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はるまの一歩(1/5)



 今回は敢えて少しだけ時間をずらして部屋を出た。もう彰良は職場から部屋に戻っているはずの時間で、ブザーを鳴らすとすぐにドアが中から開錠される音がする。


「こないだぶり」


 部屋の中から出てきた彰良は、相変わらずぺらぺらに痩せていた。もともと痩せ型というか、子供の頃から筋肉や脂肪が付いたのを見たことはないが、その頃よりも一回り体の線が細くなったように見える。悠真との体重差はどれくらいだろう。少し触るだけで、簡単に倒れてしまいそうだ。


「ああ」


 とだけ言った彰良が部屋に入って行ったので、悠真もついて行く。彼は椅子を悠真に譲ってくれたのか、ベッドに腰掛けた。普段よりも長めの黒髪が少し目の高さにかかっており、それが表情を暗く見せていたが、それでも先日ほど顔色は悪くないように思えた。


「わざわざすまないな」

「いいや。連絡もらえて嬉しかったよ」


 悠真の言葉に、彰良は困ったような微妙な顔をする。

 

 ミフユの部品が届いたから部屋に行っても良いか、と悠真が送ってから返信まで二日はかかった。気づかなかったわけではないだろうから、それだけ返信を悩んだのだろうと悠真は思っている。


 悠真や那月と会いたくないと言っていた彼が、それでも悠真に返事をくれたのは、ミフユを治して欲しかったからか、それとも会っても良いという気になったのか。どちらにせよ彼の心変わりが悠真はとても嬉しく、『明日にでも行く』とすぐに返信して訪ねて来たのだ。


「夕飯は?」

「適当に頼んでくれ」


 机の上にある端末はすでに起動して、夕飯を注文する画面まで開かれている。適当に頼めというのが悠真の分か、彰良の分かは分からなかったが、何にせよ二人分を注文する。一食で何が変わるとも思えないが、なるべく栄養とエネルギーのとれそうなものを選んだ。


「ミフユのパーツの料金請求は俺に回してくれ」


 彼はそれを自身の前髪を見ながら言った。悠真と目を合わせたくなかったのか、単に目にかかる髪が鬱陶しかったのか。彼はいつも目にかかりはじめると鬱陶しいと言ってばっさり切ってしまうから、短髪になるのも時間の問題だろう。


 悠真は少し考えたが、ああ、と言った。


「別に俺からの誕生日プレゼントでもいいんだが」

「必要ない」


 彼はそう言ってから、ゆっくりと首を横に振った。


「直してもらえるだけで十分だよ」


 その言葉に、悠真は特にこだわらず頷いた。彰良はどうせ昔から金など使わないから持て余しているだろうし、下手に申し出を断って気を使わせたくはない。


 悠真は机の上に置いてあったミフユを手のひらに乗せる。くりくりとした瞳は固く閉じられ、少し冷たい気がするそれは、当然だが機械でできており死ぬことはない。部品さえ変えればいくらでも生き返らせることができることに、悠真は密かに感謝をする。ミフユが死んでしまったら、なんとなく彰良と悠真たちをつなぐものがなくなってしまう気がしていた。


「こないだの誕生日は懲罰室に入れられたのか?」


 なるべく軽い口調で問いかける。


 虹が綺麗だったというのは前回伝えたが、彼がそれで懲罰を受けたのかどうかは聞けなかった。もしかしたら彰良だけならお咎めなしかもしれず、少しだけそれを期待して聞いたのだが、帰ってきたのは盛大なため息だった。


「いいや」


 懲罰を受けていないというなら、何がそんなに気に食わなかったのだろう。お咎めなしなら良かったと安堵して良い反応にも見えず、悠真は首を傾げる。


「……どうした?」


 彼は口を開こうかどうしようかと迷っているようだったが、結局はまたため息をつきながら言った。


「懲罰室に入れられる代わりにランニングルームに入れられた。一月くらいは走らされたよ」


 心底嫌そうに言われた言葉に、悠真はしばし固まる。だが、ランニングルームに入れられて強制的に走らされている彰良を想像して、思わず吹き出した。それを見て彼は嫌な顔をする。


「悪い。災難だったな」


 聞いてはいないが、彼が虹をかけたのは那月のためだったのは間違いない。三人で一緒にお祝いできない代わりに、彼は一人でそれをやったのだ。それで彼一人が罰を受けるというのは悠真は心苦しかったし、那月もきっと同じはずだろう。だから気になっていたのだが、あの重苦しい懲罰室でなくランニングルームと聞かされて、一気に肩の力が抜ける。


「少しは鍛えられたか?」

「鍛えられたように見えるか?」

「いいや。相変わらずだよ。何分走った?」

「一日十分くらいかな」


 それなら準備運動といったところだ。筋肉がつくほどでもないだろうし、日頃の運動不足を思えばむしろ健康のための羨ましいくらいの罰だが、彰良の表情からすると懲罰室よりもひどい懲罰だったのだろう。


「俺なら何時間でも喜んで走るんだが」

「そうだろうな。羨ましいよ」


 他の人間から言われたら嫌味かと思うところだが、彰良からそうした感情は読めない。なんにせよ彰良と普通どおりに会話が出来ていることが嬉しく、悠真はミフユを解体しながら話を続けた。


「最近は何してる?」

「別に。いつも通りだよ」

「いつも通り、二十五時間仕事してるのか?」

「そこから睡眠と移動を引いたくらいの時間はやってるかもな」


 そんな言葉に、悠真は振り向かないまま苦笑する。


「普通ならそこから食事とか休憩時間も引いてほしいとこだけど」


 それが引かれないからこんなに痩せてしまっているのだろう。規定量の食事を取らなければ指導を受けるはずだが、どう見ても規定量を食べているようには見えない。寮にいた頃だって、放っておけばすぐに食事時間を飛ばして部屋にこもってしまっていたのだ。


「今日はそうする……というか、そうなるな」


 そんなことを言った彼にとっては、悠真と夕飯を食べて話をしている時間は無駄なのだろうか。だが、悠真としては、さすがの彰良でも気分転換くらいは必要なのではないかと思っていた。少なくとも寮で一緒に生活をしていた頃の彼は、もっと健康そうだったし、楽しそうにしていた。


 ちょうど食事が届けられて、彰良が立ち上がった。


「ありがとう」


 礼を言うと、こちらからの質問に答える一方だった彰良が自ら口を開いた。


「食事をボックスから机の上まで届けてくれるオプションをつけようか迷ってるんだが」


 唐突な言葉に、思わず机の上に悠真の分の食事を運んでくれた彰良を見上げる。真顔な彼は、冗談を言っているのか本気なのか分からない。


 彼が悠真にまともに相談などしたことがないから、迷っていると言って、意見を求めているわけでもないだろう。単に思いついただけか、話題を振ってくれただけか。


「そんな製品が売ってるのか?」

「ああ」

「まじか。そんなの買うやついるのかな……あき以外で」

「カタログに載ってるんだから、需要はあるんだろ」

 

 それはそうだがこんな狭い部屋で、配送ボックスのつけられた場所から机やベッドまでは数歩の距離だ。この距離すら歩きたくないのか、その数秒すら惜しいのか。なんにせよ金は有り余っているはずの彰良が、購入を迷っているというくらいだから、彼はまだ正気だ。


「止めとけよ。それすら動かなかったら本気で倒れるよ」

「朝晩は端から端まで歩かされてるよ」


 たしかに彼に割り当てられた部屋は居住区の端で、制御区まで一番遠い。運動をしない彰良のために、船長が敢えて選択したのだろう。悠真が走れば一瞬の距離だが、彰良が走っているところなど想像もつかない。


「どうせ朝晩以外は動かないんだろ。集中してたら食事どころかトイレにすら行かないじゃないか」

「別にそれで困ることはないからな」

「普通の人間はいくら集中しててもトイレには行きたくなるし、そんな不摂生なことしてたらヘルスチェックで引っかかって困ると思うんだけど。……彰良専用の特別な基準値でもあるのか?」

「そんなものはないが、医師に逐次管理されてるからな」


 それはそれで特別待遇だ。普通であれば体調管理も自己責任で、特別な理由もなくヘルスチェックに引っかかるとペナルティがあったり、医師の診断で就労不可となると一切の報酬が受け取れなくなったりする。ただ彰良の場合は働けないと困るから、そうなる前に管理しているということだろう。


「羨ましいな。定期的に瑠璃さんに会える?」


 何気なく聞いたのだが、彼は一瞬だけ固まったように見えた。彼も瑠璃のことが苦手なのだろうか。悠真は彼女のことは話しやすい良い医師に見えるのだが、那月や他の人間に聞いて良い評判が返ってきたことはない。


「ああ。わざわざ部屋まで訪ねてくるよ」

「ここに?」


 医師が悠真の部屋に訪ねてくるとしたら、部屋で倒れていて動かせない時くらいだろう。それを考えると、やはり彰良は特別なのだと改めて思う。


「羨ましいな」

「何が?」


 思わず呟いた言葉に真顔で返され、悠真は首を横に振る。


 瑠璃は魅力的な大人の女性だ。こんな密室で二人きりだなんて羨ましいと思ってしまったが、彰良は昔から那月以外の女性に興味を示したことはなかったし、本当に悠真の部屋に彼女が来られてもなんとなく困る気はした。彼女に診察室にいるときのような密接な距離感で来られると、色々な葛藤と戦う必要に迫られる気がする。


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