あきらのディストピア(4/4)
——彰良のことも悠真のことも、どちらも大好きよ、と。
そう言った那月の唇を強引に塞いだ。
悠真と那月はとても仲が良いし、はたから見てもお似合いの二人だと思っていた。明るくていつも笑っている二人は皆からも愛されているし、優しい二人はお互いを大切に思いやっている。そんな悠真と那月が、彰良のことも大切に想ってくれていることは分かっていたが、それでも彰良は悠真に那月を取られたくなかったのだ。
やめて、と抵抗する彼女をベッドに押し付けて、愛を囁く。無理やりに服を脱がせて、肌と肌を触れ合わせた。
取り返しのつかないことをしているという思いと、体を突き動かす衝動。那月の苦悶する表情に、熱くて柔らかい白い肌。そして、生まれ落ちた瞬間から体に降り積もっている虚無と絶望感。
いろんな感情が一気にふきだして、ただただ熱く体の中で暴れた。自分でも半ばわけがわからないままに、彰良は欲望の全てを彼女にぶつけていた。
最初はなんとか逃げだそうとしていた彼女だったが、すぐに抵抗をしなくなった。それは彰良を受け入れたわけではないだろう。彼女はただ声を殺して、一方的に与えられる暴力に耐えていたのだ。
——自分の昏い欲望が果てると、残ったのは静かに泣いている那月の姿と、元の関係には戻れないのだという後悔だけだった。
逃げるように那月の部屋を出て、鍵をかけて自室にこもった。もう二度と那月は彰良に会ってくれないだろうし、彰良も那月に合わせる顔などない。もう死んでしまいたいなどと、本来傷付けた側の彰良が思うことなど許されないことを考えて、水も食事も着信もとらずに部屋にロックをかけてこもっていると、何日目かには船長だのお母さんだの教師だのがドアを壊して押し入ってきた。
気づけば病院で点滴に繋がれており、翌日からは船長命令で病院に入院させられ監視されたまま強制的に職場へと連行されるようになった。全く自由はなかったが、那月とも悠真とも顔を合わせずにすむ生活に、実のところ安堵していた。だが、体調が回復した後も病院にいるのはさすがに邪魔だったのか、しばらくすると医師の許可が出たなどと言って寮の部屋に返されてしまった。
子供達が集団で暮らす寮のような建物で生活していれば、当然ながら那月や悠真と顔を合わさないというのは難しい。彰良は那月に会いたくなかったが、那月の方がもっと彰良に会いたくないだろう、となるべく部屋を出ることを避けていたのだが、それでも全く部屋を出ないわけにもいかない。
何日かめの朝に、彼女はなぜか彰良の部屋の近くの廊下に立っていた。
「おはよう」
にっこりと笑った彼女に、彰良は心臓が止まるかと思った。少しぎこちなくは見えるが、ほとんどいつもと変わりはしない屈託のない笑顔。声も返せずに、呼吸すらできずに止まっている彰良をみて、彼女はゆっくりとこちらに歩いてきた。
「もう体調は大丈夫?」
なぜ彼女が彰良の体調を心配しているのだろう、とわけがわからずに彰良は立ち尽くす。何も声が出せない代わりに、ただ頷いた。那月はそれで満足したのか、少しだけ微笑むとそのまま立ち去ろうとした。
彰良は慌てて彼女を呼び止める。那月が振り向いたのは分かったが、彰良は目を伏せたままで、彼女の顔を直視することはできなかった。
「……ごめん」
しばらく何も反応が無かったのだが、うん、と言われて顔を上げる。そこにあった那月の表情は、切ないとも悲しいとも安堵ともつかないそんな複雑なもので、だがそんな表情さえ魅力的に思えてしまって、彰良はそんな自分が信じられなくなる。
「私も大丈夫だから」
彼女はそれだけを言うと、くるりと背を向けた。
——それ以来、那月はまるで全てがなかったかのように、これまで通りに彰良に接してくれていた。悠真もどこまで事情を知っているのか知らないが、彰良が体調を崩した理由も急に那月や悠真を避け始めた理由についても聞いてこなかった。しばらく遠巻きにしているように見えていたが、気づけばいつのまにか当たり前のように隣にいて、当たり前のように笑いかけてくれる。
それは取り返しのつかないことをした、と考えていた彰良にとっては何よりの救いではある。
——ような気はする。
のだが、これが本当に彰良の望みなのだろうか。
無理やり乱暴をしておいて言えることではないが、彰良はただ性的な欲望を満たしたかったわけではない。那月の体だけ奪ってしまえば良いなどと考えたこともない。全てがなかったことになる、ということを望んで行動したわけでもないのだ。
彰良は那月の全てが欲しかったのだし、キスをすることで、体を繋げることで何か那月に自分の痕を残したかった。いくら好きだと言っても、友人か兄弟のようにしか接してくれない彼女に、真剣に彰良のことを見て欲しかったのだ。できれば無理やりにでも那月の頭の中から悠真を消してしまいたいと、そんなことを思っていたのかもしれない。
そしていつも優しくて明るい悠真に対しても、彰良に対して何らかの感情——怒りやできれば嫉妬心を抱かせたかった。那月を傷つけたことに対して、彼に殴られても軽蔑されても良いと思っていたのだ。
那月が彰良のことを受け入れてくれるのか、それとも彰良のことを憎んで嫌うのか。悠真が那月のことを諦めるのか、それとも彰良と友人でいることを諦めるのか。彰良はいっそどちらかの答えが欲しいのに、二人とも全てに蓋をするように振る舞っていて、何ら答えを与えてくれない。
彰良は那月を愛しているし、悠真を一番の友人だと思ってもいる。だが那月のきらきらとした笑顔も、悠真の楽しそうな笑顔も、眩しすぎて壊してしまいたくなる時がある。彼らのその笑顔の向き先が彰良でないのなら、余計にだ。彰良との関係も含めて全て修復不能なまでに壊してしまいたい。
そうして彼女たちが彰良の中からいなくなれば、もうここで生きている理由など彰良にはないのだ。
——いっそ船ごと消えてしまおうか。
そんな昏い妄想をしてしまう瞬間さえある。彰良がその気になりさえすれば、簡単にこのノアは沈む。制御室で少し居住区の酸素濃度を下げさえすれば全員を一気に殺せるのだし、少し航行の軌道を変えれば、小惑星に頭から突っ込めるのだ。もちろんそうした攻撃を想定してシステムにもさまざまな安全装置やトラップは仕込まれているが、それらも彰良は解析できる自信がある。
そんなことを考えて、彰良はひとりで笑う。
いつそんな衝動に駆られないとも限らない。那月のことだって、ずっと彼女を自分のものにするような妄想はしていても、まさか本当に彼女を泣かせることなどあるはずがないと思っていたのだ。自分が一番信用できないのは、他でもない自分なのだと思う。
本当に農夫にしてもらえないだろうか。
そんなことを切実に願う自分は、結局のところ何を望んでいるのか、自分でもさっぱり分からなかった。