轢かれて死んで来世は楽しむぞ!と思ったらただの狐だった。 ep.7
一筋の光が見えた気がした。
けれど、調子に乗って二発目を放とうとした瞬間、脳の奥に針で刺されたような鋭い倦怠感が走る。
(……あ、ダメだ。一発が軽くても、調子に乗ればすぐガス欠になる。この環境、やっぱり燃費管理が鬼門だわ)
私は浮ついた心を一度リセットした。
幸い、当面の食料はあるし、外敵の気配もない。なら、やることは一つ。「反復練習」。徹底した基礎の構築だ。
まずは、先ほど成功した「真空の刃」を、百発百中で、かつ最小限のコストで放てるようにすることから始めた。
「……ふぅーっ」
冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、意識を内側へ向ける。
昨日の「氷の槍」が、タンクに溜まった水を一気にぶちまけるような大雑把な力だったとするなら、この「風の刃」は、狙った血管だけを縫い合わせるような精密作業だ。
(剣道だって、ただ竹刀を振り回すだけじゃ相手を打てない。インパクトの瞬間に指先をキュッと締める「手の内」があって初めて、重くて速い一撃になるんだから……!)
前世、道場の冷たい床の上で叩き込まれた基本を、私は魔力の操作に置き換えていく。
魔力を大きく練るのではなく、体内の奥底から「糸」を紡ぎ出すように、細く、鋭く。それを口元から吐き出す空気の流れに乗せ、指向性を持たせる。
「……っ、シュッ!」
目標は、三メートル先にある枯れ木の小枝。
一回目は、風が四散して周囲の雪をバサリと散らしただけ。失敗。
二回目は、威力が強すぎて、枝を折るどころか木全体を揺らしてしまった。魔力の無駄遣いだ。
『……違う。もっと薄く。紙一枚の隙間を通り抜けるような鋭さを……』
何度も、何度も、鼻血が出そうなほど集中力を研ぎ澄ませる。
ただ風を吹かせるのではない。空気を「層」として捉え、それを魔力でプレスして、一瞬だけ**「目に見えないほど薄い鋼の刃」**に変質させるイメージ。
三回目、四回目……十回目。
感覚が、次第に研ぎ澄まされていく。
(今だ……。出すんじゃなくて、空気を「切る」!)
――パキリ。
乾いた音が響いた。
狙った小枝の、まさに一点だけが、カミソリで切り落とされたかのように滑らかな断面を見せて雪の上に落ちる。
『……よしっ! 今の、今の感覚!』
一発撃つごとに、私は自分の内側の残量を確認する。
昨日のお風呂の栓を抜いたようなドバドバ感はない。一滴ずつ正確にスポイトで垂らすような、心地よい制御感だ。
けれど、喜びも束の間。
練習を始めて一時間もすると、お腹が猛烈に鳴り、足の先から冷えが回ってきた。
『……はぁ、はぁ……。一発が軽いとはいえ、集中力の消耗がエグい。それに、やっぱりここ、魔力の回復が追いつかないんだ』
この森の魔力濃度は、本当にスカスカだ。
一発撃つたびに、体内のタンクが空になっていくのがわかる。その補充が、まるで点滴のような遅さで行われる。この環境で戦うということは、常に「残り一目盛りのバッテリー」で高性能スマホを動かし続けるようなものだ。
『……めげない。オタクの得意技は、レベル上げと周回プレイなんだから!』
私は震える足でベリーの木まで歩き、栄養と魔力を補給しては、再び立ち上がった。
一発の重さよりも、百発の正確さを。私は白い雪原に、見えない刃でいくつもの傷跡を刻み込む。
空が深い群青色に染まり、森の陰影が濃くなっていく。
私は一日の締めくくりとして、もはや「命の恩人」ならぬ「命の恩木」と化しているベリーの低木へと向かった。
『……ふぅ、お疲れさま、私』
真っ赤な実をいくつか口に放り込む。
噛みしめるたびに溢れる甘酸っぱい果汁が、空腹で悲鳴を上げていた胃袋を優しくなだめていく。魔力がほんの少しだけ、じわりと細胞の隅々にまで染み渡る感覚。今の私にとって、このベリーの糖分はどんなエナジードリンクよりも効く。
食事を済ませると、私は重い足取りで自分の「拠点」である樹洞へと戻った。
『……っ、冷た……。やっぱり夜の寒さはレベルが違うね……』
日中の練習で熱を持っていたはずの体も、動くのをやめれば一気に冷気に侵食されていく。
雪を漕ぐ四肢の感覚が、徐々に麻痺していくのがわかった。
樹洞の中に滑り込み、一番奥の枯れ葉が溜まった場所に体を丸める。
ふかふかの尻尾を体に巻き付け、鼻先を自分の白い毛並みに埋める。自分の吐息が少しだけ鼻腔を温める。
『…』
外では、時折「ピキピキ」と木が凍てつく音や、風が雪をさらっていく音だけが響いている。
前世では、寝る直前までスマホの画面を見つめ、誰かの投稿や動画に一喜一憂していた。けれど今の私にあるのは、自分の心臓の鼓動と、使い古した体のだるさだけだ。
『魔法……「風の刃」。明日はもっと、イメージを研ぎ澄まそう。もっと鋭く、もっと速く……』
意識の端っこで、今日練習したあの感覚がリフレインする。
空気を切り裂く感触。一点を貫く集中。
オタクの妄想だったはずの「魔法」が、自分の血肉になりつつあるという確信。
『……おやすみ、私。明日も……生き残るよ』
睡魔が、暴力的なまでの重さで私を泥のような眠りへと引きずり込んでいく。
不安も、寂しさも、空腹も。
すべては深い雪の下に埋もれるようにして消えていき、私は意識を闇に手放した。




