はるまの迷い込んだ先は(2/4)
悠真が向かっているのは、居住区の中にある非常区画の一つだった。
悠真達の暮らす円筒型の船は、居住区と基盤区と制御区でそれぞれ円形に区画が切られているのだが、非常事態が発生した際などには居住区の中もいくつかに区切れるようになっている。例えば火事や何かしらの薬品が漏れ出た場合など、その区画を隔離して丸ごと犠牲にしても、他の区画にいる人間や制御区や基盤区などに影響が出ないようにしているのだ。
もちろん悠真はこれまでそんな事態に遭遇したことはないし、普段は一続きの地面に突如、空まで続く巨大な防護壁が登場するというのは全く想像もできない。その仕切りを作るための機器の一部に警告が出ており、どうやら部品の交換が必要だから手伝って欲しい——というのが海斗の話だった。一緒に歩きながらそんな話を聞いていると、いつの間にか沈んでいた悠真の気分もすっかり晴れていた。
部屋の中で機器とだけ向き合っているのは退屈だが、空を歩いて天空盤を交換したり、普段の生活では決して見ることのできない機器を触れるのは、この仕事の特権だと思っている。
それにこんな日が高い時分に、外を歩いている人間はほとんどいない。学生だった頃はよく小さな子供達と庭で走り回って光を浴びていたが、大人になってからは朝夕の通勤のみ外に出るという日も多いのだ。他の大人も同様で、日中はほとんどが部屋にこもって仕事をしているという中で、外を歩けるというのも大きな特権の一つだ。
柔らかな日差しと柔らかな芝生を心地よく感じながら、足取り軽く歩いていたのだが、ふと前方に人の姿が見えた。
後ろ姿しか見えないが、男性だろう。黒い髪をかなり短くしており、まっすぐに伸びた背は決して華奢には見えない。彼の首あたりに黒いものが巻かれているのが見えて、悠真はどきりとした。
「蒼太」
声をかけたのは隣にいた海斗だった。
男はゆっくりと振り返る。黒い瞳が一瞬、鋭く刺すような視線で悠真を見た気がして、悠真はやはりどきりとした。鼻筋が通り、短髪の似合う男らしい顔。雰囲気も表情も冷え冷えとしたもので、なんとなく体中の筋肉が緊張した。嫌でも彼の首に巻かれた異質な輪が目に入る。それは深い黒をした瞳の色と同じくらいに黒く、それでいてメタリックな鈍い光を放つ黒い首輪だ。
蒼太と呼ばれた男性を、悠真はよくは知らない。だが、彼の名前は聞いていたし、彼の首に巻かれた黒い輪の意味も知っている。
それはこの船で死刑に次いで重い懲罰だ。犯罪を犯した人間は、居住区の中でも隔離された上で監視のための首輪をつけられ、生活の一切が監視下に置かれる。無理に外そうとしたり、許可を与えられない場所に立ち入ろうとすると、高圧電流が流れるだとか、爆死するだとか言われているのだ。
一度取り付けられると死ぬまで外せないと言われるそれを取りつけられている人間は、現在この船に彼以外にはいないはずだ。彼は十年も前に大きな傷害事件を起こしており、すぐに事件関連のニュースは伏せられたものの、まだ子供だった悠真も当時の喧騒が記憶に残っている。
睨まれたこともあり、悠真はなかば恐ろしいものでも見るような目を向けてしまっていたのだが、隣にいる海斗は意外にも明るい調子で声をかけた。
「久しぶりだな。こんなところで何をしてる?」
とても親しげと言うわけでもないが、それでも海斗の顔には笑顔が浮かんでいたし、それを見る蒼太の視線は先ほどのような鋭いものではない。
彼らの年齢はあまり離れているようには見えないから、当然、子供の頃には交流があっただろう。そう考えると、悠真も子供の頃には同じ場所で食事をとっていた時期もあったはずなのだが、その後の事件の噂などで記憶が上書きされてしまっているのか、寮にいた頃の彼を全く思い出せない。
「お前を手伝えと言われてる」
低い声でゆっくりと言われた言葉に、海斗はきょとんとした顔をした。それから何故だか苦い顔をするのが見えて、どういう表情なのだろうと悠真は内心で首を傾げる。
「船長に?」
海斗の言葉に、男は何も答えなかった。
だが否定もしなかったということは、その通りなのだろうか。非常区画が故障したというのは確かに問題だろうが、それに対して船長がわざわざ整備士でも修繕士でもなく犯罪者である彼に手伝えと言った意図はわからない。
そんなことを考えていると、なぜだか海斗がため息をついた。
「気を遣ってもらう必要はない。俺が蒼太を手伝えば良いのか? それとも大人しく任せて帰った方がいいか?」
そんな言葉にやはり驚く。
どういうことだと思っていると、蒼太の方も反応に困っているのか、しばらく黙り込んでしまった。問いかけた海斗も何も言わないので、悠真にとっては訳がわからないだけの沈黙が続く。やがて、蒼太が短く言った。
「俺が一人でやる」
わかった、と言った海斗はやはりため息をついていた。
仕事を取られて怒っているのだろうか、と思ったのだが、彼はしばらくしてから人の良さそうな顔で笑った。またな、と言った彼の顔も、怒っていると言うよりもどこか人当たりの良いもので、それが彼の本心からの笑みなのか、作られた愛想笑いなのか悠真には分からない。
「俺は別に気にしてない。今度、飯でも食べに行こう」
ああ、とだけ言った蒼太の表情は全く変わらず固いもので、こちらを見ても仲が良いのかそうでないのか分からなかった。話の展開についていけず、ただ二人の表情を見比べていると、海斗が悠真の肩にぽんと手を乗せた。
「戻るか」
そう言ってあっさりと踵を返した海斗をぼうっと見送ってしまってから、悠真は慌ててその背を追う。ちらりと背後を振り返ると、まだこちらを見ていた蒼太と目があった。
深い暗闇のような黒の瞳が恐ろしいと感じてしまうのは、彼が犯罪者だという先入観からだろうか。彼は悠真の視線を避けてか、体の向きを変えた。
「——悪いな。せっかく一緒についてきてもらったのに無駄足になった」
しばらく歩いた後に海斗が口を開いた。本当に申し訳なさそうにいわれた言葉に、悠真は大袈裟に首を横に振る。
「とんでもない。仕事中に大手を振って散歩ができるなんて最高の一日です」
大真面目に言った悠真の言葉に、海斗は声を出して笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「あの、蒼太さんとは親しいんですか?」
「そうでもないけどな。俺の方がいくつも年上だし、本当に一緒に飯を食いに行く気もない」
自分から飯を食いに行こうと言って去ってきた気がするが、単なる挨拶のようなものだったということだろうか。明るく社交的に見える海斗だが、先ほど見せた笑顔と同様に、どこまでが素なのかよく分からないと思うことも良くある。常から一秒でも長く仮想空間にいたい人間だと公言しており、悠真が食事に誘っても付き合ってくれたことはないのだ。
「蒼太さんに任せてきて良かったんですか?」
悠真の言葉に、海斗は何故だか首を傾げる。
「任せてって言われてもな。船長が俺なんかには任せられないと思ったから、あいつに頼んだんだよ」
「は?」
この船で唯一の修繕士である海斗が信用できず、罪を犯して首輪をつけられた蒼太を信用して任せるというのはどう言うことなのだろう。ぽかんと口を開けた悠真を見て、海斗は笑った。
「知らないのか? 十年かけてレックスの修理をしたのは蒼太だぞ」
そんなことを言われてさらにぽかんとした。
五十年以上も修復できずに放置されてきたレックスを修復して稼働させたことは、ここ半世紀の中でのこの船の一番の成果だと言われていた。船長の悲願だと満彦は言ったが、悲願かどうかはともかくとして船長の手柄として持ち上げられていることは間違いない。
彰良が絡んでいると聞いていたから、なるほどとは思っていたのだが、よく考えると機器の修復を制御士の力だけでどうこうできるものではない。主体は蒼太の方だったということか。
「基盤区にも出入りできるし、俺なんかとは比べ物にならないくらいに優秀だ。間違ってもあいつが俺の手伝いをしろなんて言われるはずがないんだよ」
だからそんな言葉を言われて奇妙な顔をしたのか、と悠真は納得する。
それならば、蒼太の方がわざわざそんな嘘をついたのは何故なのだろう。彼が優秀であることを海斗は知っていたのだから、最初から『船長に任されたので俺がやる』と言えば良かっただけの話だ。
相手によっては嫌味や皮肉かと思うところだが、海斗の方は『気を使わなくても良い』と言った。蒼太が修繕士としての海斗の立場か心情に配慮して、そんな嘘をついたと思ったのだろうか。
「蒼太さんって……いい人なんですか?」
そう問いかけると、何故だか海斗は悠真の顔を見て笑った。悠真の表情が奇妙なものだったのだろうか。もしくはいい人と言ったこと自体を笑ったのか。
そもそも『いい人』が大きな傷害事件を起こして処罰されるのだろうか、という気もする。事件自体は秘匿されているため背景などは公表されていないが、彼は船内で暴れて何人もの重傷者を出したと聞いている。全員を素手で半殺しにしたのだとか、船長を襲撃して船を乗っ取ろうとしたのだとか、そんな話も聞こえてくるのだ。小さな船で、完全に人の口を塞ぐことは出来ないだろうから、ある程度は単なる噂というわけでもないだろう。
実際、先ほどの雰囲気を見ていると、彼ならやりかねない、なんて思ってしまった。海斗が親しげに話をしていたことが、逆に違和感を覚えるほどだったのだ。
「さあな」
海斗は一度、空を仰ぐようにしてから、悠真を見る。
「事件を起こしたのが蒼太じゃなきゃ、確実に死刑だって言われてるからな」
しばし意味を考え込んでしまってから、なるほど、と悠真は呟いた。
同じ事件を起こしても、海斗や悠真であれば死刑になるが、蒼太や彰良であれば助かると言うことだ。そう考えると、なんとなく苦いものはある。その判断をするのは彼ら自身ではなく、周囲だ。別にそれ自体は彼らの罪ではない。——が、彼はそれを見越したうえで事件をおこしてはいないだろうか。
彰良もどこか、自分が特別扱いされることを当然だと思っているところがある。
ふと浮かんでしまった彰良の顔を振り払うように、悠真は首を振ってからため息をつく。彰良が他人を傷つけるような事件など起こすわけがなく、彼を想像してしまったことに罪悪感を覚えた。しばらく何を返そうかと悩んでいたのだが、結局はため息だけをついた。
悠真は楽しくて軽い話題に切り替えることにした。




