あきらの迷い込んだ先は(4/4)
瑠璃が知りたいと言った情報は、あまりにも意味が不明なもので、彰良は半ば投げやりに説明をしていた。
医師であり、かつ彰良に手の込んだ暗号文を送れるほどに頭の良い彼女が、わざわざ職務だか女性性だかを利用してまで彰良に近づいてきたのだ。何かとんでもないことを依頼されるのではないかと思っていたのだが、蓋を開けてみると彼女の欲しい情報というのは拍子抜けするようなものだった。
「これで本当に満足なのか?」
彰良が記憶の中の情報からいくつか摘んで吐き出すと、瑠璃の頬をさらりと黒髪が滑った。首を傾げた、もしくは横に振ったのだろうかと思ったのだが、少し考えるようにしてから彼女は笑った。
「まあ、概ねはね」
満足していないところもあると言うことだろうが、それでも概ねは満足しているのか、と彰良は眉根を寄せる。
「食べ物の作り方なんて知ってどうする?」
依頼された時にも何度も聞いた言葉だが、改めて尋ねる。
彼女が知りたいと言ったのは献立や食事を作る工程であり、確かに半自動で動いている工場内のシステムは制御区で管理しているのだから、その情報を入手することなど彰良には容易い。
問題はその情報を制御区外に持ち出すことで、制御区外にデータを転送することは許されていないし、何かしらのデバイスに抜き出すこともできない。そこには何かしらセキュリティをかいくぐる仕掛けを入れる必要があったのだが、彼女にはアナログな方法で良いと言われたのでそうすることにした。要は彰良が読んで覚えた内容を彼女に伝えたのだ。
「いつも自分が食べてるものがなにで出来てるか興味ない?」
にっこりとした笑顔でそんなことを言われて、ため息をつく。
そんなものに興味は全くないが、仮にあったとしてもここまでして手に入れたい情報とは思えない。彰良が情報を外部に漏らせば瑠璃も共犯ということになるし、そもそも彰良に不正な薬を投与しているところから、彼女は処罰の対象なのだ。懲罰が何かは分からないが、瑠璃が医師という職から外されることは間違いない。
「なにを企んでる?」
彰良の言葉に、彼女はふっと口の端に笑みを浮かべる。
「企むなんて酷いわね。製造ラインに毒物を流し込むテロを計画しているとでも思ってる?」
別に彼女がそれを企てていると思っているわけではないが、食事の製造工程などを聞いてやれることはと考えて、思いついたものの一つはそれである。過去にもこの船では何度か大量殺人を狙ったテロ行為が行われている。未遂に終わったものも合わせれば、長い時間の中で定期的に発生していると言っても良い。
それは息苦しく狭い船内に耐えられなくなった人間や、狭い人間関係で追い詰められた人間にとっての一つの選択肢だ、と彰良は思っている。そのため自殺対策やテロ対策がシステムでも教育でも色々と仕込まれているのだ。だが、それでも彰良もたまに「この船の機能を全停止してやろうか」という思考が浮かぶし、実際にやろうと思えばやれるだろうから、本当にそれが機能しているかは分からない。
とはいえ、彼女の問いに対する回答であればNOということになる。
「あなたならそんな回りくどいことをする必要はないだろう。堂々と薬品を持ち出して散布すればそれで終いだ」
自分だと露見せずにそれをやるのは難しいが、それは製造ラインに毒物を混入するのも同じことだ。医師なり研究者の立場を利用すればいくらでも生物兵器は作れるから、集団自殺がしたいのならいくらでもやれる。
「そう? 薬品を散布してもたぶん検知されてすぐに区画が隔離される。全滅させようと思えば、朝食のバーに混入するのが一番確実だとも思うけど」
そんなことを真顔で返されて、彰良は少し考える。
どの工程で毒物を混入するかにもよるが、うまくやればシステムの目を盗んでなにかしら細工もできるだろう。そのために製造の工程を事細かに彰良に調べさせたのだ、と思えば、それなりに辻褄はあう。そうして即効性の毒物を全員分の朝食に混ぜれば、自分以外の全員を殺すことは可能、なのかもしれない。健康管理の面からも朝食を食べない人間はすぐに指導されているようだし、食事の時間も決められている。一口食べるだけでも致死量の薬品などいくらでもあるはずだ。
「それでいくと、生き残るのは俺とあなただけだな」
彰良は医師の権限とやらで朝食をサプリに変えてもらっている。彰良の言葉に、瑠璃は笑った。
「それならあなたのサプリにも毒物を混ぜれば完全犯罪ね」
「そうだな。それが望みか?」
「そう思う?」
「いや」
本当にそれが望むだとすればこんなに簡単に口にはしないだろうし、さすがにテロの共犯にできると思うほど彰良を信用してはいないだろう。
「ま、そうでしょうね」
彼女はそう言って笑ったが、企みについて他に言及することはなかった。彰良も無理に聞くつもりはない。本懐を簡単に漏らすとは思えないし、そもそも彰良の考えが正しければ彼女に知らせた食べ物の情報に意味などない。
欲しい情報とやって欲しいことが一つずつと彼女は言ったが、後者についてはまだ教えてもらってもいない。『やって欲しいこと』の方のみが彼女の本命だとすれば、それをやるための前段として彰良を共犯にしたのではないかと思ったのだ。別に欲しくもない情報でも、彰良にそれを持ち出させることに意味がある。彰良の体に薬品を投与したのは彼女が実行犯で、制御区から情報を取り出した実行犯は彰良だ。お互いの罪の意識を共有させてから、何かしらの行動に出るつもりなのかもしれない。
「ラインへの外部からのインプット情報は三つだけ?」
しばらく考えてから、それが先ほどの彰良の説明に対する質問だと気づく。本当に知りたい情報だとは考えていなかっただけに、内心で首を傾げた。彰良の反応が遅れたからか、瑠璃が口を開いた。
「医学的な調合とヘルスチェックの結果と個人の希望」
それは本当に聞きたいことなのか、それとも意図を誤魔化すためのダミーの質問か。
「ああ。それだけだ」
「基礎調合の変更頻度は?」
「二十年は変わってない」
「調合されている要素と変更記録は手に入る?」
「それが『やって欲しいこと』か?」
そう言って彰良が首を傾げると、彼女は笑いながら首を振った。
「いいえ。欲しい情報の一部ね」
「……歴代の食事に配合されている全成分を覚えてこいって?」
「彰良くんでも無理?」
「無理に決まっているだろう」
朝食のバーに配合されている品目だけでもかなりの数になるはずだ。その上、全く興味もない文字の羅列でしかない薬品の名前を記憶できるはずがない。嫌な顔をしている彰良に、瑠璃はやはり楽しそうに笑った。
「冗談よ。今のところはもらった情報で満足ね。ありがとう」
「やって欲しいことの方は?」
「そっちはまた今度ね」
「また来るつもりか? 俺の方にはもう用はないんだが」
すでにラン二ングルームに入れられる罰は回避できており、瑠璃を部屋に呼ぶ必要はない。それに処方されているサプリのおかげか、毎週のように点滴を受けているからか、ヘルスチェックの結果はかなり改善しているのだ。体調も悪くないし、船長に話をすれば医師の派遣も止めてもらえるだろう。
「冷たいわね。ま、少し動きすぎたし、しばらくは大人しくしてるわ」
彼女はそう言うと立ち上がる。なぜか近づいて来ると、すぐ目の前で首を傾げる。
「キスした方が良い?」
「意味がわからない」
冷たく見上げると、瑠璃はやはり楽しそうに笑ってから「またね」と言って部屋を出ていった。




