はるまの一歩(2/5)
先に食事にしてくれと彰良に言われ、悠真はぺろりと器を空にする。
急いで食べたつもりはないが、まだ彰良は半分も食べていない。彼に断ってから、悠真はミフユの作業に戻った。仕事をしていても特に楽しいということはないのだが、こうして彼の部屋でミフユのパーツを取り替える作業をするのはとても楽しい。
「仕事は面白いか?」
何気なく聞いた問いに、彼は迷いもなく答えてくる。
「暇つぶしにはなるな」
「それはいいな。彰良の暇つぶしでできたレックスは、かなり俺たちの仕事を減らしてるよ」
「レックスを修復したのは蒼太だ。俺はシステム側を少しいじっただけだよ」
さらりと出た蒼太の名前に、悠真は視線を彰良に向ける。
「蒼太さんと一緒に仕事をしてるのか?」
「一緒に?」
彼はそう言って僅かに首を傾げる。
「レックスを修復する時には制御プログラムを担当したし、今度は蒼太の要望でアニマの解析プログラムを作ってる。一緒といえば一緒だが、必要な時にメッセージでやりとりしてるだけだからな」
蒼太さんはどんな人物なのか、と。聞きたかったのはたしかだが、単なる興味本位でしかない。実際に会っているわけでないのなら、分からないと言われるだけだろう。そもそも彰良は他人に興味はないらしく、長年一緒に仕事をしてる制御士達についてさえ、ほぼ何も知らないと言っていた。
——と言っても、悠真が一緒に働いている満彦について、何を知っているかと言われても似たようなものだ。
親密になりたいと毎日少しづつ話しかけてはいるし、悠真のことは色々と話しているつもりなのだが、ほとんど彼自身に関する話が聞けたことはないのだ。
レックスが俺たちの仕事を減らしている、と言って喜んでいたのは悠真だけで、満彦は自分たちの仕事がなくなるのを危惧しているようだった。実際、どんどん仕事は減っているのだし、空いた時間に他の作業を手伝うような日もある。
最初は苛々としていた満彦が、だんだんと口を開かなくなり表情も暗くなっていくのを見て、なんとか気分を変えられないかと明るく振る舞っているのだが、自分でもそれが空回りしているのは自覚していた。急に老け込んだように見える彼は、話しかけても迷惑そうに悠真を見るか、そもそも視界に入れないようにしているかのどちらかだ。
職場で二人きりだから、もともと居づらい空間がさらに重い。
そんなことを考えていると、彰良が怪訝そうに悠真を見ているのに気づく。なんでもないというように首を振ってから、明るい口調で続けた。
「今度はアニマを修復するのか?」
「どうかな。まずは解析だけだ。そこで無理そうなら手を引くんじゃないか」
レックスの修復というのは五十年以上も誰もやれなかった偉業だそうだし、船の心臓であるアニマを修復するなど想像もできない。そこに携わる彰良はさすがという気はしたし、蒼太についてはそこまで優秀だったのか、と改めて驚く。
犯罪者としての名前しか聞いてなかったが、船長が彰良を協力させるくらいだ。本来なら彰良に並ぶほどに重要な人物だったのかもしれない。
「アニマが無理でも、いくらでも修復したい機器はあるだろうからな。全機器全システム総とっかえしてもいいくらいだ」
ノアの航行年月と機器の老朽化を考えるとそうなのだろう。それがやれないのは、環境的な問題と圧倒的なリソース不足か。
彰良や蒼太があと五人ずついれば船の大半の問題は解決するのかもしれないが、満彦や悠真があと百人ずつ存在しても何も改善しないだろう。なんなら酸素の無駄と言われて処分されるだけだ。
「相変わらずあきはすごいな」
思わずそんなことを呟くが、彼からの返事はない。
彰良は他人に褒められたところで嬉しそうにもしないし、そんなことはない、なんて謙遜するような無駄なこともしない。
自分の存在がこの船にとってなんら意味がないものではないか——などと考えることは、彰良には想像もつかないことだろう。悠真にとっては常々正面にある問題だったのだが、もしかしたら、これまで満彦も想像していなかったのかもしれない。レックスが凍結していたこの半世紀、整備士という仕事はフル稼働していたはずだ。満彦は学生時代からほぼ従事していたと聞くし、ずっと重宝されていただろう。
それが急に必要なくなったと言われる気持ちは、逆に悠真には想像できないものだ。
続く言葉は思いつかず、悠真はミフユに視線を戻して作業を続ける。
レックスやアニマという船の中枢機械を相手にしている彰良が、この小さな機械を扱えずに途方に暮れるなんて、冗談みたいな話だ。これが蒼太であれば目を瞑ってでもやってしまうのだろう、と思えば、彼が蒼太でないことに感謝をする。
もちろん、レックスに放り込めばすぐにでも修理されるだろうし、彼がどうしてもこれを修理したいと思えば、単にシステムでそれを申請すればよかっただけの話ではある。別に悠真が手を出さなくとも、ミフユを直す手段などいくらでもあるのだが、それでもいま悠真が彰良のためにやれることがあるということに意味がある気がするのだ。
というより、やはりそれくらいしか悠真にできることはない。
口を開かずに集中すれば、すぐにミフユの部品は元の場所に収まった。昔これを組み立てた時には、途方もない作業だと思ったが、何度もこれをやって修理もしていれば、本当に単純な仕組みの機械でしかない。
スイッチを入れれば、簡単に起動する。
「おはよう、あきのミフユ」
黒目を開けてこちらを見上げたねずみに挨拶をすると、キュウと小さく返事をした。軽く背中をつつくと、ちょろりとその場で回ってまた小さく鳴く。その愛らしい仕草に、悠真は思わず口元が綻ぶ。
「元気そうで何よりだな」
器は悠真が組み立てられるレベルの単なる端末、そして中身は彰良が作り込んだシステムだ。どちらが優れているかは考えるまでもなく、ミフユがこんなに愛らしく賢いのは、ねずみの中に埋め込んだ人工知能によるものだろう。
手のひらを机の上に乗せると、ミフユは手の中に収まった。くるりと長い尻尾も丸まる。それをそのまま彰良に向けると、彼は手を伸ばしてきたので渡してやる。
「ありがとう」
目を細めた彼の表情は、さほど喜んでいるようにも見えないのだが、それでも長い付き合いで彼が努力して笑って見せてくれようとしたのは分かった。
手のひらに乗せたままのミフユを眺めたまま、彼はしばらく固まっていたのだが、やがて視線はこちらに向けないまま口が開かれる。
「……俺はレックスより、ミフユが動くようになった方が嬉しいよ」
思いがけない言葉に、悠真は瞬きをする。
急になぜ彼がそんなことを言ったのかは分からないが、何にせよ最大限にお礼を言ってくれたのだろう。ミフユを見つめたままの彰良に、悠真は笑って見せる。
「そう言ってもらえると、来たかいがあったな。レックスとは反対で、こっちはあき以外の人なら誰でもやれるだろうけど」
軽く言った悠真の言葉に、彰良は笑うわけでも嫌な顔をするわけでもなく、じっと固まっていた。
何を考えているのか分からない沈黙が、少しだけ悠真を不安にさせる。ミフユを直しに来たい、と言った悠真を迎え入れてくれた彼は、ミフユが直ればもう悠真に用はないなんて思ってはいないだろうか。彼が口を開くのを緊張して待っていると、薄く唇が開かれる。
でも、と小さな呟きが聞こえてくる。
「俺はミフユの修理をはるま以外に頼むことはないから。……こいつを直せるのははるまだけだよ」
急に懐に入ってくるような言葉に、どきりとした。
普段はそっけない言動しかしないくせに、どういうつもりか、たまに彰良はこういうことを言うのだ。彼は悠真とは違って適当なことは言わないから、それは紛れもない彼の本心なのだろう。子供の頃から悠真は彰良を頼っていたが、彼も自然と悠真のことを頼ってくれていた。
彼がそう言ってくれるなら、本当に来て良かった、と悠真は思う。ノアに悠真が必要なかったとしても、那月や彰良がたまにでも悠真の存在を必要としてくれるのなら、それだけで生きている意味があるのだ。




