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なつきの迷い込んだ先は(1/4)



 どこまでも深くて暗い闇と、小さく儚いようでもそこで際立つ光たち。


 自分の輪郭が消えて周囲の黒に溶けていく感覚は、昔、懲罰室に入れられていた時のことを思い出させた。狭い部屋に閉じ込められているのに、途方もなく広大な宇宙空間に一人で放り出されているような気持ち。懲罰というくらいだから孤独や不快を感じさせる場所のはずだが、頭の中は空っぽになっているか、それとも空想で無限の物語が紡がれているかで、不思議と嫌な感じはしなかった。


 ふわふわと光と闇の間を漂っていた那月だったが、メガネを外すと、煌めくような宇宙空間は一瞬で消えた。代わりに白い天井が現れ、ふわふわと身を包んでいたのは白い星雲ではなく、柔らかい寝台なのだと気づく。代わりに体の上にはユキのふわふわでクリーム色の体があった。


 まんまるの瞳が真上から覗き込んでくる。


「おかえり、なつき」

「ただいまユキちゃん。寂しかった?」

「ううん。ミフユと遊んでたから。なつきは楽しかった?」


 うーん、と那月は首を捻る。


 那月がメガネをかけるのは、半ば義務のようなものだ。昔からメガネをかける時間が短いといってお母さんに叱られており、毎日少しはメガネ越しの世界を覗くようにしている。楽しくないわけではないが、何も言われなければ使いはしないだろう。


 メガネをかけるのは娯楽のはずなのに、何故それを強制されなければならないのか——と。


 そんな疑問に答えてくれたのは、すでに大人に混じって制御区に出入りしていた彰良だった。


 仮想空間は狭く退屈な船の中で快適に暮らすための選択肢であると同時に、全ての不満や思考や欲望の受け口になっている。みんなは仮想空間で暮らすために現実世界で食事をして仕事をするのだし、メガネを取り上げられたくなくていい子にしているのだ。そのためにも映し出す世界にはある程度の中毒性を持たせているし、同時に思考の矯正も行っているのだ、と彰良は言った。


 仮想空間では人工知能が各個人の反応や選択を学習して、自分だけの自由で無限の世界を作っていくのだと思われている。が、実際には制限が多いどころか誘導的ですらあるらしい。自分が選択していると思っている思考が、機械によって恣意的に誘導されたものかもしれない——なんて思えば、さらに見たくもなくなったのだが、使わなければ使わないで怒られる。だからいつも那月は宇宙を漂っていたり、空を飛んで広い荒野を旅したり、そんなコンテンツだけを選んで使用していた。


「ユキもそれかけてみたい」


 小さな仔犬にそんなことを言われたので、那月は笑いながらユキの顔にメガネを乗せてやった。当然、耳にはかからないのだが、フレームがふわふわとした毛に埋まっている。ユキがバランスをとっているのだろう。うまい感じで乗っかった。


「似合う?」

「似合う似合う」

 

 可愛い顔にメガネが乗せられてとても可愛い。笑いながら手を叩くと、ユキは嬉しそうに跳ねてメガネが落ちる。拾ってまた乗せてやると、ユキは前足をメガネにかけた。


「これはどうやったら映像が見られるの?」

「これは私じゃないと見られないの。認証がかかっているから」

「ええー」


 表情はさほど変わらないはずなのに、それでも少しずつの顔のパーツの動きで、十分に頬を膨らませたような感じに見える。そんなユキの黒い瞳を見てから、那月は「可愛い」とぎゅっと小さな体を抱いた。


「今度、ユキでも見られるものを悠真に作ってもらえるか聞いてみようか」


 虹彩認証で本人確認をしているから、那月のメガネは那月にしか使えないのだが、ユキに見せるのは別に本物の仮想空間でなくていいだろう。メガネ型のフレームと映像を飛ばせるレンズがわりのディスプレイをプリンタで作っておけば、組み立てるのはきっと悠真がやってくれる。


 悠真もユキのことが大好きで、先日のみんなの誕生日の後には、ユキにも誕生日プレゼントだと言って可愛らしいチャームを作ってくれたのだ。ユキはとてもそれを気に入っていて、いつも首から下げている。


 首につけられた銀色の鈴のようなものに触れると、しゃらりと小さな音が鳴った。


「やったあ! なつきやはるまとお揃いだね。ミフユのは?」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねたユキから落ちたメガネを拾ってから、今度は自分の顔にかける。スイッチを入れなければただのガラスだ。フレーム越しに小さなねずみ(ミフユ)を見る。


「ミフユのかあ……」


 ユキと違い、手のひらにのるサイズのミフユのメガネはかなり小さくなる。組み立てるのも大変そうだと悩んだが、ミフユになら別にレンズを入れる必要はないだろう。小さなフレームだけなら材料費もかからないし、プリンタで簡単に作れる。


「分かった。今度ユキのとミフユのを準備するね」

「楽しみだなあ。はるまは明日くる?」

「それは分からないけど、もし明日悠真が来たとしてもメガネはまだ準備できないわ。材料を注文するからもう少し待ってね」

「待ちきれないなあ。でも、メガネがなくてもはるまには会いたいな。メッセージ送ってもいい?」


 たまにそんなことを言って、ユキは那月の端末を経由して悠真にメッセージを送っている。悠真に迷惑ではないかと聞いてみたが、全くそんなことはないと言われたので、お母さんのような気分で微笑ましく見守っているのだ。


「なんて送るの?」

「だいすきだよって。もう送っちゃった」


 そんなことを悪戯っぽく言ったので、端末を覗こうとすると、同時に通知音が鳴った。見てみると、ユキの送ったメッセージの後に、すぐに『俺もユキのこと好きだよ』とメッセージが返されていた。


 こんなにすぐに返事をくれたということは、彼も自室にいるのだろう。外で誰かと一緒にいる時には悠真は通知を見ないらしいから、返信があるのは少し遅い時間になる。


「やったあ」


 ぴょんぴょんと部屋中を飛び回るユキを見ながら、那月はなんとなく苦笑した。


 ユキが送ったメッセージは一言だけで、名前も書かれていない。通知は那月の名前になっているだろうが、それでも悠真にはそれがユキが送ったものだとすぐに分かってしまうのだ。


 たしかに那月がなんの脈絡もなく『だいすき』だと送れるわけもなく、そもそもこんな中途半端な時間にメッセージを送ること自体がないから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。


 誰かと食事をしてきた悠真に『返信が遅くなってごめん』と謝らせるのは申し訳ないからと、那月が連絡を取るのはいつも仕事が終わった直後か、全ての電源が切れる零時の直前にしている。明るい悠真はいつも人に囲まれているし、彼自身も積極的に色々な人に声をかけて夕食を一緒に取っているのだ。そんな悠真の時間を独占するのは申し訳がなく、那月としては毎日でも会って話がしたいのだが、そんな我儘を言えるわけがない。


「明日の夜、会える?」


 那月の心を読んだかのようなタイミングで、悠真から追加のメッセージがきた。那月は嬉しくなると同時に、少しだけ申し訳ないような気持ちになった。


 ユキからのメッセージは、会いに来て欲しいという催促に感じさせただろうか。


「もちろん! 楽しみだな。ユキも待ってるよ」


 何を返そうかと迷っているうちに、勝手にメッセージが送信されていた。視線を上げると、ユキのなんだか勝ち誇ったような顔が見えて少しだけ笑った。那月が返事を迷っていたのを察したのか、それとも単に那月より先に返信ができたことを嬉しいと感じているのか。


「いつもの時間と場所で」


 そんな短い返答に、那月も短く了承の返事を返す。


 疲れているなら気を遣わないでね、とか、忙しいなら無理しないでね、とか、そんな言葉はメッセージにせず飲み込んだ。優しい悠真には余計に気を遣わせるだけだろう。実際に疲れているように見える時もあるし、そういう時には無理して那月の部屋を訪ねてくれているのではないかと心配になるのだが、だからと言って本当に会えなくなるのは寂しい。


 ——悠真に会えれば会えたで、今度は彰良のことを考えて寂しくなるのだが。


 那月はぎゅっと温かなユキの体を抱く。


 しばらく会っていないにも関わらず、彼とはつい先日、別れたばかりのような気がしてしまう。寮にいた頃は当然のように三人で一緒にいた。悠真がいると、そこに彰良がいると感じてしまうのだし、一緒に訪ねてきてくれるのではないか、なんて考えてしまうのだ。何も言わないが悠真もそれを望んでいるような気がして、余計に二人きりの空間を寂しく感じてしまう。


 また三人で昔のように話をすることはできないのだろうか。


 大人になったら、と彰良は言ったが、大人にならないといけないのはきっと彼でなく那月の方だ。那月が大人になるまで彰良に会えないのだとしたら、なんとなくもう二度とら会えないのではないか——なんて、そんなことを考えてしまって、いっそう気分が暗くなった。


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