あきらのディストピア(3/4)
彰良が廊下を歩いていくと、次々と自動で扉が開いていく。
ここは船の中でも限られた人間しか入ることを許されない制御区と呼ばれる場所だった。彰良のデータはあらかじめ登録されているため、歩いているうちに勝手にシステムが認証して扉を開けてくれる。
船の内部は、人々が生活している居住区と、基盤区、そして制御区に分けられる。
基盤区というのは、船の航行や人々の生活に使用するエネルギーや資源の生成などを行ったり、空気や水や熱の循環などを行う場所で、こちらも入場を許可された人間しか入ることができない。彰良もこれまで一度も入ったことがなかった。
彰良の職場でもある制御区は、居住区と基盤区に必要なシステムを制御している場所だった。ここに立ち入りが許された人間は、住民256名の中でも彰良を含めて七名だけ。大半の住民は、居住区以外の場所を見ることなく死んでいく。宇宙を覗くことのできる船窓も、ここ制御区と基盤区にしかないから、自分たちが存在している宇宙を見ることすらないのだ。
なんとなく四角の窓から黒い宇宙を眺める。
この船を設計した人間は、ここが宇宙船の閉鎖空間であることを意識させないように、ということに重きを置いたらしく、わざわざ狭い宇宙船内に空を作っている。円筒形で高速に回転しているこの船体は、外壁に使っている高質量の素材と遠心力で、宇宙空間に擬似的な重力を生み出している。そのため別に空など必要なく、一周全てを立入スペースにしても良かったはずだが、それより景観を重視したのだろう。緩やかなカーブに沿って人々の暮らす居住スペースが張り付き、地平線の代わりに山をイメージした木々の緑が張り付いて、青い空を映す天空盤へと続く。
もしかしたらそれはとても美しい風景なのかも知れなかったが、ここしか知らない彰良にその有り難みは分からない。
「彰良、ちょうどいいところに来た。手伝ってくれ」
小走りでやってきた制御士に急に腕を掴まれて驚いた。
いつ休んでいるのかと思うほどにいつ見ても椅子に座って複数のディスプレイを睨んでいる彼が、歩いている姿を見ることがまず珍しい。その上で腕を引かれるようにして来た道を戻らされ、彰良は首をかしげた。
「どうした?」
「計画より早く取り出したらしい。人手が足りないらしいから運ぶのを手伝ってくれ」
「取り出した?」
なにを、と聞いている間にもいくつかの扉を抜け、これまで一度も見たことのない扉の前に立っていた。
「ここは?」
「基盤区との連絡通路だ。——ああ、到着してる」
後半の言葉は耳につけているイヤホンとの会話らしい。それが合図だったのか、自動で目の前の扉が開く。基盤区との連絡通路というくらいだから、あちら側が覗けるのかと一瞬期待したが、向こうに見えたのは扉だけだった。たしかに制御区の方も何重にも扉がかけられているのだから、当然といえば当然である。
そう考えた時に、向こう側の扉も開いて、あまり馴染みのない職員がカートのようなものを押してきた。上には丸いカプセルのようなものが付いており、中を覗くと布に包まれた小さな生物がいてどきりとした。
「急いで外まで押して行ってくれ」
「は?」
基盤区側の職員と顔なじみの制御士に、当然のような視線を向けられ、彰良は目を瞬かせる。
「入り口で医師と『お母さん』が待ってるから渡してくれ」
そう言って基盤区側の職員は彰良にカートを引き渡すと、すぐに小走りで戻って行ってしまう。
一瞬、意味がわからずに固まったが、すぐに状況は理解できた。彰良はここまで連れてきた制御士を見る。彼が頷いて彰良の背を叩いたので、彰良は慎重にカートを押した。
カプセルの中に入っているのはとても小さい、いま基盤区で生まれたばかりの赤子だった。基盤区はエネルギーや資源を生成する生命の源であるのだが、この船では人間すらそこで生まれる。にも関わらず、生まれたばかりの赤子を診察する医師も、赤子の世話をするお母さんも基盤区には入れないから、誰かが外まで連れていくしかないのだ。基盤区側にも当然ながら入り口はあるし、わざわざ制御区を通って外に出さなくても良いような気がしたが、こちらの方が近かったということか。
彰良も那月や悠真と同じ日に生まれているように、だいたい一年に一回、複数名の子供を同時に人工的な子宮装置から取り出す。手が足りないということは、彼らは他にも赤子を取り出すなり運ぶなりする必要があるということなのだろう。
ちらりとカプセルの中を見下ろすと、それは顔をくしゃくしゃにして泣いているようだった。防音加工でもされているのか、全く声は漏れてこない。なぜ泣いているのかは分からないが、なんとなくそれが可哀想だと思ってしまった。
——可哀想に。
自分で望んだわけでもないのに、勝手に交配させられ、大人たちの都合で勝手にこんな箱庭に誕生させられるのだ。生まれた瞬間から、ここに未来などない。かつて新天地を求めて逃れたはずの宇宙船は、もはやかつての生活を留めて維持することだけが目的の箱となってしまっていた。この船の機能維持に必要な人数を確保するために、死んだ人数分の卵が作られる。人数を揃えるためだけに生まれさせられ、管理されて制御される命になんの意味があるのだろう。
本物の空や花火を見ることなど一生できないのに。
そんなことを考えながらも外に出ると、入り口には待ち構えていた医師とお母さん、それからなぜか那月の姿があった。彼女はカートを運んできた彰良を見て少し驚いたような顔をしたが、一番に駆け寄ってきてカプセルを覗き込む。
「うわあ」
那月はそう声を上げたが、すぐに医師とお母さんにカートを奪われてしまった。そのままカートは施設の前につけていた移動診療室に運び込まれ、医師もお母さんもそこに引っ込んでしまう。二人きりでそこに残されて、彰良は那月をみる。
いつもは良く動くからか髪を一つに束ねていることが多い気がするが、今日は耳の後ろのあたりからとった髪を銀色の髪飾りで留めて、あとは背中に流していた。肩に落ちる艶やかな黒髪がとても綺麗で、いつもよりもぐっと大人っぽく見える。黒くて長い睫毛も、黒い瞳も、少しだけ赤い唇も、どれもが彰良の心をざわめかせた。彼女は満足そうな表情でカートの去っていった方向を見ていたが、彰良の視線に気づいたのか顔をこちらに向けた。
「ひさしぶり」
にっこりと笑った彼女に、どきりとしながらも彰良は同じ言葉を返す。
那月と会うのは花火の日以来で、あとは部屋から閉じ込められて声を聞くことも姿を見ることもできなかった。ひさしぶり、と言っても半月も経ったわけではないのだが、そもそもが毎日のように顔を合わせているから、一週間も会っていなければ久しぶりという気がしてしまう。
「なつきの外出禁止は解けたのか?」
「うん?」
可愛らしく首をかしげた那月に、彰良は苦笑する。その反応は確実に、聞こえなかったというものではない。無断で出てきているということだろう、と思い、彰良も首を傾げる。
「どうやって出てきた? というかどうしてここに?」
「だって生まれたての赤ちゃんを見られる機会なんてなかなかないでしょう? 来年からは仕事中に抜けるのは難しいかもしれないし、今は謹慎中だから誰にも迷惑かけないし……」
たしかに来年からは那月も仕事と役割を与えられるはずだ。赤子が生まれたからといって勝手に出歩けなくなるだろうが、だからと言って外出禁止の謹慎中の方が動きやすいと考えるのはどういう理屈なのだろう。
「どうやって出たんだ?」
「康太くんに頼んだの。今日だけ特別に出してくれない?って」
頼める相手なのだから、康太が那月の監視なのだろう。頼まれたからといって普通に外出を許可して良いのだろうか、と思うのだが、那月の嬉しそうな顔を見ていると、なんとなく理解はできた。康太はそれなりに柔軟だし、那月のことを姉のように慕っている。この顔を見られるのなら、多少くらい叱られてもいいと思ったのかもしれない。
「彰良はどうして赤ちゃんを運んでたの?」
「中で人手が足りなかったらしい」
「うわあ。いいなあ、可愛い赤ちゃんを独り占めできて」
そんなことを目を輝かせながら言われて、彰良はやはり苦笑する。
赤子の方はあまりに小さくて儚く脆そうで、可愛いというよりも可哀想だとしか思えなかった。それに比べると目の前で子供のようにはしゃぐ那月の方が、よほど無邪気で可愛らしい。そんなに子供が好きならば『お母さん』と呼ばれる子供の世話をする仕事に就ければ良いのだろうが、仕事は勝手に選べるものでもなかった。
そんなことを考えていると、那月はこちらを見て微笑んでいた。
「元気そうで良かった」
「うん?」
「私が花火を見たいなんて言ったせいで、懲罰室に入れられて、外出禁止になってるでしょう? もしかしたら元気じゃないかなって思ってたから」
那月の言葉に、彰良はぎゅっと心臓を掴まれたような気がした。
あまりに優しい那月の言葉が嬉しかったのはたしかだが、そんな彼女に対して自身の暗い願望が頭をもたげる。
——彼女はいったいどうして彰良に笑いかけてくれるのだろう。あんなことをした彰良のことを本当に許しているのだろうか。もしも本当に許しているのだとしても、彰良は許されても良いとは思えなかったし、もしも許されていないのだとしたら、彰良はいったいどうすれば良いのだろう。
彰良にとって那月は、この狭くて息苦しくて暗い世界の唯一の光だ。
まるで分身のように育った悠真のことももちろん大切で、唯一の友人であるのだが、それでも彰良にとって悠真は、いずれ那月を奪っていくかもしれない恐ろしい存在でもあった。那月はずっと三人でいたいと言っているし、悠真も昔からそう語ってはいる。
だが彰良は、やはり那月を独り占めしたいのだ。