ことかの章 香りのないクラスメイト①
「俺と付き合ってください!お願いします!」
「だから僕は男なんだってば!」
晶が私立香澄高等学校に入学してから三ヶ月、この光景を目にするのは既に十二度目になる。晶は今日の放課後も男子生徒からの好意を受け取っていた。他の男子と比較して小柄で、女子に男子制服を着せたような端正な顔立ちと中性的な雰囲気を醸し出している晶と何とか関係を持ちたい男子で溢れかえっている。
今日の告白の舞台も校庭の隅に大きな存在感を放つクスノキの下だ。日陰に風がそよぐと、ふんわり漂うクスノキの香りがまるで意思があるかのように、想いを告げる者と告げられる者の二人を日常から切り離し、これからやってくる非日常の瞬間へと後押ししている。
このクスノキの下で幸せを願うと相手の心にそっと届くという伝承があり、香澄高校の生徒からは恋寄樹の名称で慕われている。
「ごめんね、その言葉は違う誰かにちゃんと届くべきものだと思うんだ。」
キュッとした胸の痛みを堪えながら、いつもの台詞で定期的に行われる放課後の儀式を終わらせると、晶は自分が所属している部室に戻って行く。
結局のところ、男子生徒が晶にどれくらいの好意を寄せていたかはわからなかったが、告白の際に勢い良く晶に頭を下げた瞬間に、うっすらと漂った制汗剤に込められていた人工的なフレグランスの正体だけは見当がついていた。
「この匂いは・・・桃だな」
苦しそうに走っている運動部を横目に恋寄樹を後にして校舎に入ったら、吹奏楽部が奏でている美しい旋律に引き寄せられるように視聴覚室を通り過ぎ、廊下の突き当たりを曲がった頃に見えてくる、人気のない校内の終点とも呼べる生物教材室が、晶しか所属していない『香文学部』の部室兼活動拠点である。
普段は誰一人寄り付かない秘密基地のような場所だが、どうやら今日は様子が違った。廊下を曲がった瞬間に、晶は部室の前に手持ち無沙汰で誰かを待っている様子の女子生徒を目で捉えたからだ。眼鏡をかけ、ロングヘアをねじり編みしていることが遠目からでもわかった。
香文学部の設立が認可されてから二ヶ月、初めての来訪者に晶の胸が高鳴った。いや、本当に自分への来訪者と決めつけてしまうには時期尚早とも思えたが、告白の類であれば普段は部室に来る前に話しかけられていたから、わざわざ部室に来るということは香文学部の活動に興味があるに違いないと都合よく結論付けた。
そんなことがごちゃごちゃと頭の中を駆け巡ってはいたが、雑念を踏み潰すかのように駆け足で女子生徒に近づいた。
「こんにちは!香文学部へようこそ!香りに興味があって来てくれたの?」
興奮気味の晶は、相手が先輩の可能性をなぜか度外視して早口で言った。
「う、うん。」
女子生徒は、迫りくるにんまりとした笑顔の晶にわずかな恐怖感を覚えながら、身体を少しのけぞらせて恥ずかしそうに小さく答えた。
「音無さん?同じクラスの音無琴弧さんだよね!ご近所さんが香草に興味を持ってくれて凄く嬉しいよ!立ち話もなんだから部室の中へどうぞ。」
晶は女子を誘うのは初めてとは思えないほど流暢に部室への誘い文句を言葉にできていた。