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色命遊戯  作者: 虎龍凛
『春峰』壱 ――きみは名前が、あるからさ。
9/36

『春峰』壱 - 壱

「……っ」


 怪我をした。

 指を切った。

 思わず、自身の中指、緩やかに盛り上がった小山を見やると、ぷつぷつと哀れに血を吹いている。


「……またか」


 ため息を吐き、独り言つ。


「これで何度目だ」

 

 春峰は自身の指先を、憎らしげに睨め付けながら、再び吐き捨てる。

 割れた絵皿を片付けるため、それに触れた瞬間、この始末だ。


 秋津洲(あきつしま)に産まれ、秋津(あきつ)絵画に専心してきた身であるため、壱高などの高校生達と比べると、春峰の両手の、特に指先はところどころ赤みが目立つ。

 秋津絵画は絵具を手で溶く。より正確には、岩絵具と溶き膠液を練る際に、指の腹を使う。その日の天候により、前日と同量の絵具と膠液を使用したとしても、粘度や色合いが微妙に異なる。少しでも気に入らなければやり直し、満足が行くまで同様の作業を繰り返した後、ようやく水を加えていく。そこでも、絵皿に注ぐ水の量を仕損じると、春峰は溜息と共に、それを自身の視界から避ける。

 毎日毎日繰り返されるそれらの、いささか神経質じみた作業の記憶達は、標のように春峰の指先へ赤く刻み込まれた。

 それもあってなのか、ほんのささいな衝撃で、この繊細な指先は赤く染まってしまうのだ。

 小さな切り傷の癖に、毎度飽きる事なく大袈裟に赤色を流すものだから、どうにも集中は欠けるし、流れたものが絵皿に混ざるわで毎度散々である。

 秋津画専攻者の(さが)と片付けてしまえれば良いのだが、どうにも腹の虫が治らないのは、窓の外で他人事のように奏でられる、鈴虫の羽音のせいだろうか。

 鈴虫が五月蝿い。月が雲に隠れているせいで薄暗い。夜風が肌を撫でて気持ちが悪い。そもそも何故――。

 一つの事に不満を抱くと、連鎖的にあれもこれもと、重箱の隅を突く様に不満を論うのは、人間の悪い癖だ。

 分かってはいるが、腹が立つ。腹が立てば、その大元を断ちたくなる。

 春峰は、自身を傷つけた半月型に割れたそれを、手が切れるのも構わず握りしめる。止め処なく流れる生暖かい赤色は、春峰の肘を伝うと、床に滴り落ちた。


「くそっ! こんなもの……っ」


 力一杯、窓の外へ放り投げる。

 怒声と共に、絵皿は宙に舞う。春峰から流れ出た血液も、宙を舞う。

 雲が星と月を隠しているからだろうか。

 今日は特別、黒が綺麗な夜だ。まるで、墨を流したような、奇妙な美しい空だ。

 だから、全てが静かにゆっくり回っていく。星々が動かないから、時が止まったかの様に。

 墨を流した夜に、春峰の赤が、混ざる。


「黒紅……」

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