、これから出会う魂香草を使う人たちの香りと魂の言葉を記録していくことを。その名も・・・。」

「その名も・・・?」

香霊譜(こうれいふ)!」

「素敵な名前・・・!」


 琴弧は晶のセンスにパチパチと静かな拍手で称えた。


「僕は香りを読み解いて音無さんに伝える。音無さんは言葉で綴って欲しい。」

「わかりました。部長。」


 琴弧はかしこまって二つ返事をした。


「今日の香文学部の課外活動はこれにて終了です。音無さんから何かありますか。」

 

 引き続き部長モードの晶から本日の締めくくりで問いかけられた琴弧は、少し恥ずかしそうな表情を浮かべ、勇気を振り絞った様子で声を出した。


「その・・・音無って言いにくいでしょ。遠慮しないで琴弧って呼んで。」


 琴弧の言葉に虚を突かれた晶は、目を丸くしてぽかんと口を開けたまま、時が止まったかのように固まった。琴弧の潜香の中に、心臓の鼓動を無理矢理早くさせる甘酸っぱい香りを感じながら。

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