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はるまの迷い込んだ先は(4/4)



「メガネの中では好みの男性は選べるし、裸も眺められるけれど、実際に触れられはしないものね」


 彼女はそう言って悠真の首に触れたので、その指先の感触に悠真は思わずびくりと体を震わせる。じっと悠真を見ている瞳や彼女の赤い唇から視線を落とすと、今度はその下の白い首筋や鎖骨の形や胸元のラインなどが目に入る。


 目のやり場に困って、そしてどんな表情をして良いのか迷ってから、悠真は困ったように笑って見せる。


「また純粋な少年をもてあそぼうとしてない?」

「あそんでくれる?」

「瑠璃さんは好きな人はいないの?」


 瑠璃は少し驚いたような顔をしてから、楽しそうに笑った。自然に悠真から手を離したので、密かにほっと息を吐く。触られるのが不快だというわけではないのだが、緊張して体に変な力が入ってしまう。


「そんなこと初めて聞かれたわね。ここで人間相手に恋愛をしてる人ってあんまり見たことないもの」


 そうかもね、と悠真は頷く。


 彰良は昔から那月を女性として見ていたのだが、他にあまりそうした話は聞かないし、特定の恋人がいる人もほとんどいない。そもそもの人口が少ないから、相手も限られるし、そうでなくとも恋人なんて簡単に手に入る。


「俺もここじゃないところで完璧な恋人が待ってるもん」

「あら、浮気してるの?」

「え、そうなる? 相手は人工知能かプログラミングされたシステムでも?」

「でも那月ちゃんより可愛い女の子でしょ?」

 

 那月、という名前を出されてどきりとする。これまで悠真の方は彼女の名前を出してはいなかったが、話を聞いていれば相手が誰かはすぐに分かるだろう。医師である瑠璃は全員の情報を把握しているはずだし、そうでなくても悠真だって三百人もいない住人の名前くらいはほとんど把握してる。


 別に知られたところで困るわけではないのだが、気恥ずかしい思いはある。悠真は少し考えたが、結局は彼女の名前を出した。


「うーん、なつより可愛いって言うより、なつに似てるって言ったら気持ち悪い?」


 仮想空間では理想の相手を作り上げることもできるのだし、そうでなくともシステムが勝手に悠真の理想の相手を作ってくれる。悠真は別に自分で何かを選択したつもりはなかったのだが、目の前に現れた仮想の恋人はどことなく那月に似ていて、年を追えば追うごとに那月に見えてきている。


 悠真の妄想を形にしたようなもので、どこか後ろぐらく、那月本人には口が裂けても言えやしない。


 瑠璃は呆れたような顔をしたが、やがて笑った。


「気持ち悪くはないけれど、私が彼女だったら眼鏡を踏み抜いてるわね」

「え、なんで?」

「だって自分と同じ顔で、完璧にあなた好みに振る舞う女性が、いつでもそばにいるわけでしょう? 会話をしたって絶対に仮想の彼女の方が飽きさせないし、相談しても欲しい答えを必ずくれる。本物に勝ち目なんてないもの」


 そんなこと考えたこともなかったが、言われてみるとそうかもしれない。那月の方にはもしかしたらとても理知的で紳士的で優しい完璧な恋人が待っているかもしれず、たしかにそんなの悠真に勝ち目があるはずはない。


「勝てるとしたら、生身の体があるってことだけね。体温と匂いと柔らかさ。——さっさと押し倒しちゃえばいいのに」


 そんなことをあっけらかんと言われて、悠真は声を出して笑った。


 目の前にいる那月と、仮想空間の中にいる自分だけの完璧な恋人。全く比べるつもりはないのだし、別に体があるから那月が好きだというつもりもないのだが、悠真が求めているのはやはり那月で、仮想空間の中にいたところで完全に満たされることなどない。


「そうだよね」


 だが口ではどう言っても、やはり一線を越えるのは恐ろしいのだ。


 ずっと三人で家族のようにと那月は話していたが、誰よりそれを望んでいたのは悠真だったかもしれない。最初にキスをしたのは悠真の方だったが、本気で彰良から那月を奪いたかったわけではなかったのだろう——と、今更ながらに思ってしまっている。悠真は那月と同じくらいに彰良のことも好きだったし、那月も二人のことが好きだと言ってくれていた。


 そして家族であれば何があってもずっと一緒にいられる気がしていたのだが、恋人になっても、那月は悠真とずっと一緒にいたいと思い続けてくれるだろうか。そこまでの魅力が悠真にあるとはとても思えないし、彰良の代わりになれる気もしない。飽きられてしまえば、好きでなくなってしまえば恋人としては終わりなのだと思うし、一度恋人になってしまえば二度と家族に戻れないような気もしている。


 彰良は三人でいることに疲れたと言っていた。


 彼はきっと三人で家族としてではなく、那月と二人で恋人として過ごしたかったのだろう。そんな中でずっと家族ごっこをしていたいのは悠真ひとりで、彼を疲れさせているのも悠真なのだと思うのだが、それでもふと自分も疲れると感じる時はある。


 ずっと仮想空間の中で暮らしていれば、そもそも家族も友人も必要ないのだ。嫌われるかもしれないという不安も、一人になってしまうという恐怖もない。面倒くさいと感じることも、退屈だと感じることもない。完全に満たされはしなくとも、それが最適解である気もして、全てを放り出してしまいたいと思う時もある。


 ふと考え込んでしまって、気づけば瑠璃の食事の手が止まっていた。悠真の話に耳を傾けてくれ、その合間にゆっくりと食事を進めているように見えていたが、とっくに食べ終わっていたのだろう。気づけば食堂には二人以外に誰の姿も見えない。


 じっと悠真を見つめていた瑠璃に、悠真は改めて姿勢を正す。


「今日は食事に付き合ってくれてありがとう。誘っちゃって迷惑だった?」

「そう思う?」

「そう思いたくはないけど、瑠璃さんもメガネの中に完璧な男性が待ってるかもしれないし」


 悠真がそういうと、瑠璃は楽しそうに笑った。


「もちろん。私も理想の男性達が寝室で待ってるわよ」

「たち?」

「いつも私を奪い合ってるの。——別にそんな趣味をしてるつもりはないのだけど、眼鏡がそれを見せるんだから、それが私の妄想なのかしら」


 そんなことを言われて、悠真も笑ってしまった。


 恋人やストーリーなどもある程度は自分で選ぶのだが、こちらの反応を学習してどんどんとアレンジされていく。眼鏡がそれを見せると言うことは、たしかにそこに瑠璃が反応しているということなのだろう。


「それならなおさらごめんね、時間をとらせて。長々とつまらない話をしちゃったな」


 半ば冗談でもなくそう言った。


 彼女の言葉ではないが、仮想空間の中にいる彼らに悠真などが勝てるはずはない。見た目も声も性格も全てが彼女のために作られた恋人なのだ。恋人だけでなく、そこは家も家族も空間も全てが自分のために作られた居心地の良い世界で、だからこそ今この食堂には二人以外には誰もいないのだろう。


 居住区で唯一の食堂であるにもかかわらず、ここが賑わっているのを見たことがない。大半は食事を自室で取ることを選択しているのだろうし、きっとそれは眼鏡をかけたまま食べられるからだ。たまに悠真も誰かを食事に誘うことはあるが、食事を終えるとみんな我先にと部屋に帰っていってしまう。それは寂しい気もするが、悠真自身も部屋に戻れば眼鏡をかけて彼らのことなど忘れてしまうのだから、お互い様だろう。


 悠真の言葉をどう捉えたのか、瑠璃は首を傾げた。少し考えるようにしていたが、やがて口を開く。


「正直なところを言えば、自分以外の女性の話なんてされても、心底興味ないのだけど」

「わお、本当に正直だね」


 思わぬ言葉をかけられて、悠真は傷つくというよりも笑ってしまった。そんな悠真を悪戯っぽく見つめた瑠璃は、赤く塗られた唇の端をあげる。


「でも興味のない話を聞ける機会なんてそうないわ。眼鏡の中の世界では、自分の興味を惹くモノだけが選定されて、目の前に提供されるのだもの。——そんなの逆につまらないと思わない?」


 悠真は思わずぱちりと目を瞬かせる。


「あっちも刺激的だし、飽きさせないように思いもよらぬことは起こるけどね。でも結局は自分のために作られていて、全て都合の良いところに収まるもの」


 そんな言葉を聞いて、だが、だからこそ自分も含めて皆は仮想空間で過ごすのだ、という気もした。現実は自分の思い通りにならないことばかりで、偽物だと分かっていても、全てが都合良く作られた場所が心地良い。


「……それが瑠璃さんにはつまらないの?」


 そう尋ねると、彼女は首を傾げる。


「悠真くんも同じじゃないの? そうでなければ、話も相談も仮想の彼女にすれば良いもの。それとも生身の体を期待してた?」


 瑠璃の言葉に、力いっぱい首を横に振る。


「そんなことはない……けど、瑠璃さんと同じかどうかは自信がないな。たまに仮想空間の中から一生出たくないと思っちゃうし」

「それは当然よね。そのために作られてる世界だもの。それでもちゃんと出てこられてるから、すごいんじゃない?」


 彼女はそう言ってから、立ち上がる。


「気が向いたらまた誘ってね。人工知能が思いつかないような、つまらない話を楽しみにしてるわ」


 皮肉なのかとどきりとしたが、悪戯っぽく笑んだその表情は楽しそうに見える。また誘って、とわざわざ言ってくれたのだから、本当に誘っても大丈夫なのだろうか。


「それならまた今度」


 悠真の言葉に、彼女はにっこりと猫のように笑ってから、食堂を出ていった。


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