ことかの章 香りのないクラスメイト②
「カモミールティーをどうぞ。」
「ありがとう。」
琴弧は少し微笑みながら言った。
カモミールティーの味わいを楽しんだ後、カモミールのリラックス効果では緊張を抑えきれなかったのか、呂律が回らない様子で話し始めた。
「あ、あの、たっ、たけたっ、竹達くんは・・・」
「竹達って言いにくいよね、遠慮せずに晶って呼んで。」
友人がいない琴弧にとって、仲良くなるための課題とも言える名前呼びの壁を意図せず超えることができた。しかしながら名前を呼ぶことに慣れていない琴弧はためらいがちに続ける。
「あっ、・・・晶くんはどうして香文学部を設立したの?香文学ってあまり聞いたことがない分野だと思うんだけど。」
晶は少し軽く咳払いをして待ってましたと言わんばかりの得意げな表情をしながら、二ヶ月間温めてきた部員勧誘のスピーチを始めた。
「僕は香りも出会いの一つだと思ってる。だけど香りは主観的なもので、同じ香りでも音無さんと僕では感じ方が異なることだってある。僕は音無さんにカモミールティーだと言ってお茶を出したけれど、もし何も言わずにお茶を出していたとすれば、音無さんはカモミールティーと認識できたと思う?」
「正直に言って難しかったと思う。」
予想通りの返答が来て、晶は勢い付いた。
「そうだよね。そしてこれには、実はレモンバームとハチミツもブレンドしているんだ。つまり、香りに関する情報は嗅覚の経験と合わせて言語も伴っていないと認識が困難だということになる。だから香りを言葉で表現して伝えていく必要性を感じて香文学部にしたのさ。」
晶は自分のスピーチをちゃんと聞いているかを確認するために琴弧を一瞥して続けた。
「だけど一つ問題があって・・・僕は香りには敏感だけど、文字に起こすことが苦手なんだ。だから今は一緒に活動してくれる部員を探してる。特に音無さんのような日常的に本を読んでいる人を。」
最後に、琴弧に部員になって欲しいと目で訴えて勧誘のプログラムが終了した。 少しの沈黙の後に少し緊張が解けた様子の琴弧が自信なさげに口を開いた。
「私は本が好きってわけじゃない。どうしても一人でいる時間が多いから本に頼ってるだけ。本を開いていても文字が頭に入って来ない時もある。本を読むふりをして考え事をしている時もある。だから少し、ほんの少しでもそんな日常を変えたいと思ったの。でもどうしたら良いかわからなくて。」
「それで僕のところに相談しに来てくれたってわけだね。」
「初めて話すのに変なことを言うけど、晶くんには不思議な求心力を感じてる。それが変わるための手がかりになるんじゃないかと思って部室に来てみたんだ。」
「それは凄く嬉しい相談だよ。そしてちょうど今、解決策を思いついた。」
晶は新入部員獲得のために一肌脱ぐことにした
「本当?やっぱり晶くんって只者じゃないんだね。」
「僕の家に来てみない?」
話の流れから微塵も予想していなかった急な誘いに琴弧は一瞬固まった。
ずり落ちた眼鏡をクイと上げた後、軽蔑気味に続けた。
「・・・晶くんってさ、そうやって手当たり次第に女子を誘ってるんじゃない?・・・」
「酷い言い方!僕は人生で初めて女の子を誘ってるんだけどな・・・。音無さんだから誘ってるのに。」
「それはどういう・・・」
「意味か知りたいでしょ?じゃあ家に来てよ。きっと変わりたいと思い始めた音無さんの背中を押せる。」
何も言わずに晶を疑いの目で見ている琴弧に、言い訳をするように続けた。
「本当なんだってば!僕の家は代々続く町の薬局なの。あと少し『特別な香草』も栽培してる。」
「特別な香草?」
「正確には、知る人ぞ知る香草って表現が正しいかな。」
「その知る人ぞ知る香草にはどういうものがあるの?」
「今は秘密。実際に見た方が早いよ。」
「晶くんって思ってたより強引なんだね。」
「嫌いじゃないでしょ? ね?」
伏し目がちになっていた琴弧を覗き込んで晶は意地悪な返答をした。
「・・・そういう顔・・・しちゃうんだ。」
屈託のない笑顔の晶と目が合った琴弧は驚き、赤らめ顔で目を逸らしながら言った。何か非日常の気配をぼんやりと感じたかのように。