桃香
すると気まずい雰囲気を吹き飛ばすように、歌子が声を上げた。
「三葉さんも良いお相手が決まったってご存じ?」
「え……歌子さん?」
驚いたのは三葉だ。
あれだけ弘城に対して敵意を露わにしていた歌子が、どうしてその話を持ち出したのか分からない。
「そういえば、噂になってますわよね。お兄様の騒ぎに巻き込まれた三葉さんを助けてくださったんでしょう?」
「まあ! どんな殿方なの?」
年頃の女子ばかりなので、こういった話題は大好きなのだ。
「えっと……」
どう答えればよいのか分からず、三葉は助けを求めるように歌子を見る。
「皆様、そんなに三葉さんを困らせたら駄目ですわよ。正式な発表があるまでは秘密なんですって」
「歌子さんは知ってらっしゃるの?」
「当然よ! でも極秘情報なので、教えられませんわ」
「ずるいわ」
「歌子さんでは、意地悪ね」
ころころと鈴のように笑いながら、級友達が歌子を非難する。
勿論、本気で怒っている訳ではない。
家という鳥かごに閉じ込められている少女達にとって、誰が婚約しただとか、退学して結婚するなどの噂話は何より刺激的な話題だ。
歌子のような情報通でない限り、お披露目の前に知ることなどできはしない。それどころか、いつの間にか級友が退学して、どこの誰とも知れない殿方に嫁いでしまい音信不通になってしまうなんてこともままあるらしい。
だが歌子が入学してからは、そんな突然の別れがなくなったので彼女の情報は学年を超えて重宝されていた。
「歌子さん。あれは契約で、まだ決まった訳じゃ……」
こそりと耳打ちするが、歌子は平然としている。
「そういう事にしておく作戦ですわ。皆様、羽立野家の内情を知りたがっているのですよ。でも三葉さんが婚約者の家に入ったと噂が広まれば、そちらの方に気が向くでしょう?」
なるほど、と三葉は頷く。
「大神家の名前は出さなくても良いんです。皆さん、あれこれ想像するのが楽しいのですからね。羽立野家の話題を逸らすには、これが最善ですわ」
にこりと微笑む歌子は、堂々としたものだ。
「おはようございます。さあ皆さん、お喋りは終わりですよ。席について、授業の準備をなさい」
黒いワンピース姿の英語教師が入ってくると、皆は急いで席に着く。
弘城との婚約話も羽立野家の事も有耶無耶になったので、三葉はひとまずほっとした。
***
廊下で桃香を見かけたのは、昼休みになってからだった。
ちらと視線を向けられたけれど、興味なさそうに逸らされる。
学校では桃香は一学年下なので、直接関わる事はない。
周囲は三葉が妾の子で、妹の桃香が正妻の子だと知っている。
父親が妾を持つ家は多いから、異母きょうだいのいる生徒は少なくない。しかし同じ学校に通わせるとなれば話は別だ。
妾腹の子を小学校より上の学校へ通わせること自体、正妻が頷くことはまずない。学費もかかるから、妾腹の子は最低限の読み書きを覚えた段階で奉公に出されたり、早い縁組みをされて遠方に追いやられてしまう。
だから三葉が女学校にまで通っているお陰で、羽立野家は神排思想に嵌まっても「懐の広い親だ」と褒めそやされて、これまで余り問題にはなっていなかった。
つまり家族は皆、外面がとてもよいのだ。
家で三葉が女中と同じように扱われていると知っていたのは、歌子くらいだろう。
(桃香は私が江奈様の紹介で、大神家にいることを知っているのかしら? ……本当の姉妹じゃない事も……)
妹と血が繋がっていないと分かって、納得している自分に気付く。
考えてみれば、桃香と三葉の容姿は正反対と言っていい。桃香は母譲りの茶色い髪に、大きな瞳。明るく社交的で、幼い頃から母親と共に夜会に出かけていた。




