囚われた三葉
重たい瞼を持ち上げると、薄暗い光が滲んで視界に広がる。三葉はゆっくりと瞬きをしてから、体を起こした。
(ここ……見覚えがある……羽立野家の布団部屋だわ)
灯りが消えているのでぼんやりとしか見えないが、たしかにここは羽立野家の一室だ。女中たちが布団をしまってあるこの部屋は、三葉が掃除を任されていたのでよく覚えている。
自分が羽立野家に連れ戻されたと理解した瞬間、胸が冷えた。
体を起こそうとするけれど、全身が鉛のように重く思うように動かない。手足は縛られていないのに、まるで見えない鎖で押さえつけられているようだった。
(そうだ、弘城さんを……)
困ったら彼の名を呼ぶよう言われていたことを思い出し、三葉が口を開く。しかし口からは音にならない息だけが漏れる。
「どうして……?」
『神排の結界だ』
「吹雪! 無事なのね」
安堵したものの、彼の声は耳ではなく三葉の頭へ直接響いてくる。それも雑音混じりで、酷く聞き取りにくい。
『すまない。力を押さえつけられている、これが精一杯だ』
吹雪の声は鈍く弱々しい。小さな狐の姿は帯の内でひどく冷たく感じられた。
絶望が胸をかすめたその時、不意に小さな声が暗がりの奥から聞こえた。
「……もしかして、三葉さん?」
はっとして顔を向けると、積み上げられた布団の影から細い体が四つ這いで現れた。
「ハルさんなのね?」
問いかけると行方知れずになっていたハルが、苦しげに息を整えながら近づいてくる。
「この部屋、おかしいの。体は重いし、襖も鉄みたいに頑丈で、びくともしないのよ」
ハルは恐怖に満ちた目で周囲を見回し声を潜めた。
『強力な結界が張られている。外に出ることは無理だ。……すまない……三葉……』
吹雪の言葉に三葉は唇を噛む。
「あの、もしかして三葉さんですか?」
震え混じりの声に、三葉ははっとしてそちらへと目を向ける。
暗がりでも分かる程に青ざめ、憔悴しきった少女が縋るように三葉を見つめていた。
「あなた、桃香のお友達の…?」
「若子と申します。それと……あんな化け物、友達なんかじゃありません」
その背後からすすり泣く声が聞こえる。
女学校の中庭で見かけた、桃香の取り巻きだった女学生たちが抱き合って震えていた。
「何があったか教えてくれる?」
若子と名乗った女学生は、桃香から神排に誘われたことを話す。
「お恥ずかしい話ですが、あの方が舶来品のブロマイドをくれるというので、お側にいたのですけど――」
プレゼントと引き換えに神排になるよう強く言われるようになり、断ると彩愛が家に来たと言う。若子は仕方なく彩愛を家に入れて、改めて神排になれないと告げたが、その後の記憶が無い。
「気が付いたらここにいたのです。最初は羽立野家の女中の方々も一緒でしたが、気づいたら減っていて。今朝方にはみないなくなってました」
声は震え、指先まで蒼白に染まっていた。
(……逃げる力も使えない私は、なんて無力なんだろう)
そこかしこで蹲って泣いているカフェの女給たち。嗚咽が漏れ、狭い部屋が絶望に押し潰されそうだ。
女店主は焦点の合わない眼差しで座り込みブツブツと何かを呟いている。生気が抜け落ち、魂だけ置き去りにされたような姿に鳥肌が立つ。
(桃香は何をしようとしているの?)
彼女が完全に神排信仰に移ったのは間違いない。しかしここまで強力な結界が張れるほど、桃香は術を使えただろうか?
(ともかく今はここから逃げて、弘城さんたちに羽立野家の異変を伝えないと)
どうにかして逃げる手段はないものかと、三葉は辺りを見回す。すると不意に、襖が開いた。
「三葉。彩愛様がお呼びだ」
抑揚の無い声で告げる男は、見覚えのある下男だ。
三葉は覚悟を決めて、重い体を無理矢理立たせると布団部屋から廊下へと出た。




