(a-001~003)
載せていないというトンデモうっかりをしてしまっていたので、こちらにも投稿させていただきます。
よろしくおねがいします。
「私が今日から君のご主人だよ。よろしく」
記憶が消えている。
正確には自分に関する記憶の約9割が消失している。
一般住居内の寝室で現在寝かされている事象と経緯(窓の風景や室内の家具の様式から現代的な文明であると推定される)。そして左で横になりながら嬉しそうに話している同じく推定二十代の女性との関係。そもそも、この世界の価値基準は僕のそれとどう差異があるのか。
生前世界の基本情報と数刻前に殺されて某かの存在に人外の要素を付与された所までは整理がついた。でもそれ以外の何もかもが把握できない。
「そんなに怯えなくても喰べないよ…?」
「…」
「あ。でも、お外行きたかったりしたら言ってね。私は違うけれど、この家から1人で出たりしたら多分誰かに喰べられて殺されちゃうから。お腹空いてなければいいけれど、わかんないじゃん」
「……。主人?」
その質問に彼女は当惑し、口元に人差し指を添えながら首を傾げて言う。
「言葉通りの意味だよ?君は、私と一緒に暮らすの」
「何で」
「何で…。それは、保護されてたからだけれど」
「は?」
「えっと……あ、捕まっちゃったタイプの子。なのかな?よくあるって聞いてはいるけど」
そういう設定として話しかけているだけの誘拐犯なのだとすれば幾許かは腑に落ちるけれど妄想の域を脱せないし、揚げ足を取っている気がする。
それに性格上被害者ぶってしまう自信しかないから下手な発言も出来ない。今だって偏見が過ぎるにしても、虐待を筆頭とした暴力や最低限度の文化的生活の剥奪をされてしまうのであれば穏便な方向転換をするべきか反応に困ると考えているし、知らない声が聞こえた警戒で距離を取ったので、諦観すらしていた。
着せられていない服の所在を窺おうともしたけれど先刻の発言から諦めた。
下着姿に抵抗がない訳じゃないけれど当たり障りのないテンプレートに沿ってみるしかなかったから、フィクションの人々の精神力を所望したくなった。肉体に共通部位が多くある以上デリケートな箇所を固定・保護してくれているだけいいと納得する事にしている。
「それと喋るときは基本的には母音で。文、言葉としてでなければ。ほらお返事」
「あ。……ぅっ」これも断っておくと葛藤はした。即断だったとしてもだ。
「えらいえらい。それじゃあ手伝ったげるからねー。はいばんざーい」
「う……。……っ!」転生直後に恒常性に固執する悪癖があるのだと解らされる。場合によっては引き摺ってしまいそうな程に後味の悪い個人的な雑学を与えられて泣きそうになった。
「足上げてー」
「……っ、…ふっ、うぁっ」その割に嬉しいと思っているのは自尊心を剥がしてくれているからだ。この立場であれば価値を清濁関わらずに他に押し付けられる。どんな醜態も根源的には他人の所為になるのだから、どんな扱いになろうとも無意識な選択であると主張できる。そんな快楽の味から抜け出せず、矮小な矜持すら捨てきれずにいる自分がいるからだった。だからこうして従ってしまっている。
「よおし、ご褒美にぎゅってしたげる。ほら。んーっ」
「きゅっ、うっ。ぁ。」肌に直に触れた温度差と服の感触に肩が震える。動揺を抑える為に辛うじて留めていた記憶を行使して、抵抗はしてはいけないと必死に暗示し可能な限り理想形を模倣することに注力する。
「キュートアグレッション。…んむっ」
「…ひぅ」耳を食まれた。同時に力が強制的に抜ける。こわい、のに。
「念の為肉眼で調べようかなって思ったけれど、だいじょぶそうだね。…」
「?」
「…我慢できないから、つまみ食い」
「に、ぅあ、ひゅ……っ、ふぁう」知らない、ふわふわした心地よさがちょっとずつ積もってくる。耳の淵から孔に向かって焦らす様に滑った舌が、湿ったやすりみたいに音をたてている。変にならないように彼女の服を掴んでしまって、口の中が熱くて呼吸が速くなる。
「ぇえっ……、んっ、れぁ」
「ん、……ゃっ」
「るっ。ん、ん、ん」
「ひゅっ。…んぁ、ぅく」
「は、っ。…顔、こっち向けて。そう。それで口を少し開けて」
「……んぁ…?」
「すっ…、…、……」
くじゅっ。
「んむぅ、……っ!?」果物みたいな水音の後、何が起こったか分からなくなって上顎の裏から脳を溶かすように擽ったい快楽が浸み込んでくる。そこから下へ、頭部全体からデコルテ、胸へとじゅわじゅわした感情が這入ってきて心臓がきゅうきゅうと収縮する。
「…、ん」
「んぐ…。んん」髪が当たっても払えなくて、手足をピンと張った後に抵抗を反射的に行ったけれど緩んで力の入らない両手は彼女の肩とかお腹を軽く押す様な真似しか術が無くて、次第に腕から口内へと意識を移されるに連れてそれすらもだらりと身を任せるようになってしまっていた。
「…む、…はぅっ」
「…はぁっ」
「んっ……るっ、っぇ、…ん」
「くぅ……んきゅ…きゅっ。……んぐぅっ」
「ぱぅあ…っ」
「はあっ。……ぁ、はっ。…ふぇ…っ」
「キスしただけだったんだけど…。やっぱり飲ませすぎたかな。可愛くていいけど」
「……?」脳が白く塗りつぶされて景色がちかちかする。背中に手を回されていたので倒れる向きが前方向に変わり、ぐったりと凭れ掛かって色の匂いを吸い込んだから更にひとの要素が削られる。
「ん、ふぅ、…ぁ、ひゅ……んうっ」
「いいのかな。あ…。…そっか」
「?」抱擁を解除し、僕をそのまま寝かせて乱れた服を直す。
「おかしくなったまま戻ってきてくれないかもだし、今日はおしまいにしないと。ごめんね、加減したつもりだったんだけれど上手くいかなくて…」
「ん、ぅ」
「今日はゆっくり休んで、また明日ね」
頭を撫でられて安心するのはいつ以来だろう。さっきまでの快楽は薄れて、彼女の声色が瞼を徐々に閉ざさせる。眠っていたと気付いたのは起床した時だった。
翌日、朝方。
「色々用意しないといけないからね。一先ずはお預け」
そう言いながら彼女は目をこする私を横目に外出の用意をしていた。
「……?」
「買い物してくるからいい子で御留守番してて。えーっと、君用の首輪と御飯のお皿かな。よしっ、それじゃあ行ってきます」
「あ…ぅあ。……」寝起きで言葉を返す暇も無く扉は閉まり、騒がしかった部屋に刃物のような静けさが宿り始めた。
数十分後。
「……ああー、っ。ああっ」相当に時間経過しているのに場を離れるのを未だに考えあぐねているのは傷つける事に臆病な自分の本質が原因だった。
どうしようもなく台無しに言うと逃走自体は簡単で、私にある人外の要素だけで事足りてしまう。何かしらの策を講じたりするどころかそれから先の人生設計諸々を考える必要すら無い。
月から照射される反射光を基に稼働しているから食事の心配はそもそも無いし(摂れなくはないがする必要がない。全て体内で分解され純水に変換される)、身体補強等娯楽に触れている者ならば必ず何処かで見た事のあるような能力群を有しているから外見年齢八歳とはいえ頑張れば武力行使すら可能だった。というか信じたくなかったけれどさっき抱擁された時にその能力値に明確な差があった。かなり感覚的な予測なので外れているだろうけれど。
ただ、逃げた場合必ず死傷者が出る。忘れそうになるけれど私は外側こそ超人めいているが中身は暴力の振り方も教えられていない自衛手段が情報等無形の一般人である(私はそれすら満足に行えない)。先刻の彼女じゃないが誇張でも奢りでもなんでもなく加減の仕方を知らない。
それに誰かの価値観へ口を出せる位の意思を確証させられるかと問われると否定してしまうのもある。こころも、もう全部が人間じゃなくなっているかも知れない。正しさが何なのかもよく理解していない、常識を説ける程常識的な性格じゃない事は忘れていたとしても一番よく知っている。下手に能書きを垂れるのは双方に対して本意ではない。
だからこれも偏った思考で無責任にしかなれないけれど(あくまで私の視点であることを忘れずに言うとするのならば)、常識をブラッシュアップする役目は屹度この世界の勇気ある善者に与えられるべきなのだ。
自他が傷つくのが怖いという傲慢さがここに縛り付けている要因なので言い訳になってしまうのはそうだし、色々考えて何もしないのが傍目からしたらストレスにもなるだろうけれど、怖くて一歩が踏み出せない。
案外、今の生は罰であると考えてもいいのかも知れない。他人も信用しきれずに評価して無意識間の判断基準を定め、干渉を避けている罪への報いを受けている。だとしたら逃げるべきではない、してはいけない気がする。
気を紛らわせる為に悪いところを考察しようと格好つけた陶酔を急にし始めて、羞恥に顔を歪めた。
気分転換に立ち上がって部屋の隅にあった姿見に自分を映す。
印象は毛色が深緑の獣の耳と尾がついている人間の少女寄りの少年。髪色も同じで、病人よりも白い肌に日が差し込み照らされている。装飾品のように大きな眼に金色の虹彩が怯えつつ光っていて、舌も牙も爪もひとのもの。気味の悪い美麗な造形は付与者の趣味なんだろうが…。
せめて意味が欲しいと逃げるような仕種で背を向けて、ベッドに飛び込んで忘れようと口を噤んだ。
数時間後。
「たぁだいまーっ」
「…?」
「あ、眠ってた?起こしちゃったか」
「んっ。ゃ、…ぁあ。ふ」
「ふふ。…ああ、そのままで。ほら。買ってきたからねー」
革製で色は赤。装飾に銀の鈴が一つ付いていて夕暮れに当たっていた。それだけを見てこんな気分になれるのかと驚いて、抵抗をしようと考えてもいない怠惰さに心底呆れてしまった。
「スタンダード過ぎる気がしたけれど、やっぱりシンプル重視にした方が似合いそうに思えたからさ。違ったらまた別のを買おうね」
「……ぁ」
「食器もちゃんと買ったから御飯もこれで喰べれるね。よかったよかった」
「…」
「おかえりのぎゅーしていいー?」
「っ」
「赤くなってる。ああー、語彙を制限する力があるんじゃないかって思っちゃう。かわいいとしか言えなくなるもの」
「う……、ぁっ」
「ふふー。拒否ってもいっちゃおー。ぎゅーっ」
「ぎゅっ、きゅ、む、んむっ、むー」
「御顔見せてー。よしゃよしゃー」
「ふ…。うぅ、う」心地いいと、首を絞められたときみたいに満たされていると感じてしまう。
「ごはんしよっか。作ってくるから待ってて。今日はアサリの炊き込みご飯ですよー。たのしみにしててねっ。…」
「…ぁ……」食事はひと用なのか…。まあ流石に体調壊すだろうし、この世界に於いてのアサリの炊き込みご飯の概念が僕と一致していない可能性を考慮しなければこちらとしては有り難いけれど、本当に類似しているのか。将来の不安も直近の経験は前例がないから洒落にならないだけで結構対策はし易い方なのかも知れないと気休めをした。
食材を刻む音が聞こえる。見ると態とかどうかはわからないけれど出入り口の扉が開いていて、それが逆に逃走意欲を削る要因になっている。
「……」
体感では約一時間後。食事中。
「おいし?」
「ん……ぁう」
「よかった。あまり作ったこと無かったから美味しいか不安だったんだ」
「んっ」箸を使って米を口に運ぶ。少し薄味に思えたのは健康への配慮なのかも知れないと思って、温かい料理を喰べたことから罪悪感が芽吹き始めてしまった。それを誤魔化すように咀嚼し、飲み込む。
ちら、と彼女を見る。笑顔でこちらを見ていて、気恥しくなって目を背けた。
作る時間に反比例して、食事は一時間もかからなかった。
読んでいただきありがとうございます。
本編、鋭意制作中です。頑張ります。