なつきの迷い込んだ先は(4/4)
部屋を訪ねてきた悠真を見て、那月は思わず固まってしまった。
日も落ちていた時分にも関わらず、眩しいまでの金髪が目に飛び込んできたのだ。那月を見下ろしている瞳が、まるで別人のような綺麗な青色でどきりとする。
「お邪魔させてもらっても?」
彼はドアを開けたまま目を丸くしている那月を見てか、楽しそうに笑っていた。那月は彼を部屋に招き入れながら、彼を見上げる。
二年もずっと見慣れていたプラチナブロンドと、それに合わせていたグレーの瞳は、彼を大人っぽく涼しげに見せていた。だが、今の金髪は柔らかくて、落ち着いて大人びても見えるし、明るくて若く見えるような、そんな不思議な雰囲気だ。
「もちろん。……びっくりしちゃった」
「似合わないか?」
「ううん。似合ってる。悠真は本当に格好良いね」
手を伸ばすと、彼は笑ってから少し頭を下げる。金色のさらさらとした髪に触れると、彼はくすぐったそうに笑った。
「前のとどっちが良いと思う?」
「どうかな、見慣れないからまだ違和感があるんだけど。でもこっちも好きだよ」
「うわー、はるま、キラキラしてる!」
飛びついてきたユキを抱き止めると、ユキはそのまま那月の腕を経由して悠真の手の中に収まった。
「おかえり。今日はいつもと違うね。どうしたの?」
「気分転換にな。ユキは前の方が良かったか?」
「ううん。金色も格好良いよ。ユキもおんなじにしたいなあ」
悠真の顔に鼻先をつけながら、そんなことを言ったユキに悠真は笑う。彼は綺麗なクリーム色をしたユキの毛を撫でながら首を傾げた。
「ユキも金色にしたいのか?」
「似合うかなあ」
「うーん、似合うとは思うけど、俺は今のままのユキが好きだな」
彼はそう言ってから、ユキを片手に抱いたまま服のポケットに手を入れた。そして出された片手には小さなフレームが握られていた。彼は黒縁のメガネを指で摘むと、そのままユキの顔に乗せる。透明なレンズ越しに、ユキのまんまるの黒い瞳が瞬きをするのが見えた。
「金色にしなくても、これで俺やなつとおんなじだよ」
「わあ!」
興奮したような声と共に、ぴよんと耳が立つ。
「やったあ。かわいい? かわいい?」
「うわあ、可愛い」
那月は悠真の手の中に収まっているユキをまじまじと見下ろした。悠真は注文したパーツの届け先をそのまま悠真の部屋にして良いと言ったので、実物を見るのは初めてだ。ユキの顔のサイズを測って作ったメガネは彼女にぴったりで、完全にイメージ通りの出来に仕上がっている。
「すごい、上手に出来てるね。ありがとう!」
「ありがとう!」
那月の言葉を真似するように言ったユキは、悠真の手から飛び降りると、よほど嬉しかったのか床の上でぴょんぴょんと跳ね回る。うまく調整されているようで、跳ね回っても顔の上から落ちる様子はない。
「俺はなつが準備したパーツを組み立てただけだよ」
「でも、わたし一人じゃ頑張っても組み立てられなかったもの」
「そうかな? あきならともかく——」
意識して出た言葉ではなかったのだろう。悠真は一瞬だけ気まずそうな顔をした。久しぶりに彼の口から出た彰良の名前に那月もどきりとしたのだが、やがて彼は何事も無かったかのように言葉を続けてくる。
「なつは器用だからな。ちょっとした説明で簡単にやれるよ」
彰良と比べたら、ということだろう。確かに彼の手先は不器用だというか、あんなに鮮やかにキーボードを叩いているのにも関わらず、機器の扱いは苦手だった。何かを修理したり増設したりしようとするたびに機器を破壊していくものだから、先生からもう何も触るなと言われていたほどだ。
悠真がそれを茶化すたびに彰良は顔を顰めていたが、実際は全く気にしてなかっただろう。
彰良が天才であることは周知の事実であり、たまにそれを気に入らない誰かが彰良の出来ないことを並べ立てたりもすることもあるのだが、当の本人は全く気にした様子はなかった。苦手なことは悠真や那月に任せるよ、というのが彼の口癖だったし、代わりに俺にできることならなんでもやるよと彼はいつも言ってくれていた。
彰良と悠真は本当に正反対だったから、二人がいればなんでも出来るような気がしていたのだが、それならば那月はなんのためにそこにいて、彼らのために何ができていたのだろう。もしかしたら自分の存在は彼らの関係を引き裂いただけなのではないか、という気もしていて、そんなことを思うたびに気分が沈む。
「それなら自分でやった方が良かったかな。悠真に時間を取らせちゃった」
「そういう意味じゃないよ。俺はプロだから一瞬で終わるもん」
なぜだか腕を曲げて力こぶを作ってみせた悠真に、那月は首を傾げる。
「一瞬ってどれくらい?」
「これは二十分くらいだったかな」
「うわあ、本当にプロだね」
悠真を真似して腕を曲げてみたが、当たり前だが彼のような筋肉はない。なんとなく自分の腕を見下ろしてから、悠真の腕に触れる。筋肉がついて引き締まった白い腕は触るととても固い。彼が腕に触れた那月の指を見ているのに気づいて、軽く笑って見せる。
「わたしも悠真みたいに体を鍛えれば、二十分で出来るようになれるかしら」
はは、と彼は声を出して楽しそうに笑う。
彼の部屋には体に負荷をかけるための器具がいくつも置かれている。悠真はメガネをかけて仮想現実の中にいながら、同時に体も鍛えているらしい。いつも彼はそうやって心身の健康を維持しているのだろう。仮想空間を分析するシステムが弾き出す彼の心理的なスコアはいつも満点に近く、ヘルスチェックの結果も常に満点だ。船長などは知能テストの結果が低い悠真をいつも軽視するが、衰えていくノアに必要なのは悠真のような人物ではないだろうか。
「体を鍛えて上達できるなら、簡単に満彦さんを倒せるんだけどな」
先輩の整備士の名前を出した悠真に、那月は首を傾げてみせる。
「鍛えなくても、そろそろ倒せるんじゃない?」
「まさか。あの方は俺なんかとは違って本当のプロだもん。あと十年経っても追いつける気はしないな」
そうなのか、と那月は少しだけ驚く。
那月から見れば悠真も十分に職務を全うしており、それでもあと十年経っても追いつける気がしない先輩というのはすごいことだという気がした。特に満彦はすでに四十は超えていたはずで、ここでは若いほど優秀でパフォーマンスが出やすいと言われることの方が多いのだ。
悪戯っぽく片目を瞑った悠真がいつものようにベッドに腰掛けるのを見て、那月は慌てて椅子に座った。部屋に招き入れるのも忘れて、ずっと部屋の入り口で立ったまま話をしていた。
「ごめん、食事の注文もまだだったわね。何食べる?」
「なつと同じやつ」
「わたしは今日はスープの気分なんだけど」
モニターに映るメニューの一つを指差しながら言うと、彼は頷く。注文を入れていると、端末を操作している手元にミフユがやってきた。その黒いネズミの頭には、ちょこんと白いメガネが乗っている。
「うわあ、ミフユもメガネだ!」
思わず那月があげた声に驚いたのか、ミフユはぴゅっと戻っていってしまった。咄嗟にユキの足元に隠れるようにした黒ネズミは、「メガネ?メガネ?」と覗き込もうとしたユキの前足にぶつかってころんと転がる。悠真は笑いながらそれをすくい上げて、那月に渡してくれた。ミフユ用のメガネもフレームだけを注文していたから、悠真が一緒に持ってきてくれていたのだろう。
「可愛いな、似合うね」
「ミフユもお揃いだね。ねえ、なつきもかけてみて!」
机の上にあったメガネを持ってきたユキに笑って、那月はメガネをかける。透明なレンズ越しにメガネをかけたユキとミフユを見下ろすと、ユキは楽しそうにぴょんぴょんと跳ねた。それを微笑ましく見ていると、わあ、とユキが声を上げる。
「はるまもお揃いだね。みんな一緒で家族みたい」
そんな言葉に悠真を見ると、こちらを見ていた彼の青い目と視線が絡んでどきりとした。
ドアを開けてぱっと見たときにはまず髪の色が目を引いたが、改めて見るとレンズ越しにでも瞳の色が変わったことの方が印象が違って見える。普段は見ることのできないメガネをかけた姿も珍しく、別人と向き合っているような気分になった。どきまぎとしている那月に気づいているのかいないのか、彼はユキに視線を落としてから、いつもの笑顔でにっこりと笑う。
「ユキがお揃いがいいって言うから俺も持ってきたよ」
ありがとう!と言ってしっぽを振るユキを抱き上げると、悠真はおもむろにその頰にキスをする。
それはとても自然な仕草で、それを見ながら那月は僅かに苦い感情が浮かぶ。おやすみと言って那月にキスをする悠真だが、もしかしたらそれはユキに対するものと同じようなものなのではないか、と思ったのだ。
そっと唇に触れるキスはいつもとても優しくて、これまで頰や髪に軽く落とされていたものとも違うし、過去に彰良に強引に奪われたものとも全く違う。肩や髪に添えられる大きな手のひらや、唇が離される時にそっとかかる吐息にいつもどきりとしてしまうのだが、それ以上、悠真が那月に触れることはない。
それで那月は、いつも自分の浅はかさを思い知るのだ。
悠真にキスをしたのはほとんど衝動的だったのだが、それはきっと悠真が自分から離れていくのが怖かったからだろう、と思っている。みんな一緒に家族みたいに、というのは那月がずっと言っていたことなのに、それで彰良だけでなく悠真までいなくなってしまうのが恐ろしくて、恋人になろうとしたのだ。
それ以前に那月が彰良の部屋の前まで会いに行ったのも、きっとどこかでそれを期待していた。彼が那月を部屋に入れてくれて、これまでのように好きだと言ってくれる。そして那月のことを求めてくれるのであれば、今度こそそれを受け入れるつもりだった。これまで通りに彰良と一緒に過ごせるのであれば、関係性などなんでも良いと思っていたのだ。
家族と恋人の違いなんて、実際のところ那月には分からない。
キスをして体の交わりがあれば恋人になれるのか、そういう問題ではないのか。そもそもこの世界に家族や恋人なんて枠組みは存在しないのだから、那月が勝手に単語に囚われているだけなのかもしれない。なんにせよ悠真は那月の体など求めては来なかったし、変わらず優しい家族のように振舞ってくれている。彰良の方は、すでに那月のことなど好きでもなんでもなくなってしまっていたのだろう。那月を見る視線もただ困ったようなもので、かつて那月の体に触れた時のような熱さもなかった。
——娼婦にしてやる、と言ったのは船長だったか。
那月を欲しがる物好きは多そうだと彼は言ったが、果たして本当にそうだろうか。恋愛感情、というより単に体で繋ぎ止められないかと考えた自分は、本当に馬鹿みたいだ。




