夜のカフェにて 3
「へ……?」
(演技……だよね?)
表情からは弘城が何を思ってそんな事を口にしたのか全く読めない。
「三葉さん」
微笑んだまま顔を寄せてくる弘城に、三葉は真っ赤になって狼狽える。
「あ、あの。お客様っ」
「そうだね、ひと目のある所じゃゆっくり話もできないから――」
「そうじゃなくて!」
声を潜めつつ慌てる三葉だったが、少し離れた場所からグラスの割れる音が響きそちらに視線を向けた。
「やめてください!」
「は? 折角買ってやろうって言ってんだから、大人しくしろ!」
酔っ払いに絡まれていたのはハルだった。
そして驚いたことに、ハルの腕を掴み怒鳴り散らしているのは兄の明興だ。
「スーツが濡れたじゃねえか! 体で弁償しろよ」
「それはお客様が手を滑らせて、グラスを倒したんじゃ……」
「黙れ! この店は女給の躾がなってねぇな!」
聞こえてくる会話と明興の態度からして、一方的な言いがかりを付けられているのは明白だ。
(ハルさん)
咄嗟に立ち上がろうとする三葉を弘城が制する。
「君が明興に見つかれば、羽立野家に連れ戻される。それだけは避けなくてはならない」
「でも」
「私が彼に声をかけるから、三葉さんは絡まれている彼女をフロアから連れ出して」
「分かりました」
***
「こいつを買うぞ!」
「やめてください」
「俺が遊んでやるんだから感謝しろよ。ったく、田舎くさい女だな。俺が直々に殴って躾けてやる」
非常に不愉快な言葉を吐き喚いている明興に、弘城は一呼吸置いてゆっくりと近づく。
「大声を出すのはやめたまえ。女給が怯えているじゃないか」
「誰だてめぇ……あっ!」
店内は薄暗いが、流石に明興も声をかけてきた相手が大神だと気が付いたようだ。軽率に名を出される前に、弘城は首を横に振ってみせる。
「こういう店で名前を出すのは無粋だよ」
「え、あ……」
「この店は紳士の社交場として売り出していると聞いている。君の行いは、乱暴すぎやしないか?」
「ですが……新人の教育は必要かと……」
口ごもる明興を無視して、弘城が話題を変える。
「そうだ、新しい事業を始めたところでね。是非羽立野家と提携の話をしたかったのだけれど、君の父上が良い顔をしなかっただろう? 直接君と話がしたいと考えていたところだったんだよ」
「えっ」
「しかし女給とのお遊びに忙しいなら、また別の日にしようか」
途端に明興はハルの手を離し、首をぶんぶんと横に振る。
「是非詳しい話をしましょう。早いほうがいい!」
蛇頭家との提携を解消してしまったことで、財界から距離を置かれ始めている羽立野家からすれば、大神の申し出は喉から手が出るほど欲しい。
「ただ君が独断で私と取り決めをしたと君のお父上が知ったら、横やりを入れてくるのではと懸念はあるのだが」
「問題ありません! 父は頭が固いのです。ここだけの話ですが、我が社は来月の会議で父を経営から外すことが決まっているのです」
「ほう」
揉み手をして明興が弘城の顔色を伺う。
(こうもあっさり乗ってくるとは。それに予想外の情報も手に入った)
「では早速、詳しい話をしましょう。ですが流石にこのような場所では――」
「良い料亭を知ってます。おい、車を呼べ!」
明興が近くの席で成り行きを見守っていた部下を叱責し、車を取りに行かせる。
「料亭には俺が直接連絡しますので、少々お待ちください。おい女将、電話はどこだ」
「店の事務室にございます。誰か、案内をお願い」
すぐさま女給の一人が明興を先導して、店の奥へと消えた。
「騒がせて申し訳なかったね」
なぜか不安そうに爪を噛んでいる女店主に、弘城は優しく声をかける。
明らかに彼女は怯えていた。周囲をきょろきょろと見回し、落ち着きがない。
「あの方は羽立野家のご長男ですわよね……」
「こちらの店は羽立野家のお嬢さんが投資していると聞いています。営業妨害をして申し訳なかったとお伝え願えますか?」
財布から金を出して握らせると、店主の手が震えていると気づく。
(この女は何をそんなに怯えている?)
大神家の当主だとバレないよう、弘城は特殊な護符を身につけ己の力を制し一般人を装っている。だが相手が神排か否かを見極める程度の力は使えるのだ。
(神排の気配はあるが、他の女給達のように呪いは欠けられていない)
理由は分からないが、それを暴いている時間も余裕もない。
「明日改めてお詫びに窺います」
「いえ……それより……」
「何か問題でも?」
「店の運営に関して、明興様には内密に願えますでしょうか? お嬢様が個人的に投資している物件ですので。ご家族にもお伝えしていないそうなんです」
「つまりごく個人的な投資物件という訳ですね」
(家族に内緒で、お小遣い稼ぎというわけか。それにしては、随分と危険なものに手を出しているな)
違法の女郎屋など国から睨まれるのは当然であるし、繁華街を仕切る裏社会の連中も黙ってはいない。
(取り込まれるか、潰されてもおかしくないが。経営を続けられているのは、店を覆う呪いのお陰か)
「分かりました。ご安心くださいマダム」
更に金を渡して、店主に握らせる。
「私としても、こういった遊びが社交会に知られるのは不味くてね。お互いに、今夜は何もなかった。詮索はナシで頼みますよ」
「ええ勿論でございます」
「それとあの二人を今夜は店に出さないでもらえますか? 私たちの話を他の客にされると支障が出るので」
「かしこまりました」
二つ返事で女店主は了承し、席で身を寄せ合っているハルと三葉に声をかける。
「ハル、三葉。今日はもう上がりな」
一瞬、三葉と視線が合わさる。真っ直ぐな眼差しを見返せば、三葉が大丈夫だというようにこくりと頷く。
(三葉さんは強いな……やはりあの人の血を引いているだけある)
本音を言えば、離れたくはない。
彼女はまだ知らないが、弘城にとって命の恩人だ。何に変えても守るべき存在の三葉を、呪いのただ中に置いて行かざる得ない不甲斐なさに唇を噛む。
「車の準備ができました」
「……すまないね」
後ろ髪を引かれる思いで、弘城は明興に促されて店を後にする。
***
ハルを連れて三葉は二階へと上がった。
「ハルさん大丈夫?」
「私は平気よ。酔っ払いに絡まれるのなんて、もう慣れたしね」
笑ってるけどハルの体は震えてる。三葉はハルを座らせると、その体をぎゅっと抱きしめた。
「三葉?」
「恐いときはね、こうしてぎゅってすると落ちつくの。お母さんが教えてくれたんだ」
「ありがと、三葉」
寄り添う二人の少女を窓から差し込む月明かりが照らしていた。




