なつきの迷い込んだ先は(2/4)
朝の七時に起こされて、九時までには職場に移動して職務を開始する。簡単な食事の時間だけを挟んで、きっちり十八時まで働いてから、自室に戻る。そこからは基本的には自由時間になるのだが、二十二時までには自室にいる必要がある。そして二十四時になると部屋の中の全ての電源が落ちて使えなくなるのだ。自動的に寝るしかなくなり、またきっちり朝の七時に起こされる。
ここでは、日々こうした生活を送る。大人になってからは、死ぬまでこの毎日を繰り返すのだ。
ほんの幼い頃には教育の一環で何かしらのイベントがあったし、彰良が部屋のシステムを色々と書き換えるようになってからは、部屋でこっそり朝まで盛り上がったり、三人で色々とイタズラを計画して過ごしたりしていた。それと比べると、ただただ何のイベントも節目もなく続いていくだけの日々に、息が詰まりそうになる。
「せめて何日かに一度は働かなくても良い日があるとか、夜更かししたり寝坊しても良い日があるとか、仕事中に皆んなで外に出てもいい時間があるとか、そんな風に出来ないかな」
那月が思わず口にした言葉に、恵美と一郎はぽかんとした顔をした。
同じ監査員である二人は、最初はほとんど交流はなかったのだが、那月が昼食だけでも一緒に食べたいと訴え続けたことで、何日かに一度は同じ場所で食べてもらえるようになった。
一郎は那月より十歳ほど年上で、恵美はさらに十ほど離れている。性格もバラバラでなかなか噛み合う話題がないのだが、それでも会話は続いているし、今のところまだ一緒に食べたくないとは言われていないから、彼らもそれなりに会話を楽しんでくれているのだろうと思っていた。
「そんな時間があるとは思えませんけど。むしろ、十九時まで働けと言われるほうが、まだ確率が高いと思いますけどね」
どこか呆れたような表情で言った恵美に、うげ、と言ったのは一郎だった。
「これ以上、仕事の時間が伸びるのは勘弁だな。電源が落ちる時間も三時くらいまで伸びるなら良いけど」
「寝る時間が減るのは良いの?」
「減るっていうか、那月は零時に寝てるのか?」
「眠っているけれど」
「まじか。睡眠が七時間必要ってのは個人差だよな。俺なんかはどうせ電気もつかない部屋で起きてるんだから、もうちょっと遊ばせてほしい」
そんな言葉に密かに彰良を思い出す。
彰良も眠る必要性を感じないと言って、下手をしたら朝まで起きて何かしらのシステムを作っていた。極端な例ではあるが、確かに必要な睡眠時間はある程度、体質にも依るのかもしれない。
とはいえ、零時に電源が落ちるのは睡眠時間の確保やメガネへの過度な依存を下げるためであると同時に、慢性的な船の資源不足への対応だというから、使える時間を長くするというのは難しいだろう。彰良はあくまで特別待遇だ。
「電気のつかない部屋で何してるの?」
「何も。明かりはともかくネットワークが切れてるんだ、何も出来ないだろ。せいぜい眼鏡で見てた美女との情事の続きを一人で妄想してるくらいかな」
にやりとした顔でそんなことを言った一郎に、恵美はあからさまに嫌な顔をした。
仮想空間の中は完全に自分の妄想の世界のようなもので、他人に打ち明けないという人間が多く、恵美も自らそうした話題を語ったことはない。彼女がどのような世界を持っているのか、それは彼女にしかわからないのだ。個人情報の中でもトップの秘密事項として、内容や記録は人目に触れることはないと言われているし、メガネのログを監査する立場である監査員である那月も、特別な手続きを踏まなければ仮想空間の中でのやり取りを閲覧することは出来ない。
監査員が見ているのは、システムが集計して算出したスコアであり、その数値を見て実際に何かしらの指導が必要であれば船長に報告レポートとして提出する、というのが監査員の仕事だった。
スコアの項目は多種多様で、使用しているコンテンツの傾向やその中での発言の傾向、集中や熱中をしているか、依存しているか依存しすぎていないか、課金の状況など色々だ。常にシステムによって数値化されて個人別に蓄積されており、それらを総合的に判断する必要がある。中でも精神的に健康的な状態にあるか——テロにつながるような過激思想や、自殺につながるサインはないか、という観点でのスコアは重要で、規定値を超えると監査員の目など通さずに、すぐに船長や研究室にデータが飛ばされる。
ちなみに那月はいつも最低ランクにいるのだが、放置されているのか何も言われたことはない。彰良にいたっては子供の頃からほとんど使用した形跡がないのだが、誰も何も言わないのはもう諦めているからだろうか。スコアだけで機械的に判別しない、というのもわざわざ人間の監査員の目を通す所以だろう。
とはいえ、仕事さえすればある程度は許される——というのは、那月に対する船長の反応を見ていても良くわかる。子供の頃にはさんざん嫌われていたのだが、那月の作成する報告書については気に入ってくれているらしく、彼はたびたび那月の職場を訪れて色々と注文をつけていくようになった。代わりに仕事中に外を歩いているのを見られても、何も言われない。
「先に戻りますね。私も那月みたいに仕事がさばければいいんですけど」
立ち上がりながら言った恵美の顔を見上げる。
嫌味を言ったという表情では無いが、明らかに含みはある。競いあわせようとでも思っているのか、船長が良く那月と彼ら比較するようなことを言うので、恵美もたびたびそんなことを言うのだ。もう二十年もこの仕事をしている彼女にはまだまだ及ばないと思っており、仕事が速いのは雑なだけ、経験がないからこそ目新しいことが書けるだけだ、と思っているのだが、そうしたやりとりをするのも何度目かになると不毛でしかない。
那月がただ困った顔をしていると、一郎は軽く肩をすくめた。
「那月と比べてもな。全員が那月だったらいくらでも休む時間は作れるだろうけど、俺らみたいなのはせいぜい船長に怒られないように毎日休みなく働くだけだよ」
そんな言葉に、やはりどきりとする。
それは那月が言った、仕事をしないで済む日が出来ないのか、という言葉に対してのものなのか、もしくは那月が一人で仕事中に出歩いていることを指しているのか。
何を言えば良いのかやはり困っていると、彼も軽く手を振って自身の作業室に戻っていく。
「じゃ、また」
うん、と返してからも、那月はしばらく彼らが出て行ったドアを見つめていたが、やがてため息をつく。仕事に戻ろうかどうしようかと迷ってから、立ち上がった。
「……ミフユ、お散歩しようか」
どうせ今日の仕事はほとんど終わっている。
そんなことを言ったら、きっと余計に嫌われてしまうのだろう。せめて彼らに気づかれないようにと、そっと部屋を出ていった。




