(a-006,007)
よろしくおねがいします。
「落ち着いたかしら」
「…」医療用麻薬じゃないけれど、副作用とかないのだろうか。
「…対話資格が取れてたらお話しできるのだけれど」
「…」声さんの方が余程資格所有者っぽい気がする。あのひとも周期中って話だったし、正気に戻ったら誠実なひとなんだろうか。
「技能値をクリアしてたらよかったのだけれど。会話が成立したり、こころのなかを共有し過ぎちゃうと両方がひとじゃない何かになっちゃうか、こころが壊れちゃうから」
「…」それがさっきの、共時侵入か。
拡散に周期に共時的。でもって言葉の力は恐ろしいと来れば、差し詰め匿名型コミュニティが生態として組み込まれているのだろうか。暴力に訴えずに大人しくしていたのは正解だったのかも知れない。精神や論理(倫理?)の武力になると物理的手段しかない私の性能ではどうにも出来ない。
「それで、その。別世界のひとと過ごすのも初めてで。だから、あー、何しよっか。確か飲食物は一緒だからいいんだったよね。…紅茶、好き?」
「…」
「…飲む?」
「…」
「有難う。用意するから待ってて」
「…」優しくしてくれるのに何も教えてくれないから、違うと解っていても無知を強要されている気がしてフラストレーションが溜まっていく。
悪い癖、その二。自己基準に矢鱈と嫉妬をしてしまう。
求められている様で求められていない妄想。一人が怖いのを誤魔化したくて八つ当たりをしてしまっている。
平等に接して欲しい。でもどうにかするだけの要素があったとしても信じてくれないだろうと決め付けてしまっているから、そんな資格は無いとも解っている。思い通りになって欲しいという支配欲だった。
誰も彼もから嫌われてる仮定を信仰する自分に一番驚いているのは他ならぬ僕だった。一体いつからこんなに疑い深い性格に変わってしまったのだろう。言葉が交わせないだけで短期間に。こんなにも寂しくなるものなのか。
こんな、嫉妬する場面じゃないのに。
「怖い、な」思考の傾向が掴めなくなるなか。キッチンから戻って盆にのせたティーカップを机に乗せて椅子を引いた声さんに目を向けた時。
ばん。と玄関の扉が鳴った。それは連続していき、重なり、軋む音になる。そして金属の割れる音と共に廊下に流れ込んできた。それはファンシーなアニメ調にデフォルメされた、少女の縫い包みの群体だった。
「え」
慌てて開けっ放しにしていた廊下とリビングを隔てる扉を閉める彼女の動揺を無視して、装飾として取り付けられている曇りガラスでも判別できる位に群体はぎゅうぎゅうと体を押し付けて這入ろうとしていた。火花が散る音と熱したフライパンに水を注いだような音がして、遂には壊れてしまう。
身体が裂けたり焦げたりしつつも、依然こちらに向けて這って来る。風がこの子たちの針の様に鮮烈な匂いを運ぶ。
「あ…」手を広げてくれたように。
机が揺れてティーカップと受け皿のぶつかる音に我に返る。群体は声さんの方にも群がっており、腰を抜かし後退る彼女に攀じ登ろうとしているが上手くいっていないようだ。分量の比率が上回っているのに怯えているのか、口を手で押さえている。その目は迷いに開かれている。
「この子の前なの、だから。きゃっ」
群体の体重に支えにしていた左手が耐え切れずに崩れ、倒される。自然、その覆いも解かれてしまう。垂れる一筋に何故真っ先に口を守ったかの答えに辿り着く。
「……っ」
「待って、後ろ向いてて」
「……」そのお願いに従ったはいいけれど、ハンバーグ捏ねたりする音とかしたり呻いてたり何か食器とか割れてそうだしで気になってしょうがない。
「いいよ、ごめんね」
「あ」
「あー、さっきの騒動で置いてたソースとか被っちゃってさ」
「…」
「ちょっとラグィハさんたち、さっきのお姉さんたち呼んでくる。鑑定だけだったらもう終わってるだろうから、後は学校でするだろうし」
「…」
数分後。
「着替えたのか?」
「その、えーっと。あの子の件で」
「さっきの騒動は多分そっちの事情だとは思うが、目の前でやったのか…?」
「まさか。流石にリビングで待っててもらいました。それは…洋室の方で」
「そうか。……済まない」
「ラグィハさんは悪くありません、あの子が周期中に起きるのは初めてですもの」
「やっぱし急いどこ?学校に行けば座標謄本くらいはあるでしょ」
「それはそうだが」
「…あ、一緒に行く?」
「私たち、高校、謹慎処分」
「え」この二人、高校生だったのか。身長差とか顔つきで全然わからなかった。約8歳の少年の目線である所為もあるけれど、この世界のひとの成長度数はかなり早い段階で進むのだろうか。
「授業でなきゃいいんでしょ?」
「今回は断らせてくれ。お前を止める為に勝手に首突っ込んで学校にも迷惑かけた。主犯なのに先生方もよく謹慎で済ませてくれたよ。…それにこっちもこっちで調べたい案件がある」
「そっかぁ」
「あ、私が行きましょうか?」
「流石に申し訳ないなぁ」
「それに公になった際どちら側にも転がれる人物がいた方がいい。最悪この町ごと消されるかも知れないともなれば、猶更だ」
「では、お気をつけて」
「うぃ」
2
翌日、朝方。
「じゃあ、御留守番よろしく」
「ん」
「ごはんは冷蔵庫、電子レンジでね。火は危ないから焜炉とか使わないように。家事は私がやるから弄らないようにね。テレビのリモコンはそこ。本もあるから読んでいいよ。あ、好みじゃないかもだから気が向いたらで。それと」
「…」
「おそとには出ない事。いい?」
「…、ん」
「じゃ、いってきます」
そうしてわたしは彼を自宅に残し、拡散抑制用の処置を行う為に高校に向かう。
この世界における学校は機械を使ってひとに知識を詰め込み、早い内から世界に貢献できるよう訓練を受けさせている場所だ。脳の仕組みも変わってきてはいるが、まだ容量には限界があるので小中高と段階を経させているらしい。なので高校にもなると保健課の連中に頼めばあっさりと適正な薬品を貰えたりする。
鞄に入れておいた申請書と口腔上皮を入れた袋、印鑑等貴重品類を確認して一度息を吐き、戸に凭れ掛かる。
やっぱり心配し過ぎなのかな…。
彼の前でも外のひとたちみたいに振舞わなくてもいいのかな。
…傷つけてる。絶対させてる。帰ったら謝ろう。やっぱりそうしよう。
「鍵、鍵」自転車の開錠を済ませて漕ぎ出す。
枯れたようになった木々が冬の残り香を感じさせ、風の匂いも薄くなった生暖かいものに変わっている。誰にでもあるけれど、この時期は良く不安定な精神になりやすい。
数ヶ月前の午後、街中、買い物の帰り、転生者管理センター支部。
一人暮らしの者には唐突に、しかし必然に発生すると仄聞するホームシックを発病したのか、寂しくて目を止めてしまっていた。あの時の感情が忘れられないのがせめてもの戒めだと整理している。
直近で何処かから保護されたのか痩せていて、けれど整った背格好と目鼻立ち。種類は獣類で年は十歳前後とあった。
鏡みたいに黒い髪にふわふわな耳と尻尾、小さな口から時折覗く犬歯、安らいだ表情、すべてが可愛らしかった。
家族と呼べるひとたちの顔や名前、住所といった情報としての身内の記憶がないのに降る雨と硝子越しに見えた表情は、母親に頭を撫ぜられた時の様な辻褄の合わない情動を誘発させていた。
こころの内を糖衣で包んだものだと浮き彫りにさせてもいた。
わたしにとって思い出の開始点とは十数年前に今住んでいる所から離れた浜辺で打ち上げられていた、海水が左半分をぼやけさせる気温の低いあの九月下旬からの累積と、そこから始まった日々と人々のおかげでアルバイト先の骨董品店で友人もつくれたりするような大多数的に一般とされる生活を送れている中で摩耗していく信念が総て台無しにして帳尻をとろうとしている、安定の欠片もない日常だった。
そこに組み込まれていってる喜びが罪悪感として横たわり、居場所の見分けがつかず終わりへ向かう恐怖から逃げたくて、その幸福を実感する怠惰が得たくて、檻の役割もしている白い揺籠に入って眠らされていた幼子に選択の余地から来る優位性を得てしまい惹かれたのも確かで。
いのちの責任を負える能力が無いのだと自覚もしていたから結局はすべてを曝け出してもいいひとが欲しかったという自己愛でしかなく、嫌って怒ってくれるような幸せが欲しいと羨ましがってしまっていた気持ちですらも損益な考えにしてしまっていた。
そんな感情から助けて欲しいと、世界を殺してしまう様な残酷な言葉を何度も口にしてしまいそうだった。
離れて欲しくないから。例え所有としても関係を繋いでいるのだと自覚し続けていたいから首輪をつけた。記憶みたいに何時か消えてしまう気がして名前をつけようとした。
一糸も纏わせなかったのは服越しだとこの世界に解離している存在だという実感が薄まるから。どこまでも自分しか見ていなくて、閉塞した蜜を啜る事に邁進する獣に似たものがわたしだった。
そして彼を汚して、目を閉じて陶酔している。
彼の目を見てとても幸せだった。殺してくれる目だったから。
それがとてもうれしかったんだ。
読んでいただきありがとうございます。