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【短編】ミステリ短編シリーズ

右手でナイフは握れない

作者: 烏川 ハル

   

「こうやって後ろから片手で、羽交(はが)()めみたいにして……」

 と言いながら、長髪の青年が左腕でその仕草をやってみせた。続いて右手も動かして、さらなる証言を口にする。

「……反対側の手で、握っていたナイフで、彼女の胸を刺したのです。果物の皮むき用みたいな、小ぶりのナイフに見えました」


「つまり背後から左腕を回して、その左腕だけで押さえつけて、凶器の刃物は右手で使っていたのですね?」

「はい、間違いありません。茶色っぽい服の男でした」

 確認の質問に対しても、青年は力強く頷いた。

 これは待望の目撃証言だったはずだが……。

 青年の前で二人の刑事が、互いの顔を見合わせる。どちらの顔にも、困惑の色が浮かんでいた。

   

――――――――――――

   

 殺されたのは、近くの大学に通う女子大生。学生向けワンルームマンションの一人暮らしで、犯行現場は彼女の自室だった。

 犯行時刻は午前10時頃。その日の彼女は、大学の授業が午後からなので、午前中は部屋で休んでいたらしい。

 見つけたのは、同じ階の住民の一人だ。10時20分頃、2限目の授業に向かおうと共用廊下を歩く途中、彼女の部屋のドアが開きっぱなしなのに気づく。「不用心だな」と思い、声をかけようと中を覗き込んだところ、倒れている彼女を発見。警察に通報……という次第だった。


 警官が現場に駆けつけると、被害者は仰向けに横たわっていた。カッと目を見開いて、胸からは大量に出血。死んでいるのが一目でわかる状態だった。

 ちょうど同じ頃、警察に新たな通報が入る。「恋人の部屋に行ったら、彼女が死んでいた」という内容だ。

 この通報者は被害者の交際相手であり、彼女が死んでいるのを見て気が動転。部屋から飛び出してしまったという。

 幸せな思い出もたくさんある部屋だが、そこに彼女の死体があるというだけで、一気に不快な場所に変わってしまった。そんな場所からは少しでも離れたい気持ちで、しばらく街をうろうろするうちに「まずは警察に連絡しないと」と冷静になり、通報してきた……というのが彼の話だった。


 警察のようなプロフェッショナルとは異なり、一般の市民は、人が殺されている現場なんて慣れていない。ましてや被害者が自分の恋人であれば、取り乱すのも無理はない。

 そう考えれば、彼の主張も一応は理解できる。しかし、もっと単純な解釈も成り立つだろう。つまり「彼が彼女を殺したのではないか? 計画的ではなく衝動的な犯行だったから咄嗟に逃げ出したが『これでは自分が疑われる』と悟り、第一発見者を装うことを考えたのでは?」という見方だ。

 そんなわけで、警察は彼を一番の容疑者として、捜査を進めていたのだが……。

   

――――――――――――

   

「カワさん、知ってますか? 『羽交(はが)()め』の『羽交い』とは『鳥の羽の左右が交わる』みたいな意味なんですよ。だから『片手で羽交(はが)()め』って言い方からして、もう矛盾してるんですね」

 まだ二十代の若い刑事が、相棒の刑事に蘊蓄(うんちく)を披露する。

 カワさんと呼ばれたベテラン刑事は、わずかに眉をしかめてみせた。

「重箱の隅を(つつ)くような物言いは()せ。あの証言のポイントは、そこではないだろう?」

「まあ、そうですね。言い方はともかく、身振りで手振りで補足してくれましたからね。言わんとするところは、きちんと伝わりましたよ」

 若手刑事の言葉に、ベテラン刑事が無言で頷く。

 あの場で「つまり背後から左腕を回して、その左腕だけで押さえつけて」と確認したのは彼自身であり、それに対して目撃者の青年は「はい、間違いありません」と断言したのだ。

 しかも……。


「あーあ。せっかく『茶色っぽい服』って証言も出てきたのになあ。それなのに……」

 若手刑事が口にした通り、そこも重要な点だった。

 被害者の恋人、つまり警察に疑われている男は事件の当日、ちょうどベージュ色のセーターを着ていたのだ。

 被害者の大学の友人たちに聞き込みをしたところ、二人の仲は最近、上手くいっていなかったらしい。別れ話が持ち上がっていたという噂もあり、ならば「別れ話が拗れた(すえ)の犯行」と考えることで、動機もスムーズに説明できる。ますます男の容疑は濃くなっていた。

 そんな時に出てきたのが、(くだん)の目撃証言だ。これぞ決定的な証拠になるかと思いきや……。


「……『右手で握ったナイフで刺した』という目撃証言! これじゃあ、あの容疑者はシロですよね」

 苦渋の表情を浮かべて、若手刑事が結論づける。

 顔には出さないけれど、ベテラン刑事も同じ気持ちだった。

 なにしろ、容疑者の男は左利き。小さい頃の病気で右手には麻痺があり、ナイフどころか鉛筆も掴めない……という医師のお墨付きなのだから。

   

――――――――――――

   

「カワさん、また『現場100回』ですか? 今さら来たって、もう何も出てきませんよ。鑑識係がきちんと仕事してますから……」

 という相棒の文句は聞き流しつつ、ベテラン刑事は部屋の真ん中に立ち、ぐるりと室内を見回していた。


 窓の横にピンク色のベッド、その近くに四角いちゃぶ台。若者(ふう)の言い方ならばローテーブルだろうか。勉強机の(たぐ)いは見当たらないので、このちゃぶ台ひとつで勉強も食事も済ませていたのだろう。

 左側の壁際には棚が二つ。高い方は本棚、低い方は小物や雑貨などを入れる用で、テレビも載せているからテレビ台を兼ねていたらしい。

 反対側には、シンプルなハンガーラックの洋服掛けと、楕円形の姿見。

 若い女性の一人暮らしとしては、典型的な家財道具ばかり。冷蔵庫や電子レンジなどは、キッチンスペースの方に置いてあるようだ。


「ふむ。あのカーテンは……」

 続いて彼は、窓の方に視線を向けながら、相棒に確認する。

「……事件当時も、あれくらい閉まっていたのだな?」

「はい。カワさんも知っての通り、被害者の彼女はそういう習慣だった、って話ですからね」

 被害者の友人たちに聞き込みをしたのは彼ら自身であり、その中で得られた情報の一つだった。

 被害者の女子大生は「生活を覗かれるのが嫌だから」という理由で、昼間でもカーテンは閉めておく(たち)だったという。

 とはいえ、ずっと日の光を室内に取り入れないのも不健康と感じたらしく、自分の挙動が外から見えない時、つまり外出の際はカーテンを開けていた。

 もちろん事件当時は在室のため、カーテンは閉ざされた状態。だから目撃証言もあまり期待できなかったのだが、厳密には完全に閉まっていたわけではなく、ほんの少しの隙間があった。

 ちょうど通りを挟んだ向かいの家に住む青年が、その隙間からこの部屋の中を見ており、事件の貴重な目撃者となったのだ。

   

――――――――――――

   

「もしかしたら、あの目撃証言の長髪男。あいつがいつもこの部屋の方を見てたから、被害者の彼女は『生活を覗かれて気持ち悪い』と感じて、カーテン閉める習慣になったのかもしれませんね」

「よし、ゴロー。ちょっとそこに仰向けで寝てみろ」

 若手刑事の軽口は無視して、ベテラン刑事がカーペットの一箇所を指し示す。

 近くに黒ずんだ()みが残っているが、たとえそれが無かったとしても、二人ともはっきり覚えていた。被害者が倒れていた場所だ。

「俺、被害者役ですか? 嫌だなあ」

「うむ。でもずっと横になっている必要はないぞ。そのまま真っすぐ起き上がってみてくれ」


「えっ? ああ、そういうことですか……」

 相棒の意図を理解して、若手刑事が立ち上がる。

 被害者が胸を刺された瞬間、部屋のどの位置に立っていたのか。それを改めて検討しているのだ。

 ベテラン刑事は、立ち上がった若手刑事の背後に回り込み、その首に左腕を回してみせた。

「犯人は、こうやって被害者を押さえつけたのだから……」

 小声で呟きながら、彼は右手を振りかぶる。しかし若手刑事の胸の前へは持っていかずに、ふと手を止めていた。

 代わりに首だけで振り向いて、改めて窓の方へと目をやる。

「……おかしいな? この位置からでは、カーテンの隙間を通しても見えないぞ。向かい側の家なんて」

「あれっ、本当だ。こっちからあっちが見えないってことは、あっちからも見えないはずですね。だったら……」

 ベテラン刑事の指摘で若手刑事が一瞬、不思議そうな顔をするが、すぐに深刻な表情に変わっていた。

「……被害者の彼女の立ち位置、ここじゃないのかな? あるいは『犯行の瞬間を見た』という証言自体、真っ赤な嘘だったのか!?」

   

――――――――――――

   

「いや、そうではないだろう。おそらく、あれだ」

 口元に(うっす)らと笑みを浮かべながら、ベテラン刑事が指し示す。

 その方向に存在するのは、壁際の姿見だった。

「ほら、ここから見ると窓のカーテンが映っているだろう? 隙間の先にある、通りの向こう側の家も」

「あっ……!」

 若手刑事も気づいたらしい。

 これ以上の説明は不要かとも思いつつ、ベテラン刑事は一応、最後まで言い切ることにした。

「つまり目撃者の青年が見た一部始終は、姿見に反射した姿だったわけだ。鏡に映れば左右は反転するし、その状態で『右手のナイフで刺した』と見えたのであれば、実際にナイフを握っていたのは左手になる」




(「右手でナイフは握れない」完)

   

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