(a-004,005)
よろしくおねがいします。
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「…」喉が渇いた。
あの後に抱きかかえられながらテレビを観て過ごしている内に、何時の間にか眠っていたらしい。適温だから辛くはないけれど、後頭部に圧迫感がある。
動けるかな。
「ぐ」手足とかは動かせるけれど腕とかの大雑把な機能が制限されていて、でも微かに音が聞こえる。
規則性がある、落ち着くいきものの心臓。
「おはよ」
「んぎゅ」言葉と共に旋毛の下の方に息がかかる。私を抱き枕に眠っていたらしい。だとすると、布団に運んでくれたのだろうか。迷惑をかけて申し訳ない。
ぼやけたクローゼットが日光に調整されていく。数分すると不明瞭な声が再び聞こえた。
「いえーい」
「くひ。ん、む」立場上仕方ないにしても距離感に慣れない。
病状的に怖くなくなって(しまって)きている、恐れを忘れさせられている気がする。もう帰れないであろう世界を思い出す憂いを励まそうとしてくれる自意識過剰な妄想をして納得させ、不安から目を反らす。
…。…。
「ぎゅーさせてー、おはよーのぎゅうーっ。温もりと実感ー」
「ん、むうむ、んー」こちらの中身の恋愛対象は男性なので動揺はしないけれど(身体が今小さいのもあるだろうけれど)、このひと胸おっきいから後ろからハグされてても普通に息できないから困る…。それに同じだったから気にしてないけどシャツを着用していても眠る時は上下を揃えてないひとだったから、沈み込んでるみたいになってる。
「ふへへへ、にがさんぞー」
「ん、んー、んっ……」また身体に引っ張られる。やば、頭火照ってきて。ふわふわ…。待っ、苦し、酸欠…。
「おとなしくなった。ふふふ。…あっそうだ、お隣さん。ご挨拶行かないと。寒くなってきたからシャツ着てシャツ着て」
「え」もっと準備とか、挨拶ってそんな軽いノリでよかったっけ。
「新しい家族ってちゃんと伝えないと。拡散出来てるけど、周期外だったら危ない子もいるからね」
「?」
「百聞は一見に如かずだよ、ほらほら」
「わ、ひゃっ」突飛な行動の割に身嗜みは一般以上に気を使うちぐはぐさが読めず怖くなってきた。早朝の街並みで建造物全ての窓から誰かの視線を感じた時みたいで。
「寝癖直さして…、よし。行こ」
前向きに抱かれてオートロック式の扉を通り、右隣の部屋に向かう。
マンションの敷地内でも外出は外出。しかも命をさらっと奪われるような世界であるのならば、ひとの姿はどのように変化していてどれ程の脅威となり得るのか自信が無くなる。
…あれ?
「こんにちはぁ、あいさつに来たよ」
「おい、外に出るなと」
そう叱るお隣さんの額の中央には白い角が生えていた。5~6cmで螺旋状、根元が肉と一体化している。対照的な濃い紺色の髪のフロントは左目を隠している。他はツインテールにまとめられており、2mを超える身長だったので屈みつつ部屋から出てきていた。
「ほら、覚えて覚えて。拡散深度なんてああいう日になったら発想すら浮かばないから」
「あ、わ……」ずい、と胸元に押し付けられたので危険性のある懐に文字通り入る形になり慌てる。あと知らない単語を使い過ぎないでほしい。
「ごめんよ、角とか鋭利だから怖いよな。…ん?怖がっては、いないのか」
「かわいいでしょ」
「んぐ」脇痛い…。
「って、この子外の人間じゃないか」
「うへへ」
「言語野は?」
「喋れる。でも、危ないでしょ」
「本当に共生しようとしてるのか…。今度から周期中は私が預かった方がいいんじゃないか?」
「それは、あ。貴女の方が抑えやすいからいいのか」
「先々月がそうだったのもある」
「なんか周りのひとが一杯気持ちよくなるだけじゃない」
「都市機能が麻痺したんだよ」
「うぃ」
「そろそろ離してやれ、呼吸器も私たちと同じだろう。もう触れて覚えたから」
「あ、ごめん」
「っは、あ、っあ」家帰りたい。こわい。
「そんじゃあ、まったねぇ」
「待て」
「んあ」
「同行する。何するかわからんし真向いの住人は拘束中だ、忘れてるだろ」
「そうだっけ」
「君もだけれど近隣住民とその子に対する配慮だ。仮にも保護者なんだから」
「ツンデレ?」
「…それでいい。監視して、迎撃するのを止めるだけ」
「素直じゃないにゃぁ。ねぇ?」
「おぁ」
左隣。角ツインテールのお姉さんに抱っこ権が譲渡され、視点が高くなる。ふわふわの服に包まれて、お布団の中みたいで眠たくなる。あったかくて蜜柑とか冬の夜風みたいにいい匂い。
「にゅむ」ほっぺた、押さないで。
「我慢して。終わったらご褒美あげるから」
「お。おー」よしよしされた、うれしい。
「なあ、この子齢は廿を過ぎているようだが幼過ぎは……。君か」
「そーかも。でもおなか空いてないから正気正気ぃ。インターフォンどーん」
「こら。……ああ、角が無けりゃあ。まったく」
「すみません、御在宅でしょうか。203号室の者です。新規居住者の件でご挨拶に参りました」
「………今年は早いな」
どたどた慌てる音がして、開く扉からなだれ込む様にそのひとは現れた。
毛先に向けて黒く染まっていく橙色の諧調が特徴的な髪を、前下がりのボブ・ヘアにまとめている。楝色の虹彩が細く斜めがかった目の隙間で光っていた。
「すみません洗濯取り込んで、て」
「済まない…」
「こんにちわぁ」
「自宅待機命令、あったんじゃぁ」
「直前に購入してきたらしい。二年前の共時侵入を憂慮したんだろう。気休めかも知れないけれど、いざとなったら制圧するから安心してほしい」
「すごい無茶」
「自覚してる」
「大変ですね…。お疲れ様です」
「察してくれて助かる」
「承知しました。えっと、本人を除く三名以上の認識ですよね」
「頼む」
「おねがーい」
「はい…。あ、一寸ごめんね」
「んっ」頬に指が触れる。卵のお菓子を夕方に食べた時とか、清純に正しい理なのに平和な暗闇に落ちてく際みたいに、どきどきするいい匂い。
あれ、このひとの後ろ。光った?
さっきもだった。でも頭がぼうっとしてまとまらない。
「あの、いいですか」
「なぁに?」
「附代市同時攪拌を水準に想定したって、そんなブラックボックス何処にいたんですか?」
「病院の通り沿いの商店街の辺りの施設。あそこ里親探しもやってたでしょ?」
「おま…、は?」
「んっ」ぎゅー、強い。どうしたの、怖いのあったのかな。
「精度の問題か測定器の結果がエラー表示になるだけの何かがあるのか、でしょうか」
「本来だったら前者なんだろうが、こいつが選んだんだったら…」
「再調査の可否」
「だよなぁ…」
「それは。やっちゃだめかも」
「何で?」
「それは、ん?…あれ、なんでだっけ」
「おいおい…」
「そうだ。部屋のホワイトボードに私の字で秘匿しといて、って。書いてた。ほら、いつも予定表書いてる。あれ」
「視せればって魂胆か。鑑定するのが苦手だからって人使いの荒いやつ。そんな場合じゃないから今は不問にするが…」
「ありがとございます」
「じゃあ、這入れないから現物持ってきてくれ」
「りょ」
「頼む。じゃあ、声」
「はい」
「五分でいい、この子を預かってもらえないか」
「何、あ。わかりました」
「済まない。頼める知り合いが君しかいなくて」
「いいですけれど、でも釘はちゃんと刺して下さい。あと気を付けて」
「…わかってる」
「それじゃ、行こっか」
「あっ」知らない人怖い、こわい。
「ごめんね。大事なお話しなきゃなの」
「……ん」そして、そのまま声という名前であるらしい彼女の部屋に向かった。最中に錠菓の様なものを食べさせられたお陰で朦朧としていた意識は元に戻っていた。
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