はるまのディストピア(2/5)
「なあなあなあ、和志はまだそこにいるのか? ずっと俺を見張ってるつもりか? 可哀想だな」
部屋の天井にあるカメラに向かって話しかけると、頭上の照明兼スピーカーが不機嫌な声を出した。
「——いい年をして、いい加減にしてくれませんか。悠真が何かやらかすたびに、俺か康太が監視をさせられるんですけど」
「そういえばこないだも和志だったな。暇なのか?」
「まさか。俺たちは研究室にいることが多いから、ついでに任されてるだけですよ。データの解析をしながら、片目でモニターを見てろってことです」
計算にかけたデータの解析を待つ間に悠真の相手をしろということなら、やはり暇なのではないかと思ったが、そんなことを言えば噛みついてくるに違いない。彼が言いたいのは自身達が研究室の内部にいるということであり、そこは頭も良くない悠真が立ち入ることの出来ない場所だ、ということだ。
「やらかすって失礼だな。綺麗な花火だっただろ?」
そう言って窓外のいつもと変わらぬ景色を見ていると、少しの沈黙を挟んで声が届いた。
「ノアが障害を起こしたのかと思った。この世の終わりかと思いましたよ」
冗談めかした口調でもない。悠真は声を出して笑った。
いつもは暗く瞬く星を映すだけの天井モニターいっぱいに爆ける火花。目に眩しいめくるめく光の色彩に、家の中で寝ていたとしても叩き起こされただろう大音量の破裂音。
たしかに何も聞かされていない人間たちがあれを見たら、爆破テロ行為があったのか、システムがバグったのかと思っただろう。なんなら小惑星が船体にぶつかったのかと思ってもおかしくはない。そもそも花火など、那月に聞くまで悠真も存在を知らなかったのだし、知らない人間の方が多いかも知れない。
彼がふっと息を吐く音がする。
「あんなものを打ち上げて楽しんでいたのかと思うと、昔の人類の嗜好は本当に理解ができませんね」
「ほかに娯楽もなかったんだろ」
「そうでしょうね。グラスもなかった時代に生まれなくて本当に良かったとつくづく思いますよ。夜が長すぎて、何をして過ごせばいいのか想像もつかない」
それは和志の単純な感想か、それとも眼鏡を取り上げられた悠真に対する皮肉なのか。現在進行形で長すぎる夜に苦しんでいる悠真は、なんとも言えない気持ちになる。
眼鏡を通して見る仮想空間にはさまざまなコンテンツがあり、それぞれ自分の思い通りの世界を楽しめる。労働をさせられる日中帯ではなく、リアルなスリルや感動や快楽を楽しめる空想世界の中に入れる夜の時間を、自分の活動時間帯だなんて言う人間も多い。だから皆、夜になれば競うように自分の部屋へと戻っていくのだ。
他ならぬ悠真も、夜な夜なゲームをしたり宇宙や惑星を旅したり物語の中に自分を投影したりして遊んでいる。それはやはりとても楽しいし、いくらでも時間をつぶすことができるのだが、たまに虚しいと感じる時もある。
夕食後に部屋に戻れば、あとは日付が変わって電源が強制的にオフになるまで、ずっと眼鏡をつけたまま過ごしているのだ。何ならそのまま眠ってしまって、気づけば朝だったなどということもよくある。
それなら夜中に寮を抜け出して、花火を打ち上げたあの夜の方が、よほど楽しかった。
「だからって花火かとも思いますけどね。資料によると、本物の火薬を使っていたせいで事故も多かったらしいですよ。死者を出してまであんなもの見たいものかな。——まあ、懲罰室に閉じ込められてグラスを取り上げられてまで、って言葉に置き換えてもいいですけど」
今度こそ皮肉だろう。呆れたように言われた言葉に悠真は苦笑した。
那月はこれまでで最高の誕生日だったと目を輝かせたが、彼にとってはただただ理解のできない前時代の異物にしか見えなかったらしい。もしかしたら和志の考えの人間の方が船内には多いのかもしれない。
悠真は花火はとても綺麗だと思えたし、強烈な光が目に刺さっていて、今も目を閉じればその光景がまぶたの裏に蘇ることがある。綺麗な花火の光と、鼓膜どころか体まで揺さぶる音、それから興奮している那月の笑顔。いつも同じ夜空を映してもつまらないから、と彼女は言って、今度はオーロラや流星群を映したいなんて目を輝かせていた。
彰良はそれを聞いて、それもいいなと平然と頷いていたから、もしかしたらまた実行する気かもしれない。
懲罰を受けたばかりであるから、それをまた計画することを考えるとなんとなく気は重い。彰良や那月もそれぞれに罰を受けているはずで、もしかしたらもうこりごりだと思っているかもしれないが、そもそもこうしたことをやるのは初めてでもない。これで懲りられるくらいなら、もうずっと前から懲りているだろう。
寮で無断で真夜中にパーティをした、共同の湯船に大量の泡を浮かべた、規定の白シャツに青い染料を混ぜて寮の全員分を洗濯した、なんて可愛いものから、朝の労働開始を居住区中に知らせる耳障りなアラーム音をぴよぴよという可愛らしい効果音に変えたり、移動診察車の塗装を全面桃色に塗り替えて花柄にしたなんて大がかりなものまで、確かに色々と「やらかして」おり、その度にこってりと絞られてはいる。懲罰室に入れられるような罰を受けたのも一度や二度ではないのだ。
「つくづく理解できないんですが」
「うん?」
「その髪も絶対に船長や教師に目をつけられますよ。俺は髪を染めないように見張れなんて言われてないから、別に何をいう気もないですが」
何をいう気もないと言いながらも、口調も小言にしか聞こえない。悠真は苦笑しながら髪に手をやって、自分の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「別に髪をプラチナブロンドにしてはいけないって規則もないだろ」
「なにブロンドかは知らないですが、公衆の秩序を乱す格好をするなという規則はありますよ」
「それは公衆の面前で全裸になるなって意味じゃなかったのか?」
悠真がそう言って笑うと、スピーカーはなんの音も返してこなかったが、向こうの部屋で和志が顔をしかめる様子が目に浮かぶ気がして、悠真はさらに笑う。
「俺が髪や目を何色にしようが、誰にも迷惑かけないと思うけどな」
懲罰室にいるときには二度と反抗しないと涙ながらに訴えた気もするのだが、喉元を過ぎるとなんとやらなのか、もしくは外に出されると反動で反抗したくなるのか。悠真は部屋に戻された翌日には衝動的に髪色を変えていた。最初は真っ赤にしたのだが、あまりに似合わなかったので紫色を経てシルバーにしたのだ。
「黒でも茶でも生活に支障はないと思いますけどね」
平然とそんなことを言い返され、今度は悠真が顔を顰めた。
たしかに悠真が髪色を変えたところで、それを見る人間がどれほどいるか分からない。そして当然ながら、髪の色が何色だろうが悠真の生活になんら支障はない。結局は悠真の気分の問題だし、見る側の気分の問題なのだ。
悠真は気分を変えたかったのだし、秩序なんて型にはめられたくないという気持ちもある。そして逆に他人の髪色などにいちいち眉を顰める人間は、型にはまらない人間が恐ろしいのか羨ましいのかのどちらかだろう。和志は別に悠真のことを恐ろしいとも羨ましいとも思っていないだろうが、全く毛色の違う人種を嘆息しながら見張っているというところか。
「支障はないが、気分は変わるよ。一度、やってみればいい。和志は金髪も似合うと思うけどな」
「それに意味があるとは思えませんね」
意味か、と悠真は呟く。
わざわざ目立つ不自然な髪色にして、船長や教師たちに睨まれることに意味があるわけもない。那月たちとつるんで何かをすることにも、意味があるのかどうか悠真には分からない。個人的には罰は恐ろしいし、本気で秩序を乱したいと思っているわけではないのだが、それでもただ良い子でいる気にはなれないのだ。なにかしらの不満を訴えたい気持ちはある。のだが、それではなにが不満なのだと言われれば自分でもよく分からない。
なに不自由なく生活できているし、現実世界で満たせないことは仮想現実で全て満たせる。
和志から見れば、悠真の行動は全て無駄なことに見えるのだろう。敢えて目立つ真似をして、グラスを取り上げられる愚かな年長にしか見えないに違いない。