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はるまの一歩(3/5)



 満彦が整備室に顔を出さなくなってから三日目に、正式に彼が整備士から外れるという通達が出た。


 悠真はぽっかりと空いた空間を見て、何度ついたか分からないため息をつく。そこは満彦の定位置で、彼はいつも胡座をかいて黙々と作業をしていた。狭い空間に彼といると、いつも息が詰まるような気分だったのだが、いなくなればいなくなったで胸が苦しい。


 作業としては今のところ満彦がいなくて困るようなものは来ていないし、作業量も以前よりずっと減って簡単なチェックだけで済むものも増えた。彼がいなくても、ろくに技術もない悠真だけでなんとかやれてしまっている、というのも何やら考えさせられるものがある。


「すごいため息だな」


 ドアが開いて海斗が顔を出すのが見えて、悠真はぱっと顔を上げた。


「おはようございます。聞こえちゃいました?」


 隣の部屋で作業をしている修繕士の彼は、悠真の言葉に楽しそうに笑う。いつでも飄々として明るい彼の存在は、大抵が暗くて苛々としていた満彦がいた頃からの悠真の癒しだ。


 彼はドアにもたれかかるようにして腕を組んだ。


「朝の挨拶くらいしに来いよっていう、俺に聞かせるため息かと思って来たよ」


 そんなことを言われて悠真も笑った。いつもは始業ぎりぎりに入る悠真が彼の部屋に挨拶にいくのが日課なのだが、今日は珍しく悠真の方が先に着いていたから、朝の挨拶ができていなかったのだ。


 悠真は立ち上がって、腰を九十度に曲げて見せる。


「わざわざご足労いただき恐縮です。今日はちょっと早起きしちゃいました」

「悠真が早起きするなんてノアが転覆する前触れかな」

「そんな大ごとですか」


 はは、と海斗は笑う。


「まだ眠れなくなる年齢には早いだろ。俺は最近、放っておいても起床時刻前に起きるようになったんだが」

「海斗さんもまだ若いでしょ」

「どうかな。もうとっくに人生は折り返してるからな」

「何歳でしたっけ」

「三十」


 とっくに折り返している、というほどでもないが、寿命が五十とか六十とか言われるここでは確かに半分は過ぎていることになる。


「それより十歳くらいは若く見えますね」

「それじゃ、悠真と並ぶじゃないか。年上に見えないって言いたいのか」

「そんなことはないですけど」


 悠真の言葉に、海斗は不愉快そうな様子も見せずに笑った。


 いつも明るくて不機嫌そうな顔など見たことのない海斗は、見た目も言動も落ち着いた大人の男性だ。見た目から浮ついていると言われる悠真などと並べられるわけもないのだが、これまで満彦と海斗と悠真の三人だったから、軽く倍以上は生きている満彦に比べて、勝手に海斗は悠真と年代が近しい同士だと思っていたのだ。


 彼はドアに手をかけると、もう片方の手を軽く振った。作業室に戻るつもりなのだろうと思って会釈をすると、彼は軽い口調で言った。


「ま、ずっと顔合わせてた人がいなくなるのは、それなりに大ごとだからな。あんまり深く考えない方がいい」


 彼は悠真を心配してくれているのだろう。


 満彦が現れなくなってから、海斗はこうして日に何度かは顔を出してくれるようになった。仕事中はもちろんその前後も全く会話もしないという職場も多く聞く中で、海斗のように周囲を明るくする人が近くにいてくれることは、悠真にとって本当に幸運なことだ。


「海斗さん」


 思わず声をかけると、彼は何も言わずに立ち止まる。海斗の少しくせのある髪が揺れ、首だけが悠真に向けられた。


「離れに行ったことあります?」

「いいや」


 海斗はそう言ってから、何故だか苦笑するような顔をした。特殊な事情がなければそこには行けないと聞いたことがあるから、当たり前だろう、という表情なのか。それとも、悠真がそこに行きたいと思っている、と考えてのその表情なのか。


「行ったことも、行こうと思ったこともないよ」


 きっぱりとそう続けた海斗に、そうですか、と悠真は呟く。


 整備士でなくなった満彦は、離れにいるのだろう、と悠真は思っていた。通常、配置転換があれば、新しい配属先が記載されるのだが、満彦の場合は配属が消されただけだった。それは暗黙のうちにその人間の引退ということを示すことが多く、引退した人間が向かう先は離れしかない。


 離れというのは、ノアの中で死にゆく人々が向かう場所の通称だ。正式名称はあるはずなのだが、そもそも『離れ』という通称さえほとんど聞かないくらいで、知る機会もない。


 人工的な子宮から生まれた人間は、子供の頃は保育施設や寮で育てられ、大人になると自分の部屋を与えられる。そして老いや病気で仕事ができなくなると、離れと呼ばれる施設に入れられるのだ。そこでは労働も報酬もなく、ただ穏やかな死を待つのみ、と聞いている。


 誰が離れにいて、そこで誰が生きていて、そして誰が死んだのか。人々にそれが知らされることはない。死者の数が発表されない代わりに、赤子の数でそれを察するだけだ。船の積載量ともいうべき人口は決まっており、死者の数とバランスするように子供が誕生するのだ——と誰かに聞いたことがある。


「満彦さんに会いたいのか?」


 どこか困ったような顔で言った海斗に、悠真は少しだけ首を傾げる。


「会いに行けるなら、もちろん」

「ふうん」


 ここしばらくはずっと暗く沈んでいたとはいえ、満彦はつい先日まで元気で働いていたのだ。満彦に何があったのか、出来ることなら本人の口からそれを聞きたいし、そうでなくとも一言くらいは何かを言いたかった。別に仲が良いというわけでもなかったし、満彦の方は悠真を嫌っていただろうが、それでもこれまでずっと一緒に働いていた仲間だったのだ。


 せめて別れなり感謝なりを伝える機会を与えられないのだろうか——と。


 そう考えていたのだが、海斗の方にそうした思いは見えない。行こうと思ったこともない、と彼がわざわざ言葉を足したのは、きっとそういうことだろう。


「でも会いに行くための方法も分かりませんでした。海斗さんは何か知っています?」

「いいや。離れの中の人間と面会が出来たなんて話は聞いたことがないよ」


 そうだろうと思いながらも、と悠真は改めて落胆する。


 特殊な事情がなければ近づけないと聞いていたが、調べてもそんなものは出てこないし、那月や彰良も知らないと言っていた。誰にそれを訴えて、どうすれば面会が叶うのか、悠真には想像もつかない。


「あまり考えすぎない方がいい」


 海斗は先ほどと同じようなことを言った。視線を向けると、彼はどこか子供に言い聞かせるような口調で続けてくる。


「満彦さんは離れで仕事もせずにのんびり余生を楽しんでるよ。そう思って、目の前の仕事をこなしてれば、いずれは時間が解決してくれる」


 はい、と一応は頷いてから、内心では「でも」と呟く。


 相手が満彦ならたしかにそうかもしれない。彼は別に悠真には会いたくないだろうし、悠真の方も出来れば会いたいとは思うのだが、規則を破ってまで会いに行くつもりはない。


 だが、これが那月や彰良だったら悠真はどうすれば良いのだろう。


 これまで悠真は身近に離れにいった人物がいなかったからあまり真剣に考えていなかったが、いずれ必ずやってくるのだ。いくら彼らが高齢であったとしても、例えそれが寿命であったとしても、離れにいる彼らに会うこともできず、話をすることもできず、それどころか生きているか死んでいるかも分からないなんて、そんな馬鹿な話はない。


「——彰良とは話ができたのか?」

「え?」


 唐突に言われた言葉に、悠真は目を瞬かせる。


 海斗の表情は真剣なようにも見えるし、いつも通りに飄然としたもののようにも見える。悠真の心を読んだわけでもないだろうから、脈絡のないように思えるその言葉は、単に話題を変えようと思っただけだろうか。


「ええ……おかげさまで、会ってもらえるようになりました」

「それは良かった」


 そう言って頷いた海斗に、悠真も頷いて見せる。


 悠真が彰良に会いに行こうと思ったのは、ミフユが故障したという通知が来たからというのが一番の理由ではある。だが、それより前に海斗からは会って話した方が良いとしきりに言われており、それもあって悠真は意を決して彰良に会いに行ったのだ。


 おかげで彰良と話をすることができたし、メッセージを送っても何らかの返信くらいは返してくれるようになった。親身になって話をしてくれた海斗には感謝しかない。


 ——のだが、その一方でなんとなく釈然としないものを感じてはいる。


「あきがどうかしましたか?」


 悠真の言葉に、海斗は目だけを動かしてこちらをみた。


「どうって?」

「いや……急にあきの名前が出てきたから」


 悠真の言葉に、海斗は少しだけ考えるような間を開けたが、いつもの軽い調子で笑って手を振る。


「なんでもないよ。落ち込んでるなら、気分転換に友人にでも会えば良いんじゃないかって思っただけだ」


 そんなことを言って部屋を出て行った海斗を見送って、悠真は内心で首を捻る。


 彼は明るくて社交的だし、誰とでも打ち解けたような話し方をするのだが、それでいて必要以上に距離を詰めてくるようなことはない。仕事が終われば誰とも会わずに部屋で仮想空間に閉じこもっていると言っているし、終業後に人と会ったり食事を取ったりしたことなどないとも言っていた。


 個人的な話などほとんどしない彼が、唐突に『彰良とは未だに仲が良いのか』と聞いてきたのは何故なのだろう。彰良とは最近会っていないし避けられているようだという話をすると、彼はいつになく真剣な表情で話を聞いてくれた。詳しい話をしたわけではないが、友人は大切だからと言って、会って話す方が良いとしきりに勧めてくれたのだ。なんとなくそれらは普段の海斗からは似つかわしくない気がして、気にかかっていた。


 なにか悠真を使って彰良に近づきたい理由でもあるのか——なんて勘繰ってしまうのは、悠真のことを心配してくれている海斗に対して失礼だとは思うのだが。


 それだけ彰良は特別だし、ずっと隣の部屋にいても、そこまで海斗のことはよく知らない気がする。


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